志岐伊織。
 名前を聞くだけで近隣高校の生徒は脱兎の如く逃げ出す存在。関わるな、触れるな、語るな、目を合わせるな。それは本当に人間に向けたフレーズなのかと聞いてしまいたくなるような存在。そんな男が、おれにとっては強面でしかない顔で語り始めた。壁には手、その間にはおれ。逃がす気なんて毛頭なかった。

「ここさ、男子校だろ?」
「……はあ、まあ」
「一年じゃ実感湧かねぇって思って二年に向けたけんだよ。オレが呼び出した理由、察せられるか?」

 意外に饒舌なんだな、こいつ。現実逃避真っ只中のおれは、見据えてくる眼差しにぎょっとする。
 男子校、汗の香り、図太い男共の集団、夏場になれば体育の終わりなんてパンツ一丁で歩き回る猛者もいる。高校三年にでもなれば、おっさんじゃね? と、思うような人材だって現れる。
 それが男子校。おれがこの学校に入学する時に抱いていたイメージ。そのイメージは変わる事がない事実で現実だったが、おそらく志岐伊織が言外に含んでいるイメージは、おれがこの学校に入学して気づいたもの。気づきたくなかった男子校のプラスアルファ。見たくなかった秘密の花園。

「ほ、ほも……?」
「案外勘いいな、おまえ」

 シニカルな笑みは女子ならずとも男子もついて行きましょうぞ! 当然そっち系のな。
 生憎だがおれはノーマル、女の子好き、らぶ、愛してる。女性は皆守るもの、女の子はお花。と、至極真面目にいるほどの女好きだ。変態臭い物言いだが男子校に入って悪化した生徒は多い。出会いを外の世界に求めているのはおれだけじゃない。
 だから血迷った被害者は魔窟へ堕ちることを望んでいるホモ野郎に餌食にされる。どう見ても可愛いあの子は受け、ドSなあいつは攻め。知らなかった知識は身を守るための知恵として吸収しなければならなかった。幼馴染の裕人にそれを言えば、爆笑後、気の毒そうに笑いを堪えていたが。

「あ、先に言っておくけどオレはノーマルだからな。ノーホモ、イエスライフ」
「……は?」
「でも、オレはおまえに“彼氏”に、なってもらいたい」

 矛盾してんじゃねぇの? こいつ頭沸いてんの? え? え? え?
 志岐伊織のもう片方の腕がおれの顔の横に伸び、完璧に壁と志岐伊織に挟まれる形になった。なにこいつ。ノーマルでホモじゃないのにおれに彼氏になってほしいとか、さっぱり意味が理解できない。
 嫌な笑みを志岐伊織が浮かべる。今までのものとは雰囲気が違う、肉食の獣のような笑みを浮かべ顔を近づけた。明らかに向けられているのは好意ではなく、支配者が奴隷に向けて浮かべる嗜虐的なそれだった。

「答えは? 牧野政哉」

 ノーと言える日本人は一体どこに行ったのだろうか。



back : top : next