「で、政哉。そろそろ話を聞きたいんだけど、俺」
「(覚えてやがって)」

 春樹達は次が体育の授業らしく、忙しなく教室を出ていった。体育祭も終わって、梅雨入り前の体育はバスケらしい。
 体育館の熱風で和泉が倒れないか少しだけ心配になった。
 悠一は紙パックのバナナ・オレをじゅーっと音を立てて飲み干し、じっとおれを見る。手元には空になったパンのごみがあった。
 腹も膨れて、忘れていてくれたならよかったものを。しっかりと覚えられていたらしい。
 時間も経ち、徐々に落ち着いてきたのに、おれとしてはあまりあの話は蒸し返したくない。が、話を聞くだけの悠一としてはそうではないのだろう。

「サボるかもよ」
「いい。次は科学だし」
「おれがヤバイかも」
「俺科学得意だから」
「……」
「政哉」

 悠一がじっと見据えてくる。この目はよく裕人がする眼差しだった。おれを心配してくれていると分かる目。
 …そういえば、裕人は、おれが先輩を好きだとか訳のわからない事を言っていた。悠一もそう思うのだろうか。見えるのだろうか。おれが、先輩を好きだって。
 ペットボトルのお茶を飲み干した。いくら飲んでも喉の渇きは収まらなくて、体内に燻ぶる熱は鎮火せず、ずっと、じわじわと燃え続けていた。

 唾液を飲み込む音がやけに大きく鼓膜から響いてくる。
 廊下からは呑気な同級生の声が聞こえているのに、隔絶された空教室ではおれは、自分の心臓の音しか聞こえなかった。
 ぐっと拳を膝の上に作って、悠一を真正面で見据える。黙ったままおれを見ているクラスメイトを双眸にいれ、乾ききった唇で、おれはなんとか言葉を紡いだ。

「き……キス、された」
「……志岐先輩に?」

 聞きにくい事を、どうしてこうも躊躇無く言えるのだろうか。半眼で睨みつけても一切効果はなく、いたって真剣な面持ちで悠一は言葉を紡いだ。

「で…好きって言われたのか!?」
「はあ!? い、言うかよ! 知るかよ!」
「へー…。志岐先輩ってやっぱり手ェ早いんだ。べろちゅー?」
「するかそんなもん!」

 すぐ傍にあった悠一の額に頭突きを入れれば、苦悶の声が突っ伏した机から聞こえてきた。おれも多少痛かったけど、痛みなんて感じる余裕も無かった。
 好きとか、べろちゅーとか、馬鹿かこいつは!
 そんな事を言われたり、されたりしてみろ。相手は不良で、強くて手が出せない人だけど、おれだって抵抗するし、最悪股間踏み潰す。

 ……だから、戸惑ってるんだ。

 優しすぎたんだよ、あれは。触れ合ったのかも分からない程で、掠める程度の唇の温かさは幻のようなものだったから。
 ファーストキスを奪われたのに、あまりにも呆気なくて、事前にしてもいいか? なんて、断りを入れられて。
 怖いとか、嘘だろとか、そういう先輩に対しての負の感情みたいなものを浮かべるよりも先に離れたから、おれは戸惑うことしか出来ないんだ。優しすぎた、から。

「政哉さぁ、お前って何かに怒ってるの? それとも、戸惑ってるだけ?」
「……たぶん、両方。でも上手く言えねぇの」
「俺さぁ、お前がノンケだって知ってるから言うけどさ。嫌悪感、無かった?」

 嫌悪? 気持ち悪いとか、触れられたくないとか、だろうか。
 だったら、それはない。
 先輩がおれに触ってくるのは今更で、最初の頃のは必死で逃げていたけど、今はそんな事は特に思わない。キスもたぶん、その延長なのかもしれない。
 体舐められて、キスマークつけられて。
 今更だけど、そんなスキンシップで思考がおかしくなっているのかもしれない。
 首を傾げれば、悠一はへらっと笑って「わかんないなら、いいや」と、よく分からないうちに完結してしまった。

「話してみてちょっとはスッキリしたか?」
「……おぅ。さんきゅ、悠一」
「はっはっはっ。まあ、お前らすっげぇ面白いからな!」
「……」

 二度目の頭突きは、一度目よりも鈍い音が響いていた。



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