「オレな、昔人間だったんだよ」

 ぽんと投げられたリュトの言葉に、歴史書の文字を追っていたおれは顔をあげた。
 唐突に始まった言葉に頭は一瞬置いていかれた。でも、言葉を咀嚼し、嚥下した時には「はあ?」と、自分でも呆れる様な声が零れた。
 相変わらずの黒衣、端整な表情はまるで芸術作品のようだ。じっと見ていると、手で招かれ本を置いてリュトに歩み寄った。
 よくわからないけど……珍しく弱ってる感じ? 魔王も弱るの?

「いい子」
「ん」

 膝の上に座り、背中から抱きしめられる。薬のにおいが魔王からしてきて、相変わらず変な実験が好きなんだなって思った。
 魔王の肩に頭を預け、見上げていたら啄ばむようにキスされた。普段触れている位置と違って少しだけくすぐったかった。
 触れて、離れて、触れて。繰り返す動作に疑問符を浮かばせていると「間抜け面」と、柔らかく音を吐き出された。

「オレは、昔自分から魔族に取り入った人間なんだよ」
「ふぅん」
「……そこは、え!? まじで! じゃねぇの。もっと感慨深くなるとか、ショック受けるとか、魔族死ね! とか。ねぇの?」
「なんで?」

 魔王らしくは無いってずっと思ってた。魔王のくせに人間食べないし。別の意味では食べられてるけど。
 こいつの血肉になるんだったら、おれは全然良かったのになぁ。って、思ってたけど元人間だったら人間は食べられないだろうなぁって、思う程度だ。
 何も考えていないわけじゃなくて、その程度の事を気にする必要は無い。何百年も魔王として生きているリュトは、人間としての名残なんてとっくに消えてしまってるし。
 抱きしめて、おれの肩に顎を刺しているリュトは小さく笑って腹に回していた力を強めた。

「由良、逃がしてやろうか?」
「どこへ?」
「外へ。オレもそろそろここは飽きたしな……だから」

 さよならだ。
 その言葉と共に、うなじに噛み付かれた。痛みを感じる前に意識は消え、見えた漆黒の存在は小さく笑っていた。



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