柚木川で噂されている先輩のイメージの中に、金持ちゴージャスという噂がある。それは、先輩の身につけている物にさりげないブランド物が多いからだ。

「手当する前に泥落としてこい」

 母親、父親、志岐先輩。三人家族で3LDK。家族構成を思えば広いマンションだったが、ごく普通の部屋だった。少し大きかったけど、全然おれの想像範囲だ。
 まあ、なんだかんだで志岐先輩は学校で腐男子なる人種達に「王道みたいだけど違う人」と、断言されている男でもある。王道がどれ程強烈な金持ちかノーマルのおれにはわからないが、きっと○○財閥とかの子息なんだろう。たぶん。
 さて、現実逃避という名の思案は一旦止め、おれはとりあえずどうしたらいいんだ? 先輩は勝手知ったる我が家だけど、おれは戦々恐々他人の…しかも志岐先輩の家、だ。

「志岐先輩…あの、風呂場は?」
「あー…。和山のノリだった。とりあえず制服は洗えねぇから置いとけ。着替えはオレの貸すわ」

 風呂場に向かうのか、ずんずん突き進む先輩の背についていく。…やっぱ、和山先輩はよく一緒に過ごすのだろう。きょろきょろしながら着いた先には、おれの家より一回り大きな風呂場があった。
 タオルを投げて寄越し、洗濯機にとりあえず入れとけ。と、それだけ言って先輩は脱衣所の扉を閉めた。次々進む展開に思考回路も停止だ。それなのに、先輩は相変わらずマイペースで、テレビの音まで聞こえ始めた。
 シャワー浴びて泥落として手当てするだけだし、まあ、もう逃げられないだろ。嘆息し、早々にここから逃げ出すために服に手をかけた。ブレザーを脱いで、改めてシャツを見る。ボタンが弾け飛んだ惨状、白いシャツが泥だらけ。洗面台の鏡に映る自分はどこか惨めに見えた。
 よくもまあ、こんな男を隣に、しかもバイクに乗せたな先輩も。元々はあの人が原因だけど、おれが巧くあいつらと話できてたら負わなかった傷でもある。
 このシャツはもう着れないかもなぁ。考えながら脱いで、そのままシャツの下に着ていたものも脱いだ。気に入っていた服だったのにこれも汚れている。泥だから落ちると思うけどちょっとショックだ。

「それよりも…この痣姉ちゃんに見られたほうがやっばいな」

 時間が経過し、落ち着いた状態で自分の腹の痕を改めて見た。中学の時の殴り合いは些細な喧嘩で顔面に痣が作って、おれも相手に作ったものだったけど明らかに腹はアレだ、おれが負けてるみたいな怪我じゃん。
 動く度に鈍痛が響く。寝返りを変にしたら悶絶するのかな。そんな事を考え、腹に手を這わしてみた。皮膚の色が青と紫が混ざったもの。自分の皮膚だけど気持ち悪い色だった。

「牧野ぉ、着替え持ってくるの忘れてたわ」
「あ」

 己の腹に手を沿え、思考していたタイミングで先輩は容赦なく入ってきた。女の子じゃないけど、やっぱ少しだけビックリした。

「シャワーの音しねぇと思えば……何してんだよ」
「あ、いや。気持ち悪い色だなーって……」
「腹? んなもん治るって。オレも同じようなの経験したことあるし」

 笑いながら着替えをタオルの上に置き、先輩は屈みながらまじまじとおれの腹を見てきた。改めて見られたら多少は恥ずかしい。だってこの人、男のおれでも称賛してしまうような美形なんだから。
 整っている眉、面白そうに歪められた瞳、嫌味なほど似合うシニカルな笑み。どの角度から見ても綺麗な顔。おれの腹辺りに視線を置いた先輩におれは何も言えず、ただ、唾を飲み込みその行動を見送ることしか出来なかった。


「――緊張してんの?」


 びっくりした。何にって、先輩のその声に戦慄いた自分に、だ。



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