裕人は両親と、下に妹がいる。二個下だから今は中学三年。兄貴がバスケのヒーローなら、妹は勉学のクイーンだ。五教科オール満点三連覇の記録は破られるものじゃないだろう。
 裕人の家はおれの家から近い。お隣さんではないけど、徒歩で30秒程度だ。見慣れた玄関は最早自分の家の感覚もあるほどだ。
 ドアノブを回し、家の中に入っていく裕人は久々に見たけど、馴染んでいるものだった。

「あ、裕兄おかえりー。政くんおひさー」
「えーこちゃんおひさー」

 藍田栄子、小さな頃からえーこちゃんと呼ばせていただいている裕人の妹だ。
 五教科満点の彼女だけど、見た目はガリ勉のイメージはない。髪は短くて、どこか爽やかだ。陸上部の選手みたいな感じ。
 兄妹揃って爽やかスポーツ漫画から出てきました。って、印象を持ってしまう。
 でも、えーこちゃんは喋り方は少し間が抜けている。そこが可愛いとおれはひっそりと思ってる。

「ね、あたしのガトーショコラは?」
「あるよ。俺と政哉部屋に行くから、シュークリームとコーヒーゼリーは残しといて」
「部屋に二人きり? 政くん。男は狼お気をつけてー」

 相変わらず意味のわからない事を言うえーこちゃんに、裕人は心底嫌そうな顔をしている。たぶん、こういう顔は身内にしか見せないんだろう。
 柚木川に入るまで知らなかったけど、えーこちゃんはBLの世界に興味がある腐女子らしい。腐男子を先に知ったおれだけど、割と女子の方がポピュラーだそうだ。
 薄々は勘付いていた裕人は、おれが男子校に入学してテンションの上がったえーこちゃんを見て気づいたらしい。と、いうか、言葉に出しているのを聞いちゃったらしい。
 日本終わったな。

 まあ、そんな妹がいたから裕人もおれの相談に普通に乗れるのかもしれない。おれはあの高校で耐性ついたけど、裕人は一切関係ないし。
 その点ではえーこちゃんに感謝。本人には言えないし言わないけど。
 ちなみに、彼女はおれと裕人にくっ付いてもらいたいらしいが、おれも裕人も断固拒否している。
 何で裕人相手に攻めだか受けだか考えなきゃいけないんだって話だ。

「えーこちゃん節さすがだなぁ」
「政哉のんきだな…。あいつの頭の中じゃ俺とお前はベッドインしてるんだぞ」
「御勘弁してください。すっげぇな、えーこちゃん」

 昔は政哉兄ちゃん。って、後ろを健気に追いかけてきてくれていた純真無垢な少女が、今は兄貴同様爽やかな笑みの裏、そういう事を考えている。
 月日って本当むごい。まあ、おれはそんなえーこちゃんが喜びそうな、ネタの渦中の存在だったけど。

 裕人は椅子に座って、おれは定位置、ベッドの端に腰を下ろした。
 じっと見てくる眼差しから逃げることも出来ず、ゆっくりと口を開いた。下からは、えーこちゃんと、裕人の母さんの笑い声が聞こえていた。



× × ×



 話し終わった頃には、夕方の色も変化していた。藍色と黒を混ぜたような空の色。部屋の電気をつけて、裕人はおれを見つめていた。
 裕人の部屋には物がない。それは、こいつがここに住んでいないからだ。
 バスケの有名選手のポスターが壁に一枚残されていて、それだけが名残のように思える。ベッド、勉強机、ローテーブル。それだけが、部屋にあった。

「――和泉君は、普通に話すのか?」
「普通じゃないよ。時々、気まずくはなる」
「志岐先輩とは?」
「……会ってない。話してない」

 あの人から、離れたんじゃないか。なにより、おれは裏切られたんだ。
 あんな風にしなくて良かったじゃないか、もっと、話し合うことが出来ればよかった。
 和泉の件だって、話してみたらあいつは努力家で、行き過ぎた部分はあるけど、いい奴だ。そういう機会を根こそぎ奪って、志岐伊織は傷つけたんだ。

 俯いたおれに裕人の顔は分からない。でも、長い沈黙が続いていた。
 黙って、何を考えているのかおれはわからない。ただ、小さく言葉を飲む音がして顔を上げたら苦笑を浮かべている裕人がいた。
 こんな話、おれが聞かされたら一緒になって混乱する。でも、裕人は何かに気づいているみたいだった。

「政哉は、何もかもが大事なんだな。平等に、均一に」
「当たり前だろ」
「でも、志岐先輩は違うんだよ。目の前のものしか、大事に出来ない」
「……意味が、わかんねぇんだけど」
「俺と似てるのかもなぁ。俺も、たぶん。目の前のものしか大事に出来ないから」

 よくわからない事を言い出した裕人にじっと視線を向けた。
 何を言えばいいのか、胸に詰まるような表情を作られた。
 おれは、悪くない。おれが、悪い。だって、おれは。

「政哉は和泉に傷ついて欲しくなかったんだよな。志岐先輩には、そういうことをして欲しくなかったんだよな。話していて」


 ――好きだと、思ったから。



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