人を好きになるのって、大変だと…思う。
 おれのイメージでは世界が変わって、華やかになる。って、感じだ。
 でも実際は和泉みたいなストーカーになったり、嫉妬? とか、したりするんだろう。よく分からないけど、大変だと思った。
 バイト先の「Zizz」でオーナーを眺める。
 この人、嫁さん貰って和山先輩育ててるんだよなぁ。おれの親も、裕人の親も、そういう経験を経て生きている。
 悩まなかったのかな。…違うか。悩んだ時、どんな風に解決してきたんだろう、が正しい疑問だ。

「どうした政哉、熱烈な視線だなオイ」
「いや…オーナーって、佐奈さんとどうやって知り合ったのかなーって」
「……熱でもあるのかお前」

 失礼だとは思ったけど、まあ、そう思われても仕方ないとも思った。
 なんというか、おれはこの店の昔馴染みでもあって、そういう話を一切したこと無かったから。
 彼女は欲しいけど、具体的なことは言ったことが無い。
 気持ち悪そうにおれを見るオーナーをトレイの角で殴ってやりたかったが、給料を貰っている身として何も出来なかった。

「おれさぁ、なんかある人に好かれてるらしいんだよね」
「なんだオイ、自慢かよ」
「そうじゃなくてさぁ。…確かに態度はアレ? って、思うところがあるし、悠一や裕人…和山先輩だって妙にその人を気にかけるんだよ」
「那都が?」
「そう。でも…おれはさ、なんでその人が……」

 おれを好きになったのか、わからない。
 男だよ、おれ。志岐先輩はノンケだった筈だ。バイでもホモでもない。そんな人がおれにキスをした。
 出逢ってから、そんなに日も経っていないのに。信じられなかったのは、そこだった。

 なんで、おれ?

 面白いわけでも、可愛げがあるわけでも、いい人間ってわけでもない。
 口は悪いし、自分の事で精一杯だし、先輩に対しても不快感とか、隠さないし。おれもノンケだって始めに言っていた。
 ノンケ同士、恋人関係を仮に作っただけだったのに。いつの間にかおれの生活に入りこんで、中心に座り込んでいる。

「その人さ、おれと比べたら何でも持っているような人なんだよね。だから、わっかんねぇ…」

 おれは先輩をそういう目で見た事がない。
 先輩はおれにそういう言葉を向けた事がない。
 態度だけで判別するなら、先輩は多分おれが好きなんだと思う。そうじゃなかったら、志岐伊織が男相手にキスなんてするだろうか。
 だったら、おれはそれに返事をしなければならなくて。

 でも、おれの勘違いだったら、おれはどうすればいいんだろう。
 嘘だって、冗談だって、言われたら。罰ゲームみたいなものだって言われたら。おれはたぶん、もう志岐先輩と関わることが出来ない。
 胸の中がもやもやする。
 理由は、やっぱりわからなかった。

「お前は昔っから小難しく考えなくていい事を難しく考えるよなぁ…」
「そう、なのかな?」
「ああ。…お前の事を好いてる人間はよく分からないけどさ、要はお前、決定的な何かが出ることが怖いんだろ」
「…? 決定的な、何か?」
「お前の口振りだったら、中途半端に居心地がいいんだろ。その“先輩”は」

 先輩後輩。気兼ねなく話せるようになった。怖いけど、でも、優しい先輩。
 オーナーの言葉に頷けば、だからよ。と、真剣な目を向けられて息を呑む。

「逃げてんだよ、お前。現状に満足してどうにもなりたくないわけ」
「そうじゃ、ねぇよ……」
「悠一や裕人が何言ったか知らねぇけどな、老婆心から言わせて貰うと、若いうちだけだぞ無茶できるのは。満足するのはまだまだ若ェよ青少年」
「でも、おれは……」
「まぁ…怖いわなぁ…。家族も、周囲の視線も。でも、大事にして欲しいのはお前の気持ちだからなぁ」

 何か知っているような口振りに眉根を顰めた。おれは、先輩の名前も言ってないし、先輩だという事も言っていない。
 オーナーは「先輩」と、言っていた。
 和山先輩が何か言っているようにも思えず、口を開き尋ねようとした時、背後のカウベルが来客の鐘を告げた。

 朝、屋上ぶりに視界に入った存在に目を見開く。
 なんで。と、かすれた音が口から出た時、オーナーの楽しげな声が聞こえた。

「那都が気にかける人間は、限られすぎるから一発でわかったよ」

 志岐伊織。
 その人の真直ぐ伸びた視線は、おれだけに向けられていた。



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