路地裏、薄暗い空間、雨を避けることの出来る傘は手放された。
 目の前には五人の男がいて、おれの背中には壁がある。一見すればカツアゲに見えるだろうけど、こいつらはハッキリと「牧野政哉」の、おれの名前を知っていた。
 金髪、灰色、茶髪、赤髪、金色に青メッシュ…。
 カラフルなのか、偏った色なのか、日本人ではありえない髪の色ばかりの集団を目にし、おれは理解できない現状に恐怖も浮かべる事が出来なかった。

「なあ、マジこいつなわけ?」
「間違えてねェの?」
「牧野政哉って聞いたぜ、オレ」
「ふぅん」
「普通に見えるけど訳ありとか?」

 同世代の男の中では小柄な部類に入るおれの頭上で、不良軍団はわからない話し合いをしている。
 どうやらおれに用があるらしいけど、おれは一切この人たちを知らない。
 一瞬和泉関係の人たちか? と、過去の事を思い出したけど、あいつらは学校内の人間だった。
 でも、こいつらは明らかに他校の制服を着ている。おれの友達のお知り合いとか?
 絶対ないその可能性を打ち消した頃「なあ」と、リーダー格の様な男がおれの真正面に立っていた。

「…はい」
「こういう風な目に合う理由、知ってる?」
「いえ…ない、です」
「そーだろうな。お前、関係ないし」

 だったら、なんでおれの名前を知っているんだ?
 名前だけじゃない。顔まで、知られているなんておかしい。
 じっと視線を向ければ、目の前の男はニッとシニカルな笑みを浮かばせ、携帯電話をポケットから取り出した。
 ディスプレイに映っていたのは、おれと――。


「お前――志岐伊織の大事なものか?」


 雨の音が、遠のいた気がした。



× × ×



 志岐伊織。

 その名前は県内で聞けば恐怖の象徴でもある名前だ。
 絶対的な力を誇り、チームを作らず単独で自由気ままに暴れる存在。
 柚木川では、調理実習に出たり、授業をある程度受けている為そのイメージは割と少なく、少し怖い程度で終わっている。
 けれど、柚木川を一歩出た先では志岐伊織の名前は恐怖の権化でしかない。

 見た目に、性格、持っている力で喧嘩は自然に多くなる。女遊びも激しく、敵はそれに従うように比例する。
 柚木川にいると普段の志岐伊織を知っているせいで、在校生はそういう噂に疎くなる。それだけ、柚木川の志岐伊織は素行が多少悪いだけの、普通の生徒だ。


「柚木川の噂ってさァ、マジなわけ?」


 ストレートな言葉を突きつけられ、どうして自分がこうなっているのかおれは知った。
 おれを狙っているわけじゃない。こいつらが見ているのは、おれ越しの「志岐伊織」だ。先輩としてじゃなく、不良として生きている。

 志岐先輩のそういう噂を理解していた筈だった。
 分かっていると思っていた。
 けど、理解しきれていなかった。

 一時、先輩は荒れていてその辺りに喧嘩を売っていたらしい。
 原因はおれにはわからないけど、ニヤニヤとおれを笑いながら見下ろしているこいつらは、おれを見つけ出すほど、おれの名前を調べ上げるほど、志岐先輩を恨んでいる。

「オレらさ、なーんにも悪いことしてねェのに志岐の野郎に喧嘩売られちまってよぉ」
「意味もわかんねェまま殴るとかさ、ありえなくね?」
「政哉クンってさぁ、志岐の、相手。なんだろ?」

 げらげらと下品な笑いを浮かべている男達の前で、羞恥からか、怒りからか分からないけど頬に熱が走る。
 こいつらが冗談で言っているのか、本気で言っているのかわからない。心の中では、パシリだとか、仲のいい後輩程度に思われているかもしれない。
 でも、おれからすれば間違いなく「相手」という言葉は当てはまっているものだ。
 金髪の男がずいっと顔を近づける。
 双眸は細められ、瞳は冷ややかだが奥にあった色は、憎悪の炎が立ち上っていた。

「お前をボコボコにしたら、アイツ…どんな顔するかな」
「…っ、裏でこそこそするしか出来ねェのかよ」
「あァ?」
「やめろって。…じゃあ、なんだ? ここで志岐でも呼ぶか、政哉クン。脅えて、震えて、裏も表も何も出来ない平凡君が――愛しの志岐サマにでも助けてもらうか?」

 歯を噛み締めた。

 助けてもらう? おれが? 志岐先輩に? おれが何も出来ないから?
 好きって、ちゃんと言えないようなおれが、こういう時だけ先輩を呼ぶのか?
 それは、卑怯なのだろうか?
 言外に臆病者、卑怯者と言われている気がして唇が震えた。

 違うと思った。

 助け云々じゃなくて、おれは違うと思う。
 おれが好きって先輩に言わないのは、おれの自己満足かもしれないけど先輩のためでもある。
 裕人も、悠一も、姉ちゃんも、それぞれがおれの拙い感情を認めてくれた。
 悲観ばかりしたくない。悲観するために、言わないわけじゃない。
 おれは、進むために立ち止まっているんだ。

 立ち止まって、色んな人の話を聞く。一歩一歩確実に、進むペースは遅くても志岐先輩の隣に近くなる。
 その証拠に、朝、姉ちゃんの事を話した先輩は嬉しそうな顔をした。
 自分たちだけの問題じゃないことを深い知り合いが知ってくれて、助力してくれるのは、認めてくれるのは、誰だって嬉しい筈だ。
 もしここで、おれが何も言わずに暴力だけを受けたら先輩はどう思うんだろう。

 おれも男で、情けない姿は見せたくない、こういう事実を知られたくない。
 でも、先輩がそういうおれを見たらどう思うんだろうか。おれだったら、言って欲しいって、思うよ。
 なんで助けを呼ばなかったんだって、なんで助けられなかったんだって、いろんな事に怒るし、悲しくなる。

 この問題の根本は志岐先輩のせいだ。

 志岐先輩には悪いけど、自業自得じゃないか。そんな自分の問題に、好きな人が関わってたら、誰だって嫌だと思う。
 守れなかった自分が、一番嫌いになるかもしれない。
 そんな事は、嫌だった。
 おれは傲慢で、独占欲が強いのかもしれない。だって、志岐先輩が志岐先輩自身を痛めつけるのすら、おれは許せない。
 先輩を笑わせるのも、嬉しい顔にさせるのも、苦しめるのも、悲しくさせるのも、全部、おれじゃなきゃ嫌だ。

 おれは非力だ。そのことに胸は張れないし、自慢するようなことじゃない。
 けど、ここ最近の経験で図太い神経だけは着実に形成されていっている。
 助けを呼ぶのが屈辱とか、相手に迷惑をかけるとか、そんな風には思わない。だからおれは、今だけ頑張るよ。

「っ!」
「待てコラ!!」
「っ、せ、んぱい…!」

 真正面にいた男に体当たりをする。体格差はあるけど、不意打ちだったらそれなりにダメージはあるだろう。
 少しだけよろけた男の隙間を縫い、おれはそのまま路地から脱出した。

 携帯電話に手を伸ばす。
 最初に残っている履歴は、見慣れすぎた名前だった。

『政哉?』



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