試合前の大事な時期。喧嘩、しかも殴り合い。
 最悪だった。

 顧問とコーチに状況説明をし、三年と政哉はこっぴどく叱られた。
 それでも、政哉は殴った事は悪いけど、そのほかの事は悪いと認めなかった。

「友達馬鹿にされて、黙ってなんかいられません」

 そう、言ったんだ。



* * *



「――おれさー、ここ最近思ってたんだよな」

 右頬はガーゼが貼られている。左頬にはビンタの痕。……政哉の姉である、優奈さんの一発が残っていた。
 そんな間抜けな顔で、政哉は自分の部屋のベッドに転がりながら俺に言葉を発していた。
 政哉の家族には電話で先生から話が伝わり、家に帰った途端襲われたらしい。
 怒られたではなく、襲われた辺りが優奈さんらしいのだろう。

 ある意味満身創痍の政哉を見ながら、俺は続く言葉を黙って聞いていた。
 政哉は、俺を見ずに天井を見ながら淡々と言葉を発していた。

「なんでおれ、バスケ部入ったのかなーって」
「……政哉」
「正直さ、何でも良かったんだよな。野球でも、サッカーでもさ。でも、バスケが一番面白そうだったんだよ」

 汗臭いし、疲れるし、何より苦しいのに。それでも辞めずに続けてきた。
 政哉の顔を見ることはできなかった。
 やっぱり、政哉も選手になりたかったのだろう。
 あの先輩みたいに俺の事を見ていたのかもしれない。
 そう考えるだけで、やるせなくなる。

「おれさー、裕人ってすっげぇかっこいい奴って思ってるんだよな」
「……急になんだよ」
「いやまじで。バスケ巧いし、勉強できるし、いい奴だしさ」
「買いかぶりすぎ」
「だからさ、思っちゃうんだよね」

 足を一旦高く持ち上げ、政哉はそれを振り下ろした。
 反動で体を起こした政哉は、平然とした表情のまま、さらりと本音を吐き出す。


「おれ、お前の傍にいていいのかって」


 頭の中が、一瞬だけ冷たくなった。
 政哉の言っている言葉の意味が分からず、政哉の発言の意図が分からなかったからだ。
 でも、言われた言葉に一瞬にして脳味噌が沸騰した。
 ば、かじゃ、ないのか!
 傍にいていいか、なんて。そんなもの俺の台詞だ。政哉の台詞じゃない。俺が、俺が政哉に言いたかったものだ。

 俺は爽やかでも、いいやつでもない。高望みされても、困る。
 ただ、お前の傍で、お前のために、何かが出来ないかって考えているだけだ。

「だってお前、おれを気にしてバスケに集中出来てねぇだろ?」
「それは……違う!」
「おれ、お前が選手に選ばれて悔しくなかった。普通に嬉しかった。そんな自分が駄目だって思った」
「――政哉?」

 何が言いたいんだよ、おまえ。
 離れてしまうのだろうか。この幼馴染と、俺は、もう一緒のコートに立てないのだろうか。
 真剣な眼差しが向かってくる。五月蝿い心臓の音に、他の音が聞こえない。
 今まで一緒に育ってきた、今まで一緒に生きてきた。
 今更、他の人間と同じ色なんて、見たくない。政哉のいない世界なんて、見たくない。

「おれさ、裕人とライバルみたいな関係になる事に憧れたんだよな。でも、無理だ」
「何が言いたいんだよ……政哉」
「俺にとって裕人は支えてくれる人で、おれが馬鹿やったり、無茶したら止めるのが裕人なんだ。だからさ、おれはコートにもう立たない、立てない」

 殴りそうになった。
 はじめて、政哉を殴りそうになった。
 拳をぐっと押さえ込み、俺は話を聞くために政哉を見る。
 何が言いたいのか良く分からないが、自己を卑下しているなら俺は政哉を殴る。そう、決心するほどの衝撃だった。

「――どういう、意味だ」
「おれ、忘れられないものがある」

 そう言い、政哉は笑った。ここ一週間まともに見ていなかった表情に、抱いていた怒りが一瞬怯み、その隙に政哉は言う。


「裕人が、試合でゴールを決めた瞬間」


 俺が、バスケを続けようと思った理由。
 あのゴールを決めた瞬間の感覚を、もう一度味わいたい。
 そして、政哉がバスケを辞めるべきか判断した理由。

「コートの中じゃ、お前のプレイは近すぎて見えないんだ」



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