「姉ちゃん! おま、いつまで寝てんだよ起きろコラ!」
「眠い、政哉、眠い」
「ばっか! おまえ大学入学したばっかりだろ! 駄目人間っ!」

 朝7時50分。朝一姉を起こすことが日課である。去年は受験生だから気を使っていた姉だが、大学に入った途端これだ。布団に潜り込み、髪もボサボサ、これで彼氏がいるんだから世界はわからん。
 とりあえず姉ちゃんの頭の上で叫び倒し、布団から出させてた後一階に戻る。なんだかんだ起きなかったら後々文句を言われるんだ。姉って理不尽だ。

「まさ、アンタ朝からよくあんな声出せるわね…。頭痛い」
「起きないお前が悪い」
「姉に向かってお前って何よ、お前って。ぶっ飛ばすわよ」

 ギロリとにらみつけてくる眼差しを避けながら、鞄の中に弁当を突っ込む。母さんは専業主婦、姉ちゃんは大学生だからおれは家の中で二番目に早く出る。一番は勿論父さん、既に家にはいない。
 姉ちゃんは今から時間をかけて化粧をするから、こんな時間に起きるのだ。彼氏は同じ大学の人で、高校からの付き合いだ。その辺はしっかりしているとは思う。
 玄関でスニーカーの紐を締めていると、食パン片手に歩き回っている姉ちゃんが、げし。と、効果音を生みながらおれの背中に足を乗せた。ホントもう、おれ付き合う子は絶対姉ちゃんとは真反対の性格の子が良い。切実。

「なんだよチクショー」
「いや、育ち盛りだから弁当だけじゃ足りないだろうって母さんが、ほら」

 放り投げられたのはクリームパンだった。明らかに姉ちゃんの嫌がらせだ。こんな甘いの食えるかよ! 糖分が苦手なおれはクリームから餡子から、とにかく甘いものが苦手だ。小さい頃は好きだったのに、本気で不思議に思う。
 姉ちゃんはニヤニヤして、ごめんごめん。と、明らかに謝っていない声で足を離した。姉ちゃんがこういう風に笑っているのは獲物を見つけたときだ。サディスト、本気で思う。何故こんな女に彼氏ができる。

「玄関で待ってるのアンタの知り合いでしょ。腹減ってるだろうから食わしてやりなよ」
「は…?」
「窓から見えたの。友達と待ち合わせするのはいいけどさ、今度からは家の中で待ってもらいなよ」

 クリームパンをおれの手に持たせたまま、洗面所へ消えていく姉の姿を目に入れ疑問符を浮かべる。おれはクラスの奴とも仲良いけど、昨日待ち合わせするなんて約束してない。
 そもそも、割と家から学校が近いからおれの家に来るよりも学校に真直ぐ向かう方が会う時間もたっぷりだ。ノート見せるような頭でもないし、この間家に遊びに来た奴がゲームでも忘れたか?
 色々考えながら、とりあえずこれ以上待たすのは悪いだろうと思ってドアノブを回した。先に見えたのは黒髪に、学校の制服だ。後姿だけだったら完璧におれの友達に見えるだろうが、見覚えのあるそれは違っていた。


「――志岐、先輩」
「おっせぇ。てか、牧野の家学校から近ェな」


 振り向いた先輩が見せたのは、赤いメッシュを風に揺らして小さく笑う姿だった。
 ……いやいやいやいや、なんでこの人がここにいるんだ。おれ、住所教えてないし。てか、朝会うって言ったけど、屋上の話でこんなプライベートな空間まで来るとは思わなかった。
 え、もしかしてこの人見えないけどガチで怒ってヤキ入れにきたとか? え? そうなの?

「まーきーのー」
「うへぇい!」
「…なんだそれ。おまえな、トリップするのはいいけどよ、早く学校行こうぜ。遅刻すんぞー」
「遅刻って……」

 朝一で現れた日光を浴びる不良という図はなかなかにシュールだ。そして、遅刻を気にする志岐先輩もやっぱりシュールだった。とりあえず、遅刻気にするんですか? なんで家知ってるんですか? ヤキ入れに来たんですか?
 色々聞きたい事があるけど、言葉にすべきはこれなのだろうか。

「く」
「く?」
「クリームパン、食べますか」

 残念ながら、ツッコミはいなかった。



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