じっと見つめてくる視線は碧眼だ。16年生きてきているが、こんな間近で人の目、しかも碧眼なんて見た事がない。煙草の香りと、別に漂ってくる香りは香水…ではなく、先ほど飲んでいたいちごオレの香りだろうか。
 近い。猛烈に、泣きたくなるほど近くて、怖い。何だよこの状況マジおれ死ぬ。腰に回ったがっちりした腕、近い男前の顔。志岐伊織は美形だが、和山那都は男前の顔だ。平凡野郎の劣等感を刺激する顔の存在に、情けなく悲鳴が零れた。

「和山…。おまえ本当、毎度思うが近いからな、その距離」
「……ん」
「は、放し…!」
「ほれほれ。牧野クン困ってんだろー。一応オレのって設定なんだし手ェ出すなよ」

 首根っこを引っ掴まれ、首が絞まる勢いで引き剥がされた。ひでぇ、おれの扱いが。あっさりと手を離した和山那都は眠たげに欠伸をし「犬っころ」と、呟いた。それはおれに向けての言葉か、おれに対しての意見か。思ったが言わなかったのは堅実だろう。
 首の後ろに手を伸ばしていた志岐伊織は手を放し、座れよ。と、促しポケットから煙草を取り出しながら自分も座る。ここに教師が来ないことは知っているけど、もしもこんな場面を見られればおれも共犯になるのだろうか? ライターを取り出している志岐伊織に視線を向けながらそんな風に思った。

「で、だ。おまえを呼び出したのは和山に会わせたかっただけじゃなくて、今日の放課後早速付き合ってもらおうと思ってな」
「……後輩、スか」
「おう。まあ、それで引いてくれれば万々歳、逆上したらいよいよぶっ飛ばすけどな」

 ぶっ飛ばす。躊躇いなく吐き出された言葉に他意はない。少しだけ、後輩が可哀相に思えた。ストーカーになるのもあれだし、こんな男に惚れるのもどうかと思うけど、去年丸々一年通って、こういう恋愛もあるんだろうな。って、おれも思ったから。
 男同士の同性愛って、世間でもタブーだし、言葉に出すのもきっと怖いと思う。彼女が何人もいることを知っているのに、付き合いたかったほどの人間。それほどの魅力が外見以外のどこにも見当たらない志岐伊織だが、きっと、その子にとってはこいつは理想の存在なのだろう。

「……志岐先輩は、一人の人、好きにならないんスか」
「あぁ? なんだ、急に」
「男でも、女の子でも、真剣に誰かを好きになったら、その子もちゃんと諦めるんじゃないんですか。その、無理におれみたいな面白味もないやつ選ばなくて、」

 選ばなくても。そういう前に、シニカルな笑みと、ぞっとするような眼差しを浮かべた男がそこにいた。背後には一切気にした様子を浮かべていない和山那都の姿。
 背筋を滑る悪寒、唇が震えを伝えた。先ほどまで軽口で、投げやり気味だった志岐伊織の空気が変化する。じんわりと掌で生まれてくる汗が気持ち悪くて仕方がなかった。拭いたかったが、視線に射抜かれ動くことの出来ないおれには無理だった。


「ぐだぐだ言ってねぇで、てめぇは黙って言うこと聞いてりゃいいんだよ。――な、牧野」


 どこをどういう切欠で触れたのか分からないが、おれは今間違いなくこいつの触れてはならない場所に触れた。一時間目の終了を告げるチャイムが背中で響く。それでもなお、おれは視線を外すことが出来なかった。



back : top