(伊織:sid)

 携帯が振動を伝えてくる。政哉もバイト、和山も店の手伝い。
 あの店の親父が苦手だと政哉は知らないだろうから、あいつからの電話に少しだけ安堵する。
 まあ、本音を言えば店の前まで送りたかったけど、政哉を焦らすのも楽しい。
 クソ真面目な性格の後輩は、ぐるぐると色々悩んでいるようだが、言わないだけで全身でオレを好きだって言っているのがわかる。
 だって、全部オレの為に何もかも解決しようとしているのだから。
 そういうところが、どうしようもなく可愛い。
 女相手ならおかしくないのに、男相手に向けるにはかなりおかしい感情だ。
 大体、あいつは可愛くも、かっこよくもない平凡君だ。
 そこが、いいんだけど。

 震える携帯を見ればディスプレイには政哉の名前がある。
 一日に何度も電話をかけてくるなんて珍しい。何よりも「Zizz」に行っているはずだ。
 何かあったのか?
 分からず、一応着信ボタンを押せば雨越しに政哉の声が聞こえてきた。

「政哉?」
『せんぱ、い!』
「……どうかしたのか?」
『あちこち、喧嘩…売らないで下さいよ!!』

 待て! そういう声が、政哉越しに聞こえてきた。ああ、なるほど。
 誰かが、オレの、政哉に。

 携帯が不愉快な音を立てた。
 ノイズと、政哉の息遣いが耳に入り込んでくる。雨の音がフィルターとなって、片耳からは耳鳴りがした。
 誰に向けた怒りなのか、わからなかった。
 相手の男は勿論だけど、こんな状況を作り出しているのは間違いなくオレだ。けれど、思案している暇は無い。
 パキンと音を立てる携帯から少しだけ力を抜いた。

「どこだ」
『え、駅前の…路地…!』
「できるだけ人通り多いところに行け。交番でもいい。捕まるなよ…!」

 懇願に近い声だと自分でも思った。
 気づけば体は勝手に反応して、差していた傘は放り投げられた。
 飛沫が頬に落ちる。雨の冷ややかな感覚が身体中を覆っていく。
 オレの、せいだ。
 原因は知らないというほうが無理だった。ありすぎて、どれが原因か分からなかった。

 女か?
 喧嘩か?
 名前を売るためか?
 怨恨か?

 過去の自分をぶっ殺したい。
 今のお前のせいで、やっと振り向いて、オレのために頑張っている後輩が襲われているんだ。
 政哉は、オレとは真反対だ。対極の位置にあって、決して交わることの無い存在だった。
 あいつは、オレがいつ、あいつを好きになったか知らない。
 素直なくせに隠して、底なしの独占欲、理不尽に怒り、それでいてお人好し。
 照れ屋で、エロくて、泣き出しそうな顔ばかりさせていた。

 男だ、男。

 オレにだって、葛藤はあった。
 体育館倉庫で、なんであんなにムカついたのか、分からなかった。あいつの為にしたことだけど、手っ取り早いって思ったのも事実だ。
 政哉の怒りはまあ、理解は出来るもので、普段のオレだったらそこで関係は遮断した筈だ。
 それなのに。

 目に入る、視線が向く、笑うあいつがムカついて、悲しそうな顔に希望を抱く。
 和泉と話して、バカだと本気で思った。また襲われたらどうするんだと苛立った。無神経だと思う。でも、その無神経さにオレは気づいた。
 なんで、和泉が政哉の隣に立っていて、オレがそこにいないのか。
 あっさりと降りてきた感覚に嫌悪と、歓喜があった。
 好きだから傍にいたいのか。好きだからオレの味方でいて欲しい。オレの、物にしてしまいたい。

 女と遊ぶのは楽しい。

 柔らかい体、弾力のある肌なんか最高だ。ぷにっとした唇に、セックスの時の心地良さといえば表現できないだろ。
 政哉の体はひょろくても男で、肉は薄く、柔らかさは少ししかない。きっとまだ終わっていない成長期で変化をする。
 それでもオレは、政哉を選んだ。選ぶことしか出来なかった。

 駆け出すからだの熱が求めるのは、馬鹿みたいに直向な感情だった。
 志岐伊織の名前を聞けば、その辺の人間は逃げる。柚木川でだけは、少し反応は違うけど。でも、それが普通だ。
 人はこんなオレを見て、オレを聞いて、馬鹿だって言うんだろうか。
 男のくせに、男を好きになって、相手を傷つけられそうになって始めて“恐怖”を、覚えたオレは心底馬鹿なのだろうか。

 悪ィな、政哉。

 どれ程堕ちても、どれ程狂っても、自覚はする。
 ああ、ほんと、悪ィ。
 今オレのせいでお前が傷つくのが何よりも怖いけど、それでもオレは、きっとお前を手放さない。
 お前がオレのために、色々考えているけど、オレはそんなものすら本音ではどうでもいい。

 ただ、この手にお前が捕まってくれればいいんだ。



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