この世界は夢のようで、お伽噺のようで、地に足をつけ歩いているにも拘らずどこか夢のような感覚を有里栖に与えている。 しかし、記憶をさかのぼらずとも思いだせる剣と、刀と、銃の戦い。決して夢でも、おとぎ話でもない。それを誰よりも有里栖は理解していた。 有里栖はどこまでも現実主義者だ。 だから目の前に広がっている事象がたとえ非現実的でも、確実に夢を見ていないと断言できる自分がいる事を認める。 ここは自分の住んでいた場所ではない。ここは自分の知っている世界ではない。 だから有里栖は戸惑い、移ろう。誰を信じていいのか今の彼は判断できる材料すらないのだから。 有里栖は一通り帽子屋から話を聞き、誰に会うべきか見当をつける。 この世界に来た切っ掛けの存在、白ウサギ。その白ウサギに繋がっている存在――。 『白ウサギの事が知りたいなら“トカゲ”に案内してもらえ』 『……は?』 『トカゲのビル。根暗で寡黙な奴だが中立のやつだ。気難しいけどな』 『ト、トカゲ……』 『ほい地図。会いに行って来い。街の南に森があってその外れの塔に住んでる』 帽子屋は有里栖が二の句も告げられぬまま地図と、弁当を持たせて喫茶から追い出した。 先程騎士に殺されかけたというのに、至って気にしていない様子だった。 護衛とか、そういう人はいないのか。そう思う事は悪いことなのか。 店の前に放り出された有里栖はしばらくそのまま突っ立っていたが、店から誰か出てくる気配はなかった。 有里栖がひくひくと口元を引きつらせ、帽子屋さん。と、外から声を発すると三月ウサギが欠伸をしながら店から出てきた。 『無理、駄目、諦めろ。今は三時で茶会が始まるから』 バタン。店はあっという間にCloseの札がかけられた。 命より茶会かよ。お伽噺が一瞬頭によぎり有里栖は開こうとした扉から手を離し、踵を返し南に向かうことにした。 元の世界に戻るための行動、そのために動かなければならなかった。 何より、有里栖は理解していた。帽子屋も本当に信に足る人物かどうか判断できない事を。 ◆ ◇ ◆ 街を出るとそこはまた印象の違う世界だった。 日の光さえ入らない鬱蒼とした森。かと思えば足元で咲いている花は色鮮やかで、見た事のないものが所狭しと咲いている。 不思議だが不気味だった。まるで違う印象を与える空と大地は歪なものに見えたのだ。 極彩色の世界だ、ここは。 色に満ち満ち、けれど空を覆われ日が当らない。地面を見れば華やかで上は薄暗い。世界の中間に有里栖はたたずむ。 夢のような世界だと思う度、これが夢ではないことを気付く。夢のようだと思っている時点で現実だと有里栖は気付いている。 一刻も早く帰りたかった。母が待ってる、父も、心配している。 二人が好きなものは“アリス”だがそれは童話の話だ、真実の話ではない。 帰りたい。 その一心で有里栖は森の奥に迷い込む。描かれた地図を頼りに進んでいく。 この地図が帽子屋の描いた罠かもしれないと思い、銃撃戦を思いだしたがそれでも進んでいくことしかできなかった。 『トカゲのビル』 有里栖の頭では未だ理解できていないが、どうやらその人物が白ウサギの何かを知っているのだろう。 トカゲという位なので、薄暗い所が好きなのだろうという事は分ったが、その他の事は一切分からなかった。 そもそも、トカゲと会ってどうすべきなのか有里栖はわからない。トカゲと話ができる筈もないし、トカゲが喋ることも勘弁して頂きたい。 精神的にも肉体的に疲れ始めた頃、有里栖の視界にふと建造物が見えた。 赤、黄、緑、ピンク。森の中でもひときわ鮮やかな建物。チカチカとした色が目にいたい。 なんだよ、これ。 無遠慮だと思う暇もなく覗き見てしまう家だった。存在感がある無しではない、存在感しかない家だった。こんな家に人が住めるのかと思ってしまえる家だった。 「――アリス」 じろじろと家を見ていると、有里栖の背から声が響いた。 今まで彼をアリスと呼ぶ人間は帽子屋、三月ウサギ、白ウサギ、赤の騎士。全員声が割を経た男だった。しかし、今有里栖の名を紡いだ声は。 「やはり、来たね」 アルトの声だったが、それは女性の声だった。 現れた女性は背が高く、細身の女性だった。身長は目算170p半ば位だろうか。ヒールを履いているので本当はもっと低いだろうが、それでも有里栖よりも高い。 深緑の長髪は頭の天辺で乱暴に結びポニイテイルが風に揺れている。 銀縁の細いフレーム眼鏡を人差し指で押し上げ、金色の釣り上がった目を持つ女性は、白衣を身に纏っていた。 有里栖の数少ない語彙で表すのならば知的美人という言葉がぴたりと当てはまる女性だった。 「君を待っていたんだアリス、聞きたい事があるのなら入りなさい」 「え、あ、あなた、は?」 「トカゲのビル。帽子屋から聞いてないか?」 トカゲ。 ビル。 「……予想の斜め上だ」 知的美人はトカゲ。男子高校生には多少、ショックが強かった。 |