見られてる。じっくり、ねっとり、絡みつくように。
 居た堪れない。久々に味わう感覚はやっぱり慣れないものだ。隣には半分おれに凭れている和山那都。
 重いし、暑いし、邪魔だ。歩きづらい。
 志岐伊織は数歩離れた場所を歩いていたからパシリと不良の関係に見えたけど、柚木川でこのポーズは非常にまずい。
 志岐ファンだけじゃなく、和山ファンにもフルボッコだ。
 誰か、誰か味方…! きょろきょろと視線を動かせば、ブレザーの群れの中に埋もれる一人の存在が在った。

「あ、和泉」
「まき……牧野先輩、和山先輩。おはようございます」
「……はよ」

 後輩の和泉は気まずそうな顔でおれと和山那都を見比べる。事情が事情なだけに仕方ないだろう。
 声をかける相手を間違えたかな?
 和泉を見れば、彼は睨みつけるように和山那都を見つめていた。
 ……そういえば、おれは和泉に和山がおれを彼氏にすることを発案したのだと言っている。もしかして、そこで敵意を覚えているのかもしれない。

「俺、志岐先輩と牧野先輩は好きですけど貴方は嫌いです」
「…ん」
「牧野先輩から離れてください。先輩が困ってるじゃないですか」

 お……男前! 可愛い見た目に反してやっぱり和泉は男前だ。陰険なストーカーを行っていた男には見えない。
 そんな小動物に対し、和山那都は見下ろし、ふぅん。と、おれの耳元で小さく吐息を吐き出した。
 き、キモイ! 近い!

「懐かれたんだな、牧野」
「懐くってか…大事な後輩でしょ。和泉は」
「いい子」

 寄りかかっていた体重が離れたかと思えば、ふにっと頬に柔らかい感触が当たった。

 ぎゃああああ! これ、おれの悲鳴。
 きゃああああ! これ、周囲の悲鳴。
 何してんですか! これは、和泉の非難。

 おい。和山。 聞こえたのは、あいつの声だ。

「テメェ、何してんだよ」
「あ、志岐」

 振り返る動作に一瞬戸惑いを覚えた。それでも体が自然に振り返って、姿を双眸に収める。
 朝日がこれほど似合わない存在がいるのだろうか。
 獰猛な肉食獣を思わせる雰囲気の男が背にいた。漆黒の髪には赤いメッシュが踊り、シャープな眼差しはじっとおれを睨んでる。
 喉がゆっくり上下する。その間に男の双眸は一層細くなった。

 血の、匂いがする。

 今まで甘ったるいなにかの匂いや、シャンプーのような香りが強かったのに。
 鉄錆の、鼻に残る香りが届いた。


「来い」


 絶対命令。そんな言葉が聞こえてきそうな声音に、周囲の音は飛散した。



× × ×



「はな、せ!」
「うるさい、黙れ、喋るな、うぜぇ」

 一刀両断で話す事すら拒絶されているおれは、腕を振り払おうとするのに力で敵わない。ずんずん先に進まれているから自然に小走りになる。
 向かっている場所はなんとなく分かった。今まで避けていて、気にしていた場所だからだ。一年の教室を通り過ぎ、階段を大股で駆け上がっていく。
 古びた扉が眼前に広がった時には、青空が嫌味ったらしく双眸に映りこんでいた。

 屋上の空気は少しだけ冷やりとしている。
 梅雨の空が微かに空に見えかけている。振り返った獰猛な獣の双眸は、おれを容赦なく射竦めた。
 ぎらぎらと睨みつけられると獲物になった気分になる。
 背中からは無情にもワンテンポずれて古びた扉が音を立てて閉まった。

 ガン! けたたましい音に背中に衝撃が走る。
 志岐伊織の手がおれの真横に伸び、おれの背中は屋上の壁に押し付けられた。

 どこかでデジャヴを感じた光景は、頭の片隅であの日の記憶と合わさった。
 ノスタルジー溢れる夕焼け空、場所は違ったけど光景が同じだった。生徒の声が溢れている朝の空気の中、記憶の中では赤色が瞬く。
 あの日以降おれは志岐伊織と仮に付き合い始め、今は、別れたと言うか、当初の関係に戻っている。
 筈だった。


「――牧野」


 睨んでくる眼差しの鋭さに怯みそうになる。いや、実際は怯んでいる。逃げ出したくてたまらなかった。
 出来なかったのは、何故かそんなことをしちゃいけないって思ったからだ。

 なあ、何がしたんだよ。お前、おれと関係持ってても得なんかないじゃん。なんで、なんであんたは。
 おれの事を、悔しそうに見るんだろう。

「お前……和泉に、脅されてんのか」
「……は?」
「じゃ、なかったら。なんでアイツと一緒にいるんだよ」
「後輩だから…?」
「お前あいつのせいで襲われたんだろ!!」

 ぐっと顔の横にあった手が、握りこぶしの形になった。吐き捨てるような言葉を俯きながら、吼えるように志岐伊織は喉から振り絞る。
 どうしてそんな風に志岐伊織が怒鳴るのかおれには理解できない。
 確かにそうだけど、そういうこともあったけど。でも、今の和泉はおれに何もしない確信がある。そうじゃなかったら、たまに泣きそうな顔でおれを見ない。

 血管が浮かびそうなほど握られた志岐の手を、自然に掴んだ。
 大きな手、ムカつく事におれより一回り大きい。触れる程度の力を込めれば微かに反応がある。
 のろのろと顔を上げた志岐は、少し、情けない顔だった。

「和泉と話をしたんです。おれが考えてたよりあいつ男前で、しっかりしてて、尊敬できる部分があった。頑固で一途だけど、でも、もうおれの大事な後輩だ」
「……」
「おれはやっぱり志岐、先輩は間違っていると思う。話し合いしてたら、解決してたかもしれない、解決しなかったかもしれない。どっちにしても、するべきだった」
「――……」
「おれは、」

 おれは、志岐先輩を尊敬してた。
 強くて、かっこよくて、怖い。でも、優しかった。
 エロかったけど、それは和泉を嵌めるための計画だったのかもしれないけど、あのときの時間は楽しかった。

「おれは、志岐先輩にあんな事、して欲しくなかったよ」

 だってあれは、おれを助ける行為じゃなくて。先輩を貶す行為だったから。



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