「なまえ」


名前を呼ぶと、彼女はビクリと肩を震わせた。コートの方に身体を向けながらも、声をかけられるまでボクに気づかない彼女。
それもそうだ。


「見すぎだよ」
「……だって」


口を尖らせながらフェンスの向こうのなまえはボクをじとりと睨んだ。せっかく忠告しに来てあげたのに。「そんなんじゃタッツミーにバレるのも時間の問題かな」わざと大きめな声でそう言うと、なまえは慌ててフェンスを揺らした。耳障りな音に少し苛立つ。


なまえがタッツミーを好きだということに気付いたのはいつだったろう。彼女はあまり目立つ方ではないから、存在を意識し始めたのすらかなり最近のことだし、……ああだめだ。思い出せない。やめた。まあとにかく、彼女は彼を見ていた。コーチ陣に囲まれながらあちらこちらと動き回る彼を、なまえはただまっすぐに見つめる。誤魔化すように身体はコートに向けたまま。

その発見が本当だと確信を得たのは、彼女と初めて話したとき。これはちゃんと覚えている。食い入るようにタッツミーを見つめるなまえにそっと近付いて、耳打ちしたのだ。「そんなに見てたらタッツミーに穴が開くよ」と。彼女は顔を真っ赤に染めて必死に《否定》という《肯定》をし、そのうち諦めて、選手時代からファンだったことや、実はイングランドに追いかけたりしたことを白状した。


ああ、また見ている。今言ったばかりなのに。タッツミーの方を見やると、何故か目があった。まあ、勝手に練習抜けてるから当たり前なんだけど。何も見なかったことにしてなまえの方へ向き直る。


「まあいいんじゃない?むしろ好都合なんじゃないの?タッツミーももしかしたら君のこと意識してくれるし」
「え、やだ!恥ずかしいよ!」
「煮え切らないなあ。そういうの、美しくないよ。あれだけ見ておいて」
「だって、達海さん私のこと知らない」
「なら気を付けることだね」
「……はぁい」


不満そうな目でなまえはボクを見た。やっぱり態度が気にくわなくて、もう少し意地悪でも言ってやろうかと思っていると、ふいに後ろから「ジーノ!!」とコーチからの怒号が飛んだ。なまえは驚いててフェンスから一歩引く。


「あーあ、イヤだなあ。守備練習なんてボクには必要ないのに」


だってみんながボクにボールを運んでくれるしね、なんておどけてみせると、彼女は少し笑った。「ちゃんと練習しなきゃだめだよ」そう言って、彼女は手をひらひらと振る。「頑張ってね」――まあ、やらない訳にはいかないからね。


「じゃあ、気をつけなよ」
「うん。……ありがと、王子」


背中に投げられた言葉に、思わず喉が止まる。


「……、どういたしまして」

















王子がふらりと帰ってきて、やっとちゃんとした練習が再開された。松さんはさっきまで王子に怒鳴っていたけれど、肝心の王子はそんなのどこ吹く風だから、やる気をなくしたらしい。どこかへ行ってしまった。


「王子!あの子、王子の彼女なんスか!?」
「違うよ、まさか」


わくわくしながら王子に質問すると、王子は俺の方なんて見もせずに短く答えた。基本王子はオープンだから、女のコの話を聞いてもいつもならサラッと答えてくれるのに。あれ、何か王子機嫌悪い?そりゃそうか、さっきまで怒られてたんだもんな。


「えーそうなんスか?俺てっきり」
「違うって言ってるだろう?しつこい男は嫌われるよ、セリー」「や、……え?」


ああ、やっぱり機嫌悪い。言葉の端々が刺々しいし、めっちゃ睨んでるし、つーか怖い。王子はひとつため息を吐くと、一瞬俺を見たあと、フェンスの向こうに立っている彼女を見やる。


「彼女、タッツミーが好きなんだって」

「……え!?マジっスか!?」
「だから優しいボクが相談にのってあげてるってわけ」


内緒だよ、と王子は意地悪そうに口許だけで笑って言った。風が吹いて、王子の前髪が揺れる。次の瞬間にスッと細められた目は、まっすぐに彼女を見つめていた。


「ほらごらんよ。また見てる。」
「あっほんとだ」

「あんなに分かりやすく見つめてるんだから、いい加減タッツミーも気付けばいいのにね」


おどけるようにそう溢して、監督を見つめる彼女を、王子がまた見つめた。


「そういう王子だって、さっきからあの子ばっか見てますよ」喉元まで出かかったその言葉は、「ハイ集合〜」なんて間の抜けた監督の声によって、飲み込むことになる。





2010 1208
2011 0212 修正


読み返して思ったけどこの話って誰が得すんの?