二人分の距離を開けているのは、そういう距離をおれが望んでいるからなのだろうか。
 最初に会った頃よりも広まった距離に、どうしようもない焦燥感を感じておれは身勝手さに唇を噛み締める。
 スニーカーのおれ、革靴の先輩。背も、体重も、性格も、何もかも違う。
 じっと背を見据える。大きな背中は、好きよりも憧れが強かった。

「政哉ぁ」
「…はい」
「お前の家、学校から近ェよなー」
「え、あぁ…まあ、それで学校選んだとこもありますし」

 振り返ることもせず、一定の距離を測って先輩はおれと話をする。
 学校内では容赦なく近づいてくるのに、一歩校舎を出ればまるで違う雰囲気だ。
 先輩が何を考えているのか分からなくて、おれは先輩に対して見えていないのに首をかしげた。
 何が、言いたいのだろうか。

「便利だとは思うけどよ、こういう時は遠い方がいいよな」
「? なんで」
「もっと一緒にいたいから」

 唖然とする言葉を吐き出され、おれは俯いてコンクリートの地面を見ることしか出来なかった。
 遠まわしはキライだと言うタイプの先輩だけど、免疫の無いおれにとってこの人の存在自体が結構キツイものだ。
 数歩離れてるくせに、他の人間から見たら一緒に帰っているのか分からない遠さで歩いているくせに。

 どうして、そういう言葉をくれるんだろう。

 家の屋根が見えてくる。住宅密集地に入り、志岐先輩は少しだけ歩くペースを遅くした。
 子どもの笑い声が聞こえてくる。近所で遊んでいるみたいな声。
 とことんそういうものと合わない先輩が足を止めて、笑い声をBGMにおれに視線を向けた。
 表札に「牧野」の、名前がある。普段より、何倍も、何十倍も早く家に着いた気がした。

 さびしい。
 そんな感情が、ふと湧き上がる。

 すると、あまり話すことも無く、昼間のことも関係ない様子で先輩はくしゃくしゃとおれの頭を撫でる。
 まるで、おれの感情を全て知っているように。
 どろどろに甘やかされている感情を掌越しに味わった。

「……あのなぁ…そういう顔、するな。折角離れて歩いてやったんだし」
「…なんで?」
「オレ、目立つし。今更かもしれねェけど、学校内ならいいけど外は、お前嫌だろ。――まだ」

 まだという言葉に含みを持たせ、志岐先輩は綺麗に笑った。
 赤色のメッシュが夕日に眩く煌き、心臓がぐっと締め付けられる感覚を味わった。

「じゃあな。今日はオレのこと考えて寝ろ」
「……先輩のこと考えてたら、寝れませんよ」
「……お前って、時々さぁ。いや、いいわ。オレの欲目だろうし」

 よく分からないけど、満足そうに笑った志岐先輩は嬉しそうだった。
 その顔は、おれがさせているものなのだろうか?
 おれだけに、向けられたものなのだろうか?
 嬉しくなる、苦しくなる、切なくなる。


 もっと、一緒にいたい。


 踵を返し、背を向けた先輩が不意に足を止めた。
 そのまま帰るのかと思っていたおれは、自分の体の異常に気づいて顔に熱が集まった。

 振り向いた志岐先輩の視線の先には、先輩のブレザーをしっかり掴んでいるおれの手があった。
 そういう、手を動かす意思は全然無くて、いや、あったかもしれないけど、実行する気なんて無かった。
 嬉しいような、困ったような顔を向ける志岐先輩に何を言えばいいのか分からず、おれは地面に視線をずらした。
 引き止めたのはさびしかったからだ。離れたくなかったからだ。言いたい事が、あったから。


「ま、ってて……」
「……」
「言い、ます…から。今は、」


 今は、今は怖くて素直に言うのも、行動するのも怖いけど。ちゃんと自分の感情には決着をつけるから。
 答えは出ているでも、答えを解く過程が出ていない。
 恥ずかしくても胸を張って、真正面から言えるようにしたいから。おれからも、ちゃんと伝えたい感情はあるから。
 和泉の言葉を裏切らないように。
 相談に乗ってくれた、皆の意見を蔑ろにしないように。
 帰り道、今度は志岐先輩の隣を歩けるように。

「おれは、志岐先輩と向かい合いたいから…!」

 好きだって、真正面から言うために。
 もう少しだけ、待ってて欲しい。

「――…おっまえ、さァ!」
「は?」
「オレ…殺す気かよ…」

 何故か知らないけど、先輩は急に語気を荒げて顔を背けた。殺す気? そういう気は一切無いけど。
 理由がサッパリ分からなくて、掌で自分の顔を半分覆った先輩を視界に入れる。
 恨めしそうな眼差しを向けられて、何かいけないことでも言ったのか? なんて、思った。

 でも、訂正するつもりは無い。これがおれが考えた精一杯の事だ。

 周りの人間を気にするうちは、本当に志岐先輩が好きじゃないかもしれない。
 そういう風に考える人間もいるだろう。恋愛なんてがむしゃらで、自分の事しか思うことが出来ない。
 けどおれは、自分のせいで好きな人が傷つくのは嫌だ。
 おれには先輩みたいに言葉を吐き出せないし、守ることも出来ない。だから、最低限の事はしておきたい。
 胸張って、好きだって言える小さな世界を作りたいんだ。

「政哉」
「はい」
「オレ、お前のそういうとこ――すげぇ、好き」

 おれも、あんたが好きだ。志岐伊織が、好きだ。言いたい、言えない。
 ブレザーを握っていたおれの手は、いつの間にか先輩に握られていた。



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