学校に近づくにつれ、視線の数は多くなる。一日だけなら幻想だが、二日になれば現実だ。なら、三日過ぎれば何になるのか。考えたくもなかった。
 好奇の視線は慣れるものではない。少なくともおれはそうだ。流石にクラスメイトも冗談では済まなくなる事態。もう、まじ、最悪だ。
 至近距離でもないが、人間一個分空いた距離に和山先輩以外を置くこと自体が志岐先輩を語るうちではありえない。これが他人事だったら、おれもどれだけ騒げただろうか…。

「じゃあな、昼飯どうする?」
「昼って…弁当あるんで教室で食いますけど」
「ならいいわ。何かあったら呼べよ、行ってやるから」
「……軽いッスね」

 なんだその口調。何かあってからでは遅いのだ。まさか童貞を奪われる日よりも先に、処女を狙われる日が先に来るとは思ってなかった。先輩はおれの言葉に面白そうに目を細め、ばぁか。と、だけ呟きおれの前髪に触れて踵を返した。
 あの人の口癖って、馬鹿。なのだろうか。いただけない口癖だが、どうもあの口調が言葉の持っている威力を半減させているように思える。撫でられた前髪に手を置き、くしゃりと自分で撫で、先輩の感覚を忘れるようにと思った。

 さて、じゃあ一人になった瞬間のこの視線をどうするかが問題である。

 三年はすでに志岐先輩に告白し、ふられている人が多い。しかも可愛い系が告白しているから、すでに振り向かない獲物には興味がないのか、新しい彼氏まで作っている。
 二年のそういう噂はあまり聞きたくない為スルーしているけど、やっぱり問題は一年だ。おれのようなノーマル男子は驚いているだけだろうけど、あの後輩のように先輩に憧憬を抱く存在はやっぱり多い。
 刺す様な視線が背中にチクチク届いている。ほんっと、良かった。一年の教室が一個上で。よほどの事がなければ一年との交流なんて無いから。

「うぃーっす政哉。今日も愛しの先輩と交流か?」
「空気読め。おまえまじ捻るぞ」
「おおぅ…迫力二割り増しだ」

 何より良かったと思えるのは、この間抜けなクラスだろう。このクラスじゃなかったらおれは絶対に学校にきたいって思わなかった。空気読めない部分は残念過ぎるけど。

「そんなに志岐先輩怖いか?」

 嫌なクラスメイトだ。本当。怖いか怖くないかと聞かれたら、怖くない。でも、噂は怖いものばかりだ。こんなもの、人間の防衛本能みたいなものだろ。
 黙ったおれの背中を嬉しそうにバンバン叩き始めたクラスメイトの頭をおれはお返しとバンバン叩くことにした。



× × ×



 体育祭の出場項目が昨日と同じように黒板を飾っている。そういえば、ここしばらく先輩の事ばっかり考えておれは本気で青春をエンジョイしてない気がする。かといって、こんな体育祭で青春を感じたくは無いのだけど。
 前の席の男――萩悠一は後ろ、おれのほうを見ながら何がいいか聞いてくる。知るか、楽なもの選んでろよ。そう言うのだけど、悠一はクラスの中で足が速い部類に入る。と、なれば必然的にリレーに参加だ。
 男祭といっても過言ではない柚木川の体育祭だが、その為例年生徒にはやる気が無く、余計むさ苦しいものになっていた。が、今年から賞品が用意されるらしいのだ。流石変わった実行委員、高校生の物欲をよく御存知だ。
 リレーで優勝したらあれ、それ、これ。みたいに、個人でも物はもらえる。明らかにはなっていないが、それなりに金がある学校だ、それなりのものがもらえるだろう。

「ダラダラしてムサイよりも、熱血でムサイ方が良いってか…」
「まあ、見苦しさはある意味改善、ある意味改悪だな」
「(笑えねぇよ)」

 実行委員の話では優勝クラスには焼肉食べ放題の権が、学年優勝では購買チケット一万円分が送られるらしい。食べ物に飢えている学生、しかも焼肉だと。燃えるに決まってる。
 それでもおれは全体競技に出るし、その方が足手まといにはならないと思う。自分で言うのはいやだが、小柄な方だからこんな男祭に本気で参加したら死んでしまう。
 黒板に並んでいる文字の羅列を呑気に眺め、くぁ。と、欠伸を零した所で「政哉はー」と、前にいたクラス委員に名前を呼ばれた。クラスで政哉はおれ一人だ。涙目で視線を合わせれば、勝手に名前が書かれていた。

「障害物競走な」
「おぃぃぃ! おれ出るって言ってねぇぞ!」
「おまえ去年障害物出て2位じゃねぇか」
「それはやる気がないやつばっかだったからだろ! 今年みんなやる気じゃねぇか!」

 おれの黒歴史。はりきり過ぎて痛かった頃の話。それは去年までの話で、今年は絶対やる気が果てしない人間しか出場しないはずなんだ。怖い。そんなもの、怖すぎるって話だ。
 が、それはクラスメイトにも言えることだ。悠一はドンマイ。なんて笑っているが、焼肉に飢えた我らがクラスメイトは野獣の眼差しでおれを見る。去年の一位は確か、陸上部の人間で今年は絶対リレーに出るはずだ。そんな風に説得される。

「と、いう訳で牧野君に決定」
「最悪、だ……!」

 今月のおれの星座は絶対ワースト1だ。そうでなければ、こんな面倒事に立て続けて巻き込まれる理由が一切分からない。



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