下半身が、だるい。
 先輩との行為を思い出してしまう感覚は嫌だったから早く忘れてしまいたいのに、まるで所有物みたいな感覚で腰にダメージがあった。
 屋上で一緒に飯を食べた後、先輩はそのまま授業をサボり、おれは出席することにした。
 本音を言えばあのまま休みたかったが、先輩の傍にはいたくなかった。

 青臭さが、鼻につく。
 スンと鼻先を鳴らして確認したけど、嫌なにおいが纏わりついているように思えて眉根を顰めた。
 素直に教室に戻るよりも、保健室に行って薬品の匂いをしみこませた方がいいかもしれない。あざとい考えを浮かばせ、即決した。

 保健室には唯一この学校の女性教諭がいる。50歳を過ぎた女性教諭が。
 この人はあまり保健室にはいなくて、人生相談室。みたいな教室にいる。
 まったりとした空気が好かれている第二のお袋みたいな存在なんだろう。

 保健室のプレートには、予想通りそれを知らせる在籍メモが飾っていた。他には外出、出張、在室、職員室の文字がある。
 第ニのお袋は、新入生だけじゃなくて、先生にも人気である。
 ホモやらバイの知識を持っている50歳の教諭、入学したばかりは頼ってしまうに決まってる。
 過去の事を思い出しながら、おれは一応誰もいない事を知りながらノックする。
 普通なら保健室はヤリ場になるのだけど、第二のお袋の手前、皆ここで致す事は出来ない。男ってそういう部分ではホモもバイもノーマルも関係ないんだと思う。
 返事が無いことを確認し、保健室の扉を開いた。

 白いこじんまりとした部屋。独特の薬品臭さがツンと鼻を刺激する。
 開け放たれた窓からは、爽やかな風が入り込んでいた。
 設置されているカーテンレールで囲まれているベッドの上には、見慣れた人物が座っていた。
 髪が揺れて、瞳が揺れる。白い空間で見るその人物はいつもより華奢に見えた。

「いず、み?」

 名を呼んだ瞬間、和泉は一瞬息を詰まらせたが小さく頷いた。
 ぼぅっとしばらく彼を見ていたが、背後で扉を開きっぱなしだったことを思い出し、慌てて閉める。
 ガシャン! と、予想よりも大きな音が背中から聞こえて自分で驚いてしまった。

「あ、えっと、お前体調悪いのか?」
「……ええ、まぁ…」

 会話が、上手に続かなかった。
 普段よりも色が青味がかっている皮膚は確かに体調不良を訴えて、和泉は話すことも億劫そうに見える。
 でも、それ以上の理由がおれにはあった。

 和泉かなで

 志岐伊織をストーカーしていた人間で、おれの後輩で、志岐先輩がこいつは好きで。憧れで。助けてもらってて。
 おれは、こいつと自分が似ていると少し思った。
 ストーカーはしないし、行動力は無いけど、動機が似ているんだ。きっかけは、些細な憧れだった。
 さっきまで志岐先輩に会っていた後ろめたさが、好きだと言われた言葉が、まるで呪いの様に体に圧し掛かった気がした。

 普段、おれ、なに、話してた。
 こいつとどんな話をしてたんだ。

 頭が真白になる。もう、和泉を目の前にしても笑えなかった。
 おれは本当に最低だ。色んな人に相談も出来る。相手の気持ちも理解している。
 それでも踏みとどまって、そして、和泉の事を知っていて。なんで、こいつの立場におれがなったらどうしよう。なんて、思ってしまうんだろう。

「政哉先輩」
「…なに」
「昼休み……最近忙しそうですね」
「……和泉、おれは…」

 悠一には、和泉達には適当にいい訳でもしておいてくれと最初に言付けた。でも、それも効果はないだろう。
 志岐伊織に関わった情報はすべて、あっという間に柚木川に広がるのだから。
 直視できなかった。おれから和泉に関わったのに、おれがした事は結局和泉を傷つけて、結局志岐先輩には何も出来ない。
 情けなさに俯き、下唇を噛み締めた。
 沈黙が、保健室で続いた。とても、長い時間に思えた。

「――牧野先輩は」

 一体どれ程そうしていただろうか、ふいに、和泉が言葉を発した。
 視線を上げ、じっと見据えれば彼は真正面でおれを見つめていた。

「先輩は、志岐先輩が好きなんですか」
「………」
「好きだって、言ったんですか」
「………」
「言って、ないんですか?」
「和泉、おれ」

「なんで、貴方なんですか」

 ぼろぼろと、大きな瞳から滴が零れていた。
 止まらないそれは、どんな感情から流れているものなのだろうか。
 ぎゅうっと白いシーツに指を絡め、ぐっと握り締める。大きな皺が和泉の掌から生まれていた。

「俺の方がこんなに好きで! 俺はハッキリ言えるのに! なんで、牧野先輩なんですか! 遠慮しているんですか、俺に。偽善なんて要らない! 好きなら好きって言えば良いのに! あんたの態度は見ててイライラするんだよ!!」

 泣いてる後輩相手に、理由も全部知ってるのに、偽善の言葉に神経が反応した。
 偽善って、なんだよ。同情してたとか、思ってたのか?
 おれは、ただ純粋に、好きな相手に男相手でも言えるのはすげぇって、思ってただけだ。おれには、そういう勇気が無いから。今でも、ないから。
 怖くて怖くて、たまらない。そういう台詞を、言った瞬間どうなるのか、把握できなくて苦しくて。


「言ったら、言って…何もかもが壊れたらどうすんだよ!」


 初めて、叫んだ。
 ずっと感じてた不安を、ずっと持っていた感情を、後輩相手にぶちまけた。



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