じっと見つめてくる瞳は、無機質な鉱石を思い起こさせた。
 おれの中に生じた感覚は、ただ、単純に「ふざけんな」という感情だ。折角取り戻している日常を、どうして再び変えなくちゃいけないんだ。あいつに会って、どうするって言うんだ。
 大体、志岐伊織から離れたんだ。おれがどうこう出来る問題じゃない。

「……なんで、和山先輩はそんなに志岐先輩を心配してるんスか。元は先輩が計画したのに」
「うん。でも、志岐はいつだって牧野の事考えてた」

 信じられる話じゃない。おれはそのまま拒絶するように口を塞いだ。
 和山那都もそれ以上は何も言わず、ゆっくりと扉に向かって足を動かした。最後に一言「ごめんな」と、言葉を漏らして。



× × ×



 ――翌日。
 大きな欠伸を零しておれは、昼休み一年のクラスが配置されている廊下を歩いていた。
 学年ごとにネクタイのラインが違うから、少しだけ視線が痛いが、噂の渦中にあったときよりもその数は減っているように思える。
 手には二つ折りの白い紙があった。中身はバイトのシフト表。
 昨日オーナーが新人バイト、羽月春樹に渡し忘れたものだ。
 春樹には電話をし、店で渡すことも考えたけど出来るだけ早く仲良くなりたいと考え、同じ学校の利点を生かして渡しに行くことにした。
 シフトにはびっしりと春樹の名前が入っている。金が必要なんだろうか? それとも、よっぽど暇なのか?
 週に三日か四日のおれも結構入っているけど、春樹はほぼ毎日だ。
 まあ、プライベートな問題だから深くはツッコミを入れないでおこう。おれもあまり触れて欲しくないし。

 それにしても、一年の廊下は未だに歩きづらい。
 減ったと言っても和泉の一件からどうにも敵視されている気がしてならない。…まあ、一年生だからまだまだ初々しくてホモホモしくはないが。
 そういう感情よりも、もしかしたら憧憬のほうが強いのかもしれない。理解できないが、そんな雰囲気だった。

「C組…だったよな」

 受信メールでクラスを確認し、携帯をポケットの中に押し込んだ。
 開けっ放しの教室の扉から中を覗きこむ。少しずつ学校に慣れてきている一年は突然の先輩の登場にじっと目を向けてきた。
 男同士のラブストーリーに興味が無い存在は、物珍しそうにおれを見る。
 噂を知り、様々な感情を抱いている人間の眼差しは形容しがたい感情が込められていた。
 そんな中、おれが見つけるよりも先に聞こえた声が耳に入った。

「あ、政哉センパイ!」
「ちっす。悪いな春樹。昼飯の邪魔して」
「いえ。おれこそ迷惑かけてすみません」
「オーナーのミスだから気にしなくていいよ」

 ああ…やっぱ癒しだこの存在。シフト表を手渡せばにこりと笑みを作る。
 中学のときにも後輩はいたけど、春樹は妙に癒される。最近心に平穏がなかったせいで、たぶん普通の存在に飢えていたんだろう。
 周囲の人間はセンパイとおれを呼んだ春樹を見て、顔見知りだとわかった為か、先程よりも視線はぶつけてこなくなった。
 教室の中はまだ小柄な生徒が多い。初々しい雰囲気に、おれも最初はこうだったんだなぁ。と、思っていたらその中でも小柄な存在に気づいた。

 色素が薄く日に当たればハニーブロンドを思わせる髪。女の子でもないのに、守らなければと思ってしまうほど細い双肩。
 驚いた眼差しはすぐに変化し、おれと、春樹の方にその存在は歩みを向けた。
 おれの沈黙に春樹も気づき、振り返ってそいつの名前を呼んだ。


「和泉」


 和泉かなで。志岐伊織のストーカーだった存在。
 おれを貶めようとして、志岐伊織に貶められた存在。
 出会う可能性を見出すこともせず、おれは最大のミスを犯していた。

「……どうも」
「あ、あぁ…」
「和泉って政哉センパイと知り合いなの?」
「ちょっとね。…羽月、俺ちょっと牧野先輩と出てくるよ」

 ぐっと見上げられる。おれと和泉に挟まれて春樹は疑問符を浮かべるだけだ。
 ヒソヒソと聞こえてくる声は、おれと和泉の関係を知っている声だ。真直ぐに突き刺さる視線を受け入れ、おれは春樹に言うしかなかった。

「――悪いな、先生にそれらしい理由言っておいて」



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