(裕人:sid)


 こういう日が来る事を、俺はどこかで覚悟をしていたんだろう。
 覚悟を、していたつもりだったんだろう。

『――裕人』

 携帯越しに聞こえてくる幼馴染の声に一瞬だけ、息を呑んだ。
 寮の部屋で流れているBGMは、生憎の雨だ。夜から降り出した雨は梅雨入りのニュースと共にやってきた雨雲が原因だろう。
 二年の相部屋の男は風呂に入っている所で、俺は一人部屋の窓から外の世界を覗いていた。

 政哉は、俺の幼馴染で、大事な友人だ。
 幼稚園からの付き合いで、離れたのは高校がはじめてだ。今まで俺の生活の隣には政哉がいて、政哉の隣には俺がいた。
 俺が今、素直にバスケに取り組めているのは政哉のおかげだ。
 だから、俺はあいつの面倒は何でもしたいし、何でも聞きたい。
 一番怖かった事は、そういう政哉が俺の手から離れて、別の人間の隣を望んだ時だって、ずっと、考えていた。

 彼女が出来たら怒るぞ。と、冗談交じりに政哉はよく言っていた。でも、俺の方がきっと内心そうだった。言わなかっただけだ。
 彼女が出来て、その子と笑って、その子に何もかも言える。
 そういう風に変化する政哉に脅えた。俺は、政哉に頼ってもらうことで、なんとか保っている人間だったんだ。
 俺が頼られているようで、俺が政哉を何より頼っていたんだ。

『志岐、先輩の……ことなんだけど』

 政哉が男を好きになるとは、流石に思わなかった。
 何度か「志岐先輩」の話を聞いたことはあったけど、やっぱり、驚いた。
 柚木川の噂は案外他校には伝わってこない。
 正確に言えば、そういうものを聞いても所詮他校から見える学校は、凡庸でありきたりで、男しかいない。変わっているのはそれだけに見えるからだ。
 志岐伊織と、和泉かなでの話。政哉から聞かされた今までの話。それらがなければ、俺だって嘘だろ。の、言葉で終わったんだ。

「……それ、他の誰かも知ってる?」
『ん…。クラスの奴に』
「そっか」

 政哉には政哉の世界があって、俺には俺の世界がある。
 俺は政哉に話せない事があるのに、政哉には全部話して欲しい、それも、一番に。なんて、そう思うのは俺の身勝手な部分だ。

「一応、おめでとう。って、言うべきか?」
『……気色悪いとか、お前思わないのかよ』
「俺が政哉の事、そんな風に思うわけ無いだろ」

 政哉が誰を好きになっても、男を好きになっても、女を好きになっても、俺はきっとこんな気持ちになった。
 身勝手だよなぁ。小さく、呟く。
 電話の向こう側から、裕人。と、俺を呼ぶ声が聞こえてくる。
 少しだけ嬉しそうな音に、俺は複雑な感覚に陥る。政哉が嬉しいなら、いいんだ。それだけで、俺はどこか報われる。

「…まあ、これからはもうあんまり会えないかもなぁ」
『なんでだよ』
「だって、お前恋人が男だったら、あんまり俺に会わない方がいいかも。だろ?」

 何よりも、初めて好きになった人間と一応心は通じ合わせているようだ。
 だったら、そういう時間に俺と会うこと自体を考えないだろう。俺に会うよりも、政哉はきっと相手を大事にする。
 そういう人間だから、今こうやって理解を示してもらおうと身近な世界から着手している。
 窓に背中を預ければ、冷ややかな感覚が背中の熱を奪う。
 冷ややかな感覚が身体中を支配する前に、電話の向こうから呆れた声が返ってきた。

『関係ねェよ』
「……は?」
『おれの相手が誰であろうと、裕人は一番の親友なんだ。誰とどういう関係になっても、おれと裕人は変わらないだろ』
「………」
『裕人?』
「ぷっ」

 なんて、あっさり。
 なんて、容易く。
 なんて、望んだものを。

 変わるだろう、普通。そういう光景が、映像の世界だけじゃないことを知ってるだろ。俺達は高校生だ、恋愛の経験は数少ないが見ているはずだ。
 周囲には恋人が出来て変わった人間がいる。
 だから、政哉だって俺に何度も言っていた。言っていた筈なのに。
 こいつがこういうなら、本当に政哉は態度を変えないのだろう。望むにしろ、望まないにしろ。幼馴染で親友の関係は平行線のまま。

 笑った。思い切り、盛大に、世にいうこれが爆笑なのだろう。
 馬鹿だなぁ、政哉はやっぱり馬鹿だ。でも、俺はきっとその上の大馬鹿なのだろう。
 電話の向こうから怒鳴り声が聞こえてくる。何笑ってんだテメー! と、口汚い幼馴染に再度笑いがこみ上げる。
 さっきまでのしおらしい声はなんだったんだ。笑いながら言ってやれば、ぶつぶつと文句が聞こえた。
 また笑いそうになったけど、今回は我慢をしておこう。

「政哉」
『…なんだよ』
「俺は、お前が誰を好きになっても、誰と付き合っても、お前の親友なんだよな」
『恥ずかしいから繰り返すなよな…』
「いいだろ、別に。あー…俺も、誰かと付き合いたいな」
『お前は選り取り見取りだろっ』

 気が抜けたのか、笑った声が耳に届いた。
 たぶん、色々葛藤しているんだと思う。男と付き合うなんて、政哉は当然、俺も考えていなかったから。
 世間は認めない感情だけど、仕方ないと思う。人を好きになる感情は抑えられないから。

「政哉。言いたいことがあったら、頼れよ」
『当たり前だろ。お前が一番おれの事、知ってるんだし』

 ああ、そうだな。
 お前がまっすぐなことも、案外めんどくさいことも、一生懸命なことも、頑固なことも、俺は知ってるよ。
 誰を好きになっても、誰に好かれても、政哉は政哉だから。

「がんばれ」
『――うん』

 濡れる世界に視線を向ける。政哉はきっと、これから何度も困ることがある。それでも俺は、変わらないまま、こいつの隣で笑ってやろう。
 それが政哉の望むことで、俺が、政哉にしてやれること。



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