「……なあ、悠一」
「んぁ?」
「お前おれとキスできる?」
「…………大丈夫か、頭」

 胡乱な眼差しを向けてきたクラスメイトの返事に、だよなぁ。と、小さく息を零した。
 あの後、どうにか火照りを押さえ込んで教室に戻った。いい加減サボるのやばいぞ。と、クラスメイトから言われて曖昧な返事を返す。
 おれだって、サボりたくてサボってるわけじゃない。もうすぐ中間考査だし、授業にはしっかり出たい。でも、仕方ない。……志岐先輩がおれを呼んだから。
 自分の机に突っ伏し、重苦しい息を吐き出す。悠一はそんなおれをじっと見ているんだろう。居心地の悪い視線を感じた。

「……悠一って彼女いたっけ?」
「いねェよ」
「お前さぁ、誰か好きになったことある?」
「え、お前好きな奴できたんだ!」
「茶化すなうぜぇ」

 顔だけ上げて視線を向けると、ニヤニヤとした嫌な笑みを向けられた。むかつくとは思ったけど、言わなかった。たぶん逆の立場だったら同じ事をおれもするから。
 悠一はちらりと周囲を見てそっと顔を近づけてきた。
 これがもしも志岐先輩だったら精一杯おれも逃げるけど、悠一相手にそんな行動はする意味も、必要性も感じられない。
 耳の傍に悠一の気配を感じたかと思えば、悠一はそっと耳打ちをした。

「志岐先輩?」

 ガダンッ!

「牧野? お前ら何してんだよ」
「なんでもねー。政哉が寝ぼけただけ」
「気ィつけろー」

 頭上で飛び交っている言葉を耳に入れながら、おれは机の下から悠一を睨みつけていた。こいつが変な事を言うから椅子から滑り落ちたのだが、当の本人は一切気にしていない。
 それどころか、寝ぼけてたとか! 今の今まで会話していたのは誰だと問いただしてやりたい。
 フローリングの床で強かに打ちつけた尻を擦りながら起き上がれば、さっきよりも一層にやにや笑っている男の顔が視界に入った。
 今度こそムカついたから、睨みつけてやったけど全然気にした様子がなかった。

「告白でもされたか!?」
「されるか」
「したのかよ!」
「するかよ!!」

 馬鹿じゃねぇのこいつ! いっそ本気で殴ってやろうかと思ったら、都合よく頭の上から授業を知らせるチャイムが鳴った。
 無意識に上がっていた腕は下ろされ、そのまま自分の席に座る。
 だらだらとクラスメイトが椅子に座り始めた頃、やっと担当教科の先生が扉を開いた。目に入った先生を見て、サボらなくて良かったと本気で思った。
 黒縁眼鏡にアッシュグレイの髪が特徴の社会科担当磯山先生――通称いそやんは課題が多いことで有名な先生だ。
 一見だらしなくて言動もいい加減だが、こっそり仕事はしている先生である。授業は適当だが意外に分かりやすい。課題は多いけどその分テストが簡単でその辺で人気だ。


『牧野。オレ次の授業出たいんだけど。担当いそやんなんだけど、課題多いんだけど』


 ……先輩、結局さっきの授業出れてないよな。いそやん課題多いけど大丈夫かな。何気にあの人って受験生なんだよな。大学とか、行くのか?
 って、なんっでおれが志岐先輩のこと考えなきゃいけないんだよ。
 おれのせいもあるけど、志岐先輩だって変なこと…言ったし、した、し。すぐに思い出せる屋上の出来事に、頭は自然にうな垂れた。

「政哉」

 悠一の声に頭を上げれば机の上に紙があった。…携帯あるんだから、メールでも送ればいいじゃねぇか。
 適当に折られたルーズリーフを開けば、短い言葉がそこにはあった。

『さっきの時間、何かあった?』

 笑ってたくせに…なんだかんだ、悠一も気にしてるのかもしれない。
 シャーペンを掌で回転させ、止めた。『話すよ』裕人意外にこういうの話すのは怖いけど、こいつって何だかんだ最初から関わってるんだよな。
 怖さと、照れと、感謝を込めて手紙を頭の上に投げつけてやった。少し睨まれたが、さっきのお前の行動でお相子だ。



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