「俺の可愛いアリス、夢にまで見た可愛いアリス【あたしの騎士になってね!】って、言う予定だった推定年齢7歳から12歳のアリス……」

 ぶつぶつと気持ちの悪い言葉を吐きだしている騎士に目をやり、有里栖は冷や汗を流す。
 なんというか、本物だ。シロウサギや帽子屋とは違う。明らかに犯罪者のにおいがする。主に、性犯罪者の。

「――アリス、下がってろ」
「え」
「あいつあんなキモイ奴でも、女王の右腕みてぇなもんだ。強ェぞ」

 永遠と愚痴の様なものを吐きだしている騎士を見ても、帽子屋は決して刀を納めなかった。
 目は逸らされず、一挙手一投足を見張っているかのような帽子屋の眼差しに呆れていたアリスも騎士に視線を向ける。

「ああくそ、ああくそ。折角の可愛い“アリス”がこんなちんくしゃで、しかも男で、俺の可愛い愛しい女王様はこいつをご所望で――ああ、くそ」

 ビリと、皮膚を傷つけられた感覚がした。
 騎士の空気がガラリと変貌する。見目の変化はないが、有里栖は思わず帽子屋の腕を掴んでしまいそうになった。
 剣道部に所属していた有里栖は試合で今の空気を味わったことがあった。
 防具越しにビリビリと覚える緊張感、内臓が微かに浮く感覚。背筋の産毛が立ちあがる。

「アリス、離れてろよ」
「そーだ、イイコト、思いついた。俺の女王様はアリスの存在を感じてはいるものの、どこにいるのか知りもしないし、そいつの顔も見ちゃいねぇ。なあ、帽子屋。おまえがここにいて助かるわ。だって、今からおまえがそいつを殺したことにすりゃいいんだし――なァッ!」

 鞘に収まっていたはずの刀身がいつの間にか抜き身の帽子屋の刀とぶつかった。
 火花がオレンジ色を刻み空中で破裂する。ギンと耳に甲高い音がぐわんぐわんと有里栖の頭の中に響き続けていた。

「誰が! 誰を! 殺すってこのロリがっ!」
「おまえが! そこの! アリスをだよ!」
「っざけんな! 俺が俺のアリスを殺すかよ!」
「知るかキメェ! 俺だって俺の女王をそんなちんくしゃに渡すかよ!」

 騎士と帽子屋は拮抗する刃を弾き飛ばし、相手の首に向かって互いに刃を向ける。
 街中で暴れている彼らを見て、人々は悲鳴を発しているが有里栖は悲鳴を発する余裕すらなかった。
 目の前で行われている殺し合い。その元凶が有里栖である。

 一体何なんだ!?

 この状況も、この世界も、この狂った人間達も!
 頭の中に浮かぶアリスという単語。それは幼い頃散々両親に聞かされてきた物語だ。架空のものだった筈だ。でも、違うのではないかと何かが告げる。

 騎士が帽子屋のシルクハットを分断するように上から剣を叩きつけようとするが、帽子屋は素早く一歩下がり騎士の剣は虚空を叩き斬る。
 大ぶりの攻撃の隙を突くように刀を横一文字に払うが、騎士は剣でその攻撃を受ける。

「相変わらず捻くれた武器の使い方だな帽子屋」
「てめぇこそ、大技ばっかりじゃねぇか。騎士様は繊細な人間しか無理じゃねぇの」
「繊細ゆえにそのちんくしゃを殺したいんだろッ!」
「アリスを殺させてたまるか!」

 一体どうすればいいのか。有里栖は地べたで座り込むことしかできなかった。
 あの中に割入るのはどう考えても自殺行為だ。武器もなく、止めることは出来ない。なによりも騎士が狙っているのは有里栖だ。
 あの場に行けば、彼は躊躇せず有里栖を殺すだろう。

 ぞくりと背が震え、ぎゅっと拳を握りしめる。
 人の悲鳴が遠く聞こえる。止められる人間なんてここにはいない。
 ――誰か。
 今の自分の無力を嘆く事も出来ず、有里栖はうつむき拳を握りしめることしかできなかった。


「――呼んだか」
「え……?」
「アリス」
「あんた、は」

 頭の上にはひくひくと動くウサギの耳。ただ「彼」とは違う。
 灰色のウサギの耳はてっぺんに近づくほど黒く変色していた。
 ギャルソンの服装のウサミミ男は腕まくりをし、耳さえなければ無愛想な青年に見えた。
 灰色の髪、短い髪を風になびかせオレンジ色の目はじぃっと有里栖を見つめていた。
 腰にはオレンジ色の派手なホルダーがあり、そこには今までの人生で有里栖が見たことのないものがあった。

「隠れてろ」
「こ、ろすの」
「……止めるだけだ。嫌なら耳ふさいで目を閉じてろ」

 黒塗りの拳銃を取り出した青年は銃口を真直ぐ赤い騎士に向け、有里栖がそれを視覚で確認した時、鼓膜をつんざく音が響き渡った。




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