(姉ちゃん)

 志岐伊織。名前は聞いた事があった。一個下の、有名人。
 やばいやつとか、不良とか、聞いていたけどやっぱり噂はあてにならない。……半分だけ。
 政哉が風邪で寝込んでいる間、一度だけ見舞いに来た男の子。
 不良のイメージ、茶髪や金髪じゃなくて、黒髪に一部だけ赤い色に染まった髪。
 見た目は話で聞いたとおり、美形。男前じゃなくて、綺麗。
 まあ、性格は男前だったけど。

 政哉は知らないし、私も言うつもりはないけど、あの子はあの事を言うだろうか。
 私が、志岐伊織に向かってビンタしたことを。

 本人にも言わないし、私自身も認めたくはないが……誰だって、家族は大事に想ってる筈だ。
 正直な話、政哉がノーマルすぎる子だって私は知っていて、お人好しで、流されやすい馬鹿だって知ってる。
 だから、志岐伊織からアプローチをしない限り、政哉があの子を好きにはならなかっただろう。

 一発だけ、殴らせてもらった。

 政哉が聞けば私を怒ることもせず、不良相手に何言ってんの姉ちゃん! とか、場違いな発言をするんだろう。
 不良とか、生真面目とか、関係ないでしょ。普通。
 だって、政哉が今から進む道を選ばせたのは、そうなるように仕組んだのはあの子だ。
 正直な話、私は二人は別れた方が両者にとっていいことだと思う。将来を思えば、それは普通の考えだ。
 でも……あんなに悩んで、あんなに考え抜いて、政哉の感情を真っ向から否定できるほど、私は偉くもない。そうなりたくもない。

 納得はしていない。でも、認める。

 その代わり、殴らせてもらった。
 今後、政哉が傷ついても、苦しんでも、それはあの子が選んだ道だ。
 志岐くんの傍にいる事を最終的に決めたのも政哉だ。
 恋愛は、同性であっても、異性であっても悩んで進む。相手が志岐くんじゃなくても、政哉が恋愛で泣く事はある。
 私はきっと、そういう時に志岐くんよりも政哉の味方になってしまう。
 一方的に、志岐くんに敵意を向けるだろう。

『だからさ、そういう時に君に毒を吐きたくないから…なんていうの? けじめ? みたいな感じで、今一発殴らせて』
『……オレに面と向かって殴らせろって真顔で言ったの、優奈さんがはじめてッスよ』
『へえ、光栄なこと。じゃ……歯ァ食いしばってね』

 まあ、殴ったのはそれだけの意味じゃないけど。
 けじめの意味もあり、政哉をその道に引き込んだ意味もあり、散々悩ませた意味もあり…なにより。
 弟を攫っていった男に対し、御礼をするのは当然だ。

 バッチィン!
 容赦ない音、綺麗だと思っていた志岐くんの顔に紅葉が彩られる。
 それだけで随分間抜けになるんだから、男前でも、普通でも、やっぱりビンタの痕は万国共通で精神的ダメージになるんだろう。

『いってぇ、なにこれ。何この痛み久々に涙目になりそう』
『受けときなさいって。そんなもんで認められるなら安いもんでしょ』
『……まじ男前』
『褒め言葉として受け止めるわ』

 きっとこれから、政哉は大変だと思う。それは志岐くんも一緒だ。
 素直に一発殴られてくれた年下の男の子を思い出し、やっぱり政哉は人を見る目だけはあるのだと再確認する。
 裕人くんもいい子だし、男前だし。
 我が弟ながら、末恐ろしいことだ。
 殴った掌を思い出す。……志岐くん、ね。まあ、あの子だったら馬鹿を任せても良いかもしれない。

 あの子達の将来に待ち受けている葛藤なんて私は想像もできないけど、少なくとも傍で見守る事は出来る。
 まあでも…あの子が傍にいるだけで、あの馬鹿は幸せを思うのことが出来るのだろう。それはたぶん、志岐くんも一緒。
 夕方の少しだけ涼しい空気を感じながら、私は二人を想った。
 今度、志岐くんに政哉の昔話を聞かせてみよう。
 政哉の反応も面白いだろうけど、あの男前がうちの弟の話題で嬉々とするのもなかなかに、面白いだろうから。
 


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