ノーと言えない日本人。が、イエスとも言えないのがおれだ。

「り、理由は」
「あぁ?」
「理由は、その……ホモじゃないなら、なんで」

 怖ェよ。眉の間に皺を刻み込んだ男を至近距離に感じ、背筋が粟立つ。殴られたら骨折、死にはしないが苦しんで絶対骨折する。殴られたら絶対骨は折れる、むしろ砕けるかもしれない。が、骨は折れても治るがこの状況でイエスと言ってしまった後の事を考えれば、少なからず抵抗した方がいいに決まってる。
 志岐伊織はおれの言葉にしばらく沈黙を守ったが、体を離し溜息を吐き出した。自分の後頭部に手を運びがしがしと乱暴に頭を掻く姿でさえ、おれとは雲泥の差であることを場違いながら若干ショックを浮かべ、志岐伊織を見ているとおれと距離を取り、壁から残っていた片手を離した。
 気まずそうな顔だ。不良ってこんな顔浮かべるのかよ。校舎裏に春先の少しだけ冷えた風が通る。志岐伊織の赤く染めた前髪が少しだけ浮き、風で浮いた前髪の向こう側に見えた志岐伊織は頭を掻いていた手を止め、ポケットの中に手を運んだ。

「面倒な奴がいてよ」
「はぁ……」
「わけ分からねェこと言って言い寄るんだよ。胸糞悪ィ」
「(意味わかんねぇ。え? 自慢?)」
「一年のガキがどれだけ脅しても近づいてくんだよ。わかるかよ?一年、この学校の、一年」
「……志岐先輩ストーカー被害にあってんスか…」

 女なら突っ込んで終わりだけど男になんか突っ込みたくもねぇよな! なんて、鬼気として最低なことを言ってくる顔は怖い。近づきたくない。離れて欲しい。が、なんとなく状況が読めてしまう自分が嫌になった。
 目立つ外見の障害はおれには理解できないが、志岐伊織を見ていて不思議に思う。むしろよく今までそういう事がなかったな、なんて。この学校はホモが多くて、女の子成分はミジンコ以下、いや、ない。皆無だ。保健室に50代のおばちゃんがいるぐらいだ。
 その代わり存在するのは可愛い小柄な少年に、目の前にいるような志岐伊織のような美形の男。明らかに出会いを意識して入学する人間もいるらしく、入学当初は本気で後悔した。もっと勉強して少し離れている共学の高校に入学すればよかった。と、本気で思った。

「今までも何人かそういう馬鹿な奴がいたんだけどよ、脅せば逃げていくのが当然でな。そいつがしつこいのなんのって」
「はあ」
「で、どうすりゃ良いか考えた結果、女がいるのは向こうも知ってっからオレにも実は“彼氏”が、いることにすりゃいいって思ったっつーわけ。分かる、牧野」

 言いたいことは分かる。原因も分かる。所謂有名税みたいなものだろう。が、どうしておれが巻き込まれたのか理由が一切分からない。恐怖よりも少しの哀れみと、疑問に支配されたおれの顔を見て、志岐伊織は上から下までじっくりと視線を伸ばし平然とした顔で言った。


「相手が男のくせに可愛い系だったからよ、オレが平凡童貞好きだって言えば諦めるだろ」


 だから協力頼むわ、牧野クン。言外にあるのは「逃げたらテメェぶっ殺す」の言葉だった声音におれは平凡童貞の言葉に怒ることも出来ず、結局ノーと言えない日本人は理由を聞き出しそれで諦めて頷いた。

 牧野政哉16歳、春。
 彼女の代わりに彼氏(仮)ができました。



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