(和泉と春樹)

 誰かを好きになることには、莫大なエネルギーがいるんだと思う。
 そのエネルギーを上手に使ったり、エネルギーに振り回されるかはその人間次第なんだと思う。
 俺は、自分から振り回された。
 そういう風に望んだからだ。
 志岐伊織という人間を好きになって、どうしようもなくなって、止められなかった。

「おれ、かなでは泣くと思ったよ」
「泣かないよ」

 春樹が困ったような顔をする。
 もう少し早くこの友人に気づけていたら、俺はありのままの自分で志岐先輩にぶつかる事が出来たのだろうか。
 後悔…は、していない。できない。俺が悪いから。
 好きと言う感情は悪いものではない。でも、好きという感情から行う行動は善悪があった。俺はそれを知って、僕はそれを実行した。

「政哉先輩は、俺の話も聞いたんだ。僕の想いも知ったんだ」

 そこにあったのは純粋な、ただの、お人好しの感情だ。
 あの人は自分に対して自信がないみたいで、それどころか志岐先輩には不釣合いって悩んでいるみたいだった。
 それが何より、悔しかった。
 どうして自信が持てないんだろうか。
 見た目が普通だから? 先輩がかっこいいから? 相手が不良だから?
 政哉先輩ほどのお人よしを見たことはない。あんなに、人の言葉に敏感な人を俺は知らない。

 政哉先輩は好かれている事を知っていて、受け止められなかった。
 それは先輩も、志岐先輩も馬鹿にしている行為に思えて何よりも許せなかった。
 スッカリ、サッパリ、キッチリ。完膚なきまでに振られた俺と違う。
 前を向くだけで、好きな人がそこにはいる。手を伸ばす距離に、好きな人が笑っている。それは、幸せだ。

「俺も…もう一回恋、したいなぁ」
「かなでなら大丈夫だよ。だって、かっこいいからさ!」
「ばか。…でも、今度もきっと、いい人なんだ。だって俺、人を見る目だけは確かだから」

 思い出す。志岐先輩にはじめて携帯で呼び出されたときの事。
 着信履歴で俺の電話番号が残されていた事は知っていたけど、まさか、政哉先輩関連で呼び出されるとは思わなかった。
 本気なんだと悟ったあの日、俺の心は完全に散らされた。

『真正面から、俺がぶつかったらどうでしたか』
『さあ』
『……』
『オレが今好きなのは、政哉だから。知るかよ』

 今度は、間違えたくない。
 政哉先輩みたいに真直ぐに、志岐先輩みたいに只管に。
 そういう人と、出会えればいい。そういう人に、なれればいい。

 俺の隣には友達の春樹がいて、俺の前には先輩たちがいる。
 弱い自分がだいっ嫌いで、こんな見た目の自分がだいっ嫌いで、根暗な自分の性格が大嫌いだ。
 そういうものを受け止めて、先に進もうと思う。
 そういうものを受け入れてくれる人を、好きになりたいと思う。
 そういうものを受け入れてくれる人を、俺も受け止められるようになりたい。

「かなで」
「なに」
「おれ、今かなでに惚れそうになった!」
「……残念だけど、春樹は論外だよ。五月蝿い保護者がいるんだから」
「そういう意味じゃないし…ってか、うちの保護者はそんな五月蝿くないけど?」
「はいはい」

 短い梅雨の季節はまだ、あけない。
 それでも、入道雲と真っ青な色に染められた夏はやってくる。
 じんじんと皮膚を焼く熱はどんどん上昇し、鼓膜に響く蝉の鳴き声が周辺に反響するんだ。
 夏の熱を感じ始めて青々と茂り始める緑の葉を校舎から見据え、俺は春樹に背を向ける。春樹はそんな俺に、声をかけなかった。

 空は確かに晴れてるけど、一粒だけ雨粒を感じた。
 この雨は、きっと、俺だけのものなんだろう。



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