どうにもこうにも、おれはやっぱり平凡だと思うわけだ。
 柚木川高校に入学し、ホモやらバイの性質を知っても嫌悪を抱かなかったのは「関係ない」って、どこかにあったからなのだろう。
 普通だから誰にもそういう目で見られない。そういう、自信があった。
 志岐先輩との最初の彼氏契約も、そういう結果にはならないって自信があった。

「政哉、来い」

 それが自分の身に降りかかって初めて、人間は本質を表すんだと思う。
 志岐先輩来たよー。と、既に慣れきってしまったクラスメイトはおれを呼ぶ。悠一はしっしっと手を振り、おれに向かってあっちに行け。と、合図を送る。
 おれも、自分に関係なかったらああいう態度になっていたのかもしれない。いや、間違いなくそうだろう。

 昼休み、何故か知らないが先輩はおれの教室に足を運ぶようになった。

 おれとしては、後輩や悠一と飯を食べた方が気楽だ。でも、それを言っても納得しないのが志岐伊織である。
 偉そうな態度を見ながら渋々弁当箱を取り出す。おれはあの人に好かれていて、おれもたぶんあの人が好きだ。
 一応相思相愛だと世間では言われる筈なのに、煮えきれないのはおれの性格のせいだろう。この問題は、きっと、誰に話しても駄目だと思う。

 オーナーが、おれは先輩後輩っていう立場を壊したくないから、それが怖いから地団駄を踏んでいると言っていたが、半分当たって半分外れている。
 柚木川は特殊な高校だ。でも、一歩外に出れば正常な情報がそこには存在する。

 先輩後輩の関係を崩せば、おれと先輩は一気に近づく。
 先輩後輩の関係を崩せば、おれと先輩は同性愛者だ。

 一番怖いと思ったのは、親もそうだったけど、何より。
 おれが好きだと言って、おれが志岐先輩と付き合って、先輩が。先輩がそのことで、どこかで悪く言われるのが怖かった。
 親の目は見たくない。志岐先輩が傷つくところも見たくない。
 我侭で自分勝手だと思う。そういうのを多少は理解していて先輩はおれに何も言わない。そのせいで、おれは先輩に返事を返さないとしても。

「眉間に皺が寄ってる」
「いで」
「可愛いから、笑ってろ」
「…可愛くないッスよ」
「オレの目は政哉に毒されてるから仕方ねぇよ」

 恥ずかしい事を言う人だ。ドキドキする、胸が痛くなる。
 こういう感情が好きだというものなんだと思う。優しく笑った表情は、おれにしか向けられないものだ。
 独占欲、優越感、でも、おれは逃げている。

「和山先輩はいるんスか?」
「なに、お前見られながらのほうがいいわけ? マニアックだな」
「どこまで変態なんスか」
「好きな奴が傍にいりゃ男は変態になるだろ」

 サラッと言葉を吐き出し、先輩は屋上の扉を開いた。
 恥ずかしい人だ、本当に。
 おれが踏みとどまっている理由を知っているのに、そういう事を言う酷い人でもあるけど。

 屋上は相変わらず空気が悪い。青空は綺麗だけど、雨が多くなったらここにはなるべく足を向けたくない場所だった。
 先に屋上に足を踏み入れていた志岐先輩は手すりに背を預け、購買で買ったパンを広げていた。小さく溜息を吐き出し、おれも傍に近づく。
 一歩、二歩、三歩。近づいて腰を下ろそうとしたら、中腰の状態でバランスの悪かったおれに先輩は腕を伸ばした。
 腰を引かれ、ぐっと体が志岐先輩に近づく。
 倒れそうになって踏ん張るけど間に合わず、座った志岐先輩にもたれかかるような姿勢でおれは膝に預けられた。

「危ないじゃないッスか!」
「あー、いい匂い」
「はなっ、せ!」
「放すか、ばぁか。もうちょい堪能してぇ」

 誰かに、見られたらどうするんだ! ただでさえ、一年の教室を経由して屋上に登らなければならないんだ。
 あの扉が開いたら、知らない奴がおれたちを見たら。
 嘘だったころなら平気なのに、どうして少しでも疚しい感情があったら人間は変貌するんだろうか。
 腰に回った腕の感覚は力強くて放そうとしない。
 放して欲しい、放さないで欲しい。自分の感情に混乱する、素直になりたい、素直になれない。


「政哉」


 ブレザーを捲り、シャツを捲る感覚が背中からする。
 嫌だ、怖い。でも、先輩に触られるのは嬉しい。自分の感情を自分でもコントロールできなくて怖かった。
 そっと、皮膚に先輩の無骨な指が触れる。撫でるだけの感覚なのに、ビリビリと頭が痺れる。
 弁当箱が手から滑り落ちる。高さはないから、中身は大丈夫だろう。
 コンクリートと弁当箱のプラスチックの音が重なる。カツンと聞こえた音に体を震わせると、背に回っていた腕に力が入った。
 右腕は抱きしめたまま、左腕が腹に回ってくる。筋を撫で、腹筋に向かってゆっくり上部に向かう。
 でも、ボタンがそれ以上上に向かうことを阻止し、一旦志岐先輩の手は止まった。
 ほっとしたのも束の間で、手が一気に服の間から抜け出し片手で器用にボタンを外しだした。

「放せっ! が、学校…!」
「戸惑ってるなら、一気に自覚させるのがオレのポリシー。ってか、踏み込ませる?」
「知るか!」
「きゃんきゃん吼えると、キスするぞ。深いやつ」

 押し黙れば「いい子」と、志岐先輩は呟くように耳に言葉を落とした。
 途端、嫌な音がおれと志岐先輩の間から聞こえる。ばさっと聞こえた音は、前のボタンが全部外された音だった。



back : top : next