雑賀国には古より続く慣習があった。五年に一度、魔を統べる者が住むと言う黒の搭に生贄を捧げる。その後五年間は災害や、飢餓に襲われることがなくなる。
 口減らしを兼ねた慣習であり、多くは身寄りのない子供が選ばれていた。
 魔を統べる存在がファンタジーになりつつあったが、続けられていたのはそういう所以があったからだ。

 けれど、その搭がある日忽然と姿を消した。空高く、雲間に吸い込まれてしまいそうな搭は、ものの見事に消えていたのだ。
 魔王が消えて喜んだ人間は少なく、むしろファンタジーの存在をまざまざと見せつけられた感覚に多くの存在は恐れ、戦慄いた。
 そして、消えてしまった今までの生贄を思い再度恐怖を覚えた。


『雑賀国は魔を統べる者を軽んじたのか』


 関係のない他国からは誹謗中傷が飛び交い、いつ、どこに、その存在が再び現れるのか多くの人間が眠れぬ日々を過ごした。
 数週間、数ヶ月、数年。魔王の存在を忘れようとして空を見るたび、雑賀国の人間は真っ青な空を見て脅える。
 黒のない世界は、恐怖でしかなかった。

 そんな中、薄い栗色の髪を持ち、柔らかな物腰をした旅人が雑賀国を訪れた。
 真っ白いローブを頭からすっぽりと被り、顔はよく見えないが二十代前半の頃の少し痩せた青年のようだった。
 彼は片手に楽器を持ち、低く、軽やかな声で唄を奏でる吟遊詩人だった。

 魔を統べる存在の唄は多かったが、彼の唄は変わったものが多かった。
 優しく、柔らかく、どこか物悲しい唄は何かをひきつけた。

 子どもが強請るように魔王の話を詩人から尋ねる。
 彼は唄も変わっていたが、何故か、魔王の話に詳しかった。
 薬学、地学、歴史。様々な学問に精通する青年の語りは子どもだけではなく、大人にも興味を抱かせるには充分だった。
 雑賀国は歴史に古い国だが、数百年前のクーデターにより、以降の歴史は抹消されている。
 消えた歴史も知っている詩人の正体は、誰にも分からない。


「魔王は、優しいんだ。でも実験好きで人の事は実験の二の次であまり興味が無い」
「高いところが好きで黒の塔を建てたけど、雲の上まで行くのは結構疲れるんだ」
「甘党で、黒はカッコイイから見につけているだけ。見栄っ張りで、意地悪」


 ローブの合間から覗く優しい眼差しに、子どもは楽しそうに彼の話を聞く。
 元々雑賀国に住んでいたらしいが、遠い東の国で今まで暮らしていたのだと彼は語っていた。
 吟遊詩人になり、路銀を稼いでここまでようやく帰ってこれたのだと最後に言葉を紡ぐ。金縁に、華やかな装飾の施されたハープを手に取り薄く笑う。
 詩人を見据え、子どもが無邪気な声で尋ねた。

「どうしてここに戻ってきたの?」

 凛となる声で、由良は言葉を生み出した。

「リュトを、ぶん殴って抱きしめるために」



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