(伊織:sid)


 五月の屋上の風は結構寒い。四月よりは寒くないけど、やっぱりまだブレザーが無ければ身震いする。そんな中、平気で眠っている和山は正直化物か? と、たまに思うときがある。
 運動場では体育中の二年が、今度の体育祭のために張り切った動きを見せている。そういえば、賞品が出るとか学園全体ではしゃいでいた気がする。気がするのは、HRに出ていないからわからないだけだ。
 手すりに背中を預けていた和山がガクッと首を動かし、緩慢な動作で目を開ける。呑気だ、こいつ。腹の中では何を考えているのか分からないが、結構色々考えているらしい頭は今は眠気でいっぱいなのだろう。

「…お、牧野じゃん」

 少し小柄で、一切染めていない髪の平凡な男が騒がしく走り回っている。その後ろにはネットを持って彼を追いかけているクラスメイトだ。そういや、障害物に出るとか愚痴を言っていた気がする。
 じぃっと何の気なしに眺めていると、ネットを網のように広げられ、捕獲されている牧野が見えた。思わず声を出して笑ってしまった。さ…魚かよ…! 獲物かよ…!

「…機嫌、よさげ」
「あ? あぁ…面白いもん見てるからな」

 ネットに引っかかり、怒っている様子が屋上からは丸見えだ。牧野の周りには他にも障害物に使用する器具を持ったクラスメイトが現れる。あのポジションが自分だったら大暴れするが、他人がやられている姿は面白いだけだ。
 じっと眺めていると、和山も気になったのか首をそらして見下ろし、納得したように言葉を放った。

「牧野」
「おお。馬鹿面だよな、障害物に出るんだってさ」
「ふぅん」
「オレと和山も一応出るよな体育祭。高校最後だし、少しは張り切らねぇとな」

 それなりの付き合いになりそうな後輩も出来たことだし。昨夜の挙動不審な牧野を思い出し、思わず笑う。平凡で、特徴のない顔だけど表情がころころ変わる。感情が馬鹿みたいに顔に出るし、平然とオレに向かってエロだの、死ねだの言い放つ。
 従順なやつより、牧野の方が断然いい。
 真っ赤な顔をして、裏返った声を震える唇から生み出す姿もまあ、女だったら完全に襲っている姿だった。こう…妙に身長が低いから駄目なんだな、きっと。変に襲えるから。

「お気に入りだな」
「おうよ。可愛い後輩だからなー」
「……でも、牧野迷惑じゃねぇの?」
「――言うなよ。まあ、体育祭までの付き合いだろうよ」

 オレ、やられっぱなしって大嫌い。牧野政哉はオレの物だって伝えているから手を出すとは思っていたし、いつか牧野は襲われると分かっていた。でも、オレの想像よりも速かった。体育祭の後になるだろうと思っていた。
 完膚なきまでに叩き潰す。牧野のためじゃない、オレのプライドのためだ。牧野はこれからも面白い後輩として付き合っていけばいい。彼氏である必要は、今度の体育祭で終了だ。

「……ほんと、馬鹿面」

 眼下でネットを潜り抜けた牧野がクラスメイトに襲われていた。遊びの意味で、だ。
 怒っているけど、あれはどこかで楽しんでいる顔だな。小学生のようにはしゃいでいる後輩たちの姿を見て、若さっていいよなぁ。と、呟いた。

「羨ましいのは、若さだけか?」

 和山の言葉は五月の風が攫い、オレの耳には届かなかった。



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