いつの間にか、おれの腰を掴むように先輩の両手が伸びていた。屈んでおれを見上げる志岐先輩、立って先輩を見下ろす牧野政哉、つまりおれ。
 明らかに体勢はおれが有利なのに身動きが取れなかった。

「牧野って腰、細くね?」
「じ、自分じゃ、わ、分からないッスね」
「何、どもってんの」

 おまえが、変な、色気を、振りまくからだろ!
 足元は水回り独特の冷ややかな温度なのに、体に妙な熱が宿る感覚があった。まじまじと痣を見つめ、先輩は口元に笑みを湛えたままそっと指先で軽く触れた。
 押して痛みを与える手つきじゃない。なんていうか、そんな、生易しい手つきじゃなかった。人差し指の腹がついっと腹からヘソまで撫でる。背筋が粟立つ感覚に、腰が引けたが先輩の片手がそれを許さなかった。
 痣に向けていた視線を上げ、ニッと嫌な笑みを浮かべたかと思えばぺたりと掌全体を腹に乗せた。冷たい感覚に全身が粟立つ。鼻唄まで聞こえてきそうなほど上機嫌な顔を見下ろし、思わず泣き出したくなった。

 なに、なんなんだよこれ!? この人何がしたいんだよ意味わかんねぇよ!

 頭の中で混乱が支配している中も、先輩は親指に微弱に力を入れて肋骨をなぞるように手を這わす。唇から零れる息が皮膚に触れる程おれの腹に近づいた先輩は、ふっとヘソに向かって息を噴出した。
 これは、さすがに、もう、我慢できねぇだろ!

「ぎゃああああ! 変態!!」
「あぁ? 違う違う、ショードク」
「馬鹿かアンタ!? 舐めて治すとかそういう考えか!?」
「暴れんな」

 暴れるに決まってんだろぉ!? 貞操が! 処女が! 頭の中でめくるめく男同士の秘密の花園、ビビットカラーの花に埋め尽くされた三途の川の向こう側が見えた頃「ばぁか」と、くつくつ笑った先輩の声が耳に入った。
 途端、痣の部分に痛みが走る。奇妙な手つきで腹を撫でていた先輩がぐっとおれの腹を掌全体で押した結果だ。文句も、暴れる行動も、それ一つで収まってしまった。

「牧野クンって口悪いね。それ、地?」
「いっでぇ…!」
「まあ、お守りつけてやろうと思ってさ。やっぱオレも腹立ったし」

 何が言いたいんだよこの人。何がしたいんだよこの人。ぐっと睨みつけてやれば、シニカルな笑みを浮かべたまま先輩はオレの腹に吸い付いた。どこで、口で。痣の部分を掌で撫でながら唇のヌメリが皮膚を撫でる。
 舌先の感覚に、視界から、頭から真白になる。甘いリップ音、不気味な色をした腹に変に紅い色が咲く。固まったままのおれにその行為は二度、三度と繰り返される。全身が粟立つ感覚がした。

「あれ、牧野感じた? すっげぇ鳥肌じゃん。でもオレ男は門外」
「――死ねっ! 嫌悪の鳥肌だこのエロ魔人が!!」

 最悪だ、ありえない、死にたくなった。理由は知れている。なによりも、先輩の言葉が半分でも図星だったからだ。
 おれはノーマル! 女の子好き! 合言葉はラブ美脚! 好きな部分は踝です! そうじゃなかったら、困るだろ……本当。



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