おれは、臆病者だ。
 おれは、卑怯者だ。
 卑屈じゃない、これは、事実だ。
 そして、志岐先輩はそんなおれを知ってくれている。
 おれはそれが悔しくて、切なくて、自分が腹立たしい。でも、和泉に対して同情なんて一切浮かばなかった。
 それがたぶん一番ひどいことなのかもしれないけど、おれは、浮かばなかったんだ。

「不安なんだよ! 怖いんだよ! おれは、おれだって言いたいに決まってんだろ! ふざけんなよ! お前みたいに先輩の後つけて、真正面から、自分の性格出さなかった奴に言われたくなんかねぇよ!!」
「そうですよ。俺は卑怯で、最低だ。でも、あんたは先輩が自分を好きだって知っていながら自分が怖いってだけで、先輩が同じこと考えてるかもしれないって。そんな風には思えないんですか! 好きだって言われてるのに!」
「思ってるに決まってんだろ!」

 それでも、怖いんだよ!!
 あの人みたいな勇気が欲しい。あの人みたいに振舞いたい。最初から変わらない憧れの感情だ。
 荒ぶった言葉が唇から次々にこぼれる。止められなかった。たぶん、和泉だから。
 おれと和泉はどこかで似ていて、でも、性格や考え方は違った。
 和泉は何もかも捨てて先輩が欲しかった。おれは何もかも捨てられる勇気が無い。

「……俺は、心底政哉先輩が羨ましい。志岐先輩に好かれるなんて…ずるい」
「………」
「ずるい。ずるい…好きあってるのに、言わないなんて、ずるくて、先輩が可哀相だ…」

 牧野先輩から、政哉先輩に呼び方が戻った。
 真直ぐ、涙で濡れた眼差しがおれに向かい、おれは真正面からその眼差しを受け止める。

「――和泉は、怖くなかったか。…男を好きになるってこと」

 柚木川に入学してそういう人種がいることを知った。
 身近で聞く話はどこかファンタジーに思えたものだ。男と女が知り合って結婚するのがおれの中では普通だから。普通以外の事が起こって、だから混乱した。
 おれの言葉に和泉は鼻水を啜りながら「怖いです」と、目をごしごしと制服の裾で拭きながら律儀に答える。

 そうだよな、怖かったよな。

 だから、お前性格を変えて近づいて、ストーカーになったんだろうな。面と向かって自分の姿を吐き出せなかった。
 好きだと言わせてくれなかったんじゃない、志岐先輩は偽る和泉に気づいて、言わさなかった。あの人がそういう人だから、おれ達は憧れたんだろう。

「でも、止められないんです。好きで、好きで、どうしようもなくて。心底嫌われた方が諦められた。こんなに人を好きになった事がなかった…!」
「……ああ」
「俺は、後悔してる。ちゃんと“俺”で、先輩に向き合わなかったから。でも、政哉先輩は違う。いつだってストレートで、自分の意見を先輩に言ってる。だから俺は先輩が許せない。好きだって言葉だけ言えない先輩が。大事なところで逃げたら俺みたいに後悔します」

 涙を拭った後は真っ赤に腫れていた。
 酷い顔だ、そんな風に見えるのに和泉の表情は男前だった。
 保健室の独特の香り、白い空間、二人きりの世界の中おれは和泉に何も言えなかった。

 いつだってストレート。
 後悔する。
 止められない感情。
 志岐先輩と向き合う。

 夕方の空を想う。始めて先輩と言葉を交わし、偽の関係が出来たあの日の事を。
 あの日からおれが先輩に気に入られたのは、たぶん先輩に脅えながらも自分の意見を馬鹿みたいに言ったからだ。
 どうして彼氏にならなければいけなかったか理由を尋ね、ファミレスで小銭を投げつけ、先輩の家で暴言を吐き出し、体育倉庫でエゴをぶつける。
 どしておれを好きになったのか。
 理由として浮かんだのはそれらだった。真直ぐ、ストレート、平凡でも、天才でも出来る行為を今まで誰か、先輩に対して行ったのだろうか。

 柚木川の不良。県内でも名の通っている志岐伊織。
 先輩を慕う和泉でさえ、己を隠して言葉を向けた存在。

 好奇や、奇異が、そこにはあった。先輩に向かう眼差しはいつだって、そういうものだった。一緒に登下校をして、おれはそれを知っていた。

「政哉先輩は、自分で想っているより志岐先輩に必要とされてるんですよ」

 とどめの、言葉だった。



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