「捕まえた」 ゴッ…! 鈍く、耳障りな音が鼓膜の奥でやけに響いた。 あと一歩で大通りに出るというとき、首筋を思いきり引っ張られ、息が一瞬できなかった。 体の動きが停止した隙に、腹に容赦なく拳を埋め込まれた。 痛みに体が自然に倒れそうになるけど、掴まれたままの首根っこのせいで不自然にぶらさがった形を維持される。 痛みから自然に涙が出る。 苦しさに眉を寄せ、眼前にいる金髪の男を見上げれば、片方の唇だけ不自然に上がり、ニッと嫌な笑みを浮かべていた。 「駄目だろ逃げちゃ。……まあ、志岐に連絡取ってくれたのはありがたいかな」 「先輩、ねェ。随分慕ってるんだな、あいつのこと」 「……っ、関係、ないだろ!」 「威勢のいいところが気に入られたとか?」 持っていた携帯を取り上げられる。手を伸ばしても意味は無く、あっさりと目の前の不良グループはディスプレイを眺める。 既に通話は切れており、初期設定のままのディスプレイが飾られている。 器用に人の携帯を操作する男は、あった。と、嬉しそうにおれに携帯のディスプレイを見せた。 「お前さぁ、マジでこいつが来るとか思ってるの?」 「……」 「一応君を囮にしようって最初は考えたけどさ、目の前にして変わったよ。牧野クンみたいな平凡君を相手に、あの“志岐伊織”が、動くなんてありえねぇよ。助けを求めた時点でアウトだな」 「……」 「志岐の噂、柚木川の奴等って本当の意味で知らないよなァ」 「教えてやろうか?」 口を開き、聞こえてくる音。 ムカツクという理不尽な理由で容赦なく暴力を振りかざし、一人で十人以上相手に喧嘩ができる。 女にだらしなく、声をかけるだけでついていく。扱いは酷く、二晩一緒に過ごした存在は無い。 ヤクザとも関わりがある、麻薬だって噂がある。 蔑んだ声、嘲笑、ゲラゲラと響く声に握った拳が震えた。 だったら、おれも、教えてやろうか。 「――先輩は」 「あァ?」 「先輩、甘いものが、好きなんだ。おれは大嫌いで食べられなくて、胸焼けする」 そんなおれの姿を見て意地悪く笑う。甘いものが好きな不良って、なんだよ。 あの人、料理が上手なんだ。自炊が好きというか、カップラーメンや惣菜はあまり好きじゃない。だから、調理実習も割と好き。 数学が好きで、数学だけはサボらない。課題が多い教師が苦手だけど、一番仲がいいらしい。 不良なのにお酒に弱くて、煙草は吸うけど健康のために止めようかなんて考え中。 映画を見て泣いてないって言うけど、泣いてる時もあった。開き直って感動物が好きだって、言ってた。 傲慢、自己中、お人好しで、優しくて。 「先輩をよく知りもしないで、噂だけで語るなよ」 「……てめぇ」 「上辺だけで、知ったような口を聞くな」 「うぜ…」 「おれの、」 「――おれの大事な人の事は、おれが一番知ってるんだよ!」 ドゴォッ! 一番後ろにいた男が、一瞬で見えなくなった。消えた音と同時に、微かに耳に入った呻き声が遠くで聞こえている。 前にも、似たような事があった。 あの時はこんな感情が無かった。ただ、恐怖しかなかった。 でも、今は違う。 信じてる、おれは、ずっと信じてた。 腹の痛みも同じ、滲む視界も同じ、助けてくれる人も同じ。 薄暗い路地に、普段よりも一層濃い色の黒が踊る。赤いメッシュが濡れて額に張り付いていた。 滲んだ視界の中、その人の顔は見えなかった。 おれを掴んだままの男の手が震えている気がしたけど、そんなのも気にならなかった。 「政哉を、放せよ」 好きだ、好きだ、好きだ。今まで溢れていたものが、一気に広がった。 訳もなく涙が出てきた。 場違いだ、明らかにおかしい、ほっとしたわけでも、怖いわけでもない。それなのに、流れ出る涙は止める事が出来なかった。 なんだろうか、この感情は。 今すぐ抱きつきたくなった。あの人がここに来たのは、おれのためなんだって世界中に叫びたくなった。 「――政哉」 「せ…んぱ、い」 「頑張ったな」 頭を撫でて欲しくなった。 手を握りたくて仕方なかった。 抱き潰して欲しかった。 キスを、したかった。 「気色悪ィホモ同士が」 「アホか。誰がホモだっつーの。オレも政哉も、純粋なノンケだ」 「はあ?」 「ただ、好きになった奴が男って性別だっただけだろ」 そう言って、志岐先輩は二人目に容赦なく蹴りを入れた。 鮮やかなそれは軽やかな動きだったが、纏っている雰囲気は明らかに憎悪と、憤怒だった。 |