カラン。バイト先喫茶「Zizz」のカウベルが音を立てる。
 人の少ない時間帯、甘い香りが厨房から届き悲鳴をあげそうになった瞬間、入ってきた人物を見て思わず大きな声が出た。

「裕人! うっわ、お前何しに来たんだよ!」
「相変わらずだな政哉。ケーキ買いに来たんだろ。ここのケーキ母さん好きだし」
「お、裕人じゃん。うぃっす」
「マスター、お久しぶりです」

 現れた人物は、好青年です。と、自ら言っても差し障りのない笑みを浮かべた藍田裕人だった。
 裕人はバスケの推薦で寮暮らしだ。寮暮らしと言っても、近い場所だからすぐに帰って来る事が出来る。それでも、珍しい来訪に自然に頬は緩んだ。
 この店は小さな頃からおれと、裕人の家が贔屓にしている。
 だからオーナーとも知り合いで、バイトの時給もそれなりに頂いている。裕人の母さんが好きなチーズケーキをすぐさま詰めだしたオーナーも、珍しい来訪に気さくな笑みを零していた。

「なんでいるんだ?」
「バスケの試合。みんな電車で帰ったけど今日は家に帰ろうかなって」
「へぇ。相変わらず頑張ってんだな」

 さすが、次のキャプテン候補。にやにやと言えば、苦笑いで返される。大人の対応、でも、嫌味じゃない。
 厨房からは騒ぎを聞きつけた春樹がこっそり顔を出す。新しいバイトに気づいた裕人は笑みを浮かべ、頭を下げた。
 春樹はそれを見て慌てたように頭を下げる。小動物みたいな動きに笑う。

「政哉、今日はもう終わるか?」
「え? なんでスか」
「話したい事がある。って、顔にある」

 ケーキを詰め終えたマスターはにっと笑った。



× × ×



「相変わらずマスターは政哉に甘いよなぁ。ま、新しいバイトの子のおかげかな」
「春樹すっげーいい子だよ。でも甘党なんだよな」

 帰り道、夕暮れの世界の中裕人がおれの隣を歩いている。
 なんか、久しぶりな気がする。中学のときはほとんど一緒に帰ってた。ゆっくりとした歩調で、背が高くなった裕人を見る。
 顔を合わせないで、久々に見る裕人は背が伸びている気がする。
 ずるいなぁ、おれ、170台いきたいのに。眺めていると笑って「なんだよ」と、柔らかい声が耳に入る。

「いやいや、おれの幼馴染様は相変わらず男前だなーって」
「いえいえ、俺の幼馴染様も相変わらず可愛らしいようで」
「……可愛いは、褒めてねぇだろ」
「そうか?」

 まあ、おれからすれば裕人は同い年なのに兄貴みたいな存在で、裕人からすればおれは出来の悪い弟みたいなものなんだろう。
 だったら可愛いも仕方ない意見かもしれない。
 バスケの試合の話や、寮生活を聞いて笑う。流れるような空気の中気兼ねなく言葉を発する事ができる。やっぱり、こいつの近くは落ち着く。
 へらっと笑みを向ければ、裕人はおれの頭の上に手を乗せた。

 それが、なぜか知らないけど。
 志岐伊織の動作と被ってしまった。

「――政哉?」
「え、あぁ…悪ィ」

 気づけば振り払うようにおれは裕人と距離をとっていた。別に、裕人が悪いわけじゃない。おれが変なだけだ。
 訝しげな視線を送ってきていた裕人が、小さく息を吐き出し苦笑を浮かべた。
 裕人には話している。体育祭前までの事だけど。おれが志岐伊織の彼氏だったこと、和泉のこと。でも、あれ以降は触れていない。おれが触れたくなかったから。

「志岐先輩と、何かあったんだな」
「……」
「無言は肯定。…ったく、俺の家行くか?」
「……いく」
「良かった。政哉のケーキも一応買ってたんだ」

 丁度いい距離に、いつも裕人はいてくれる。おれはそれに、馬鹿みたいに安心するんだ。笑った顔で頭をなでられた。
 今度は、振り払うことをしなかった。



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