*鮫鼬←佐




今日は何となく朝から気分が優れなかった。というのも、今朝方、また兄さんの具合があまり良くなさそうだったのが今日一日気にかかってしまっていたからであって、決して俺自身がどうというわけではない。仮にそうであったなら、あの鋭い兄さんが黙っている筈がないのだ。兄さんは少々過保護すぎる所がある。

両親共俺が幼い時に海外へ転勤し、向こうでは何かと忙しくなってしまうだろうからと、俺達を叔母に預けて兄弟だけが残された。叔母はかなり良くはしてくれたが、その叔母も普段は仕事に就いていたし、実質俺を育ててくれたのは、紛いも無く兄であるイタチだった。兄さんは俺を愛情一杯育ててくれて、今でも変わらず優しくて俺の尊敬する兄だ。

しかし最近になって少し問題が浮上してきた。全く可笑しな話だと思う。だが、時が経つにつれて日に日にこの感情が大きくなっていくのをしっかりと感じてしまうのだ。

俺は、兄さんが好きなんだと思う。
家族的なモノじゃなくて、恋愛対象として。

兄弟という間柄、どうしても他より一緒の時間を共有する事が多い。だから、好きだの愛だのは一瞬の気の迷いだろうという事もキチンと考えてはみた。しかし、やはり少し違うのだ。俺は兄さんが好きだ。
男同士だという点に偏見はない。なぜなら既にそういう関係を持っている人物を知っているからであって。だって、その人物ってのは――


「…雨か」


ふと肌寒さを感じて空を見上げれば、すっかり太陽は雲に覆われていて、サーっと小雨が降り出した。しまった、今日に限って折りたたみ傘を持っていない。
次第に強くなっていく雨足に、多少の焦りを感じながら整備されたアスファルトの地面を蹴った。





「ただいまー…」


そういえば今日の食事当番は兄さんだったな、具合悪いの無理してなけりゃいいが。何て事を脳裏で考えながら兄さんと二人暮らしをしているアパートのドアを開ける。いつもならお帰りの一言くらい返ってくるのだが。不思議に思って視線を下げ靴を見てみれば、見慣れた靴が、二つ。


「おや、お帰りなさい、サスケ君」
「あー…鬼鮫、来てたのか。どうしたんだ?」


干柿鬼鮫。兄さんの大学の同級生で、同じサークル仲間。特に兄さんとは仲が良くて、よく家に来たりもする。
俺はコイツが、あまり好きではない。理由は多々あるのだが、決定的なモノが一つ。


「すまない…恋人ってのも御苦労なこったな」


居間を覗くと、鬼鮫の向こうで布団に蹲る兄の姿を見て申し訳ないと溜息交じりに言う。言ってギリ、と奥歯を噛み締めた。

人の色恋に文句を言う筋合いは無いが、やはり兄さんを好いている俺にとって、鬼鮫は邪魔で仕方がない。所謂二人は恋人同士ってやつで。兄さんもいつも幸せそうにしているし、毛頭俺の入る隙などなかったのだ。それでも、どうしても悪態を吐きたくなる。我ながら醜い。

どうやら兄さんは案の定体を壊してしまったようだ。薄らと寝汗を掻いて、しっとりとした黒髪が額に張り付いている。随分苦しそうにしているその姿を見ると、ぎゅうと胸が締め付けられて不安な重いで一杯だ。


「いやねえ、サークル活動中に突然倒れてしまって…講義中も辛そうだったので無理はするなとは言ったのですが…すみません、無理にでも帰すべきでしたね…」


横目でチラリと辛そうにしている兄さんを見て、心底申し訳なさそうに眉を顰める。成る程どうやら一緒に抜けて送って来てくれたようだ。
薬…は、もう飲ませてあるみたいだな。枕元に置いてあるコップと錠剤のシートを見て、次するべき事を考えているとむくりと兄さんが起き上がった。


「ああ、駄目ですよイタチさん、安静にしておかないと」
「…んぅ……サスケ…帰ったか」
「あ、ああ、ただいま」


重そうな瞼を持ちあげて、俺の姿を見るやふっと弱々しい笑顔が灯る。見ているだけでどれ程辛いのか手に取るようにわかるようだった。
兄さんは元より体が決して強いとはいえず、こうして頻繁に体調を悪くする。それに体力の持たない兄さんは毎回痛々しい程に弱ってしまう。確か小さい頃はそんな兄さんを見て、堪らなく不安になって思わず泣き出したりした事もあった。これでは逆に兄さんに迷惑を掛けると頭ではわかっているのに、溢れて来る涙は止まる事を知らなくて、とても辛い思いをした。
それでも毎回、優しく兄さんが頭を撫でて泣きやませてくれるのだ。


「こんな状態の癖に夕飯を作ると言って聞かなくて…私が作っておいてもよかったのですが、目を離すと直ぐに起きようとするのでまだ何も用意できてないんですよ」
「ああ、俺が作るからいい」
「そうですか?じゃあイタチさん、そういう事らしいのでちゃんと寝ておくんですよ。私はそろそろ帰りますね」


鬼鮫が鞄を取って、すっくと立ち上がって帰ろうと踵を返すとそのズボンの裾をきゅっと引っ張る。胸がチクリと痛んだ。


「きさめ……」
「…全くこの人は具合が悪いとすぐ甘えたになるんですから。ホラ、大事な弟さんの前ですよー」


柔らかく苦笑して、ぷらぷらと掴まれた足を揺らす。それでも兄さんは譲らず、枕に顔を突っ伏して、手を離す様子も感じられない。

正直な話こんな空間、いたくもない。こうもまざまざと見せつけられれば、胸中を渦巻くのは真っ黒くてどろどろした感情だけだ。嫉妬だ。紛いも無く俺は嫉妬している。
プライドの高い兄さんがあんなにも情けない姿を見せるのはきっとこの男だけだろう。そう考えれば黒いどろどろはズンと重みを増した。


「…鬼鮫はもう少しいてやってくれ。夕飯の買い出しに行ってくるから」
「え?ですが…」
「いいからいいから。その方が兄さんも喜ぶ」


はは、と笑い混じりに言ってみれば、「喜んでなどいない!」と鋭い声が聞こえてきた。あからさまな照れ隠しに、思わず鬼鮫と顔を見合わせ笑ってしまう。当の鬼鮫は参ったとでも言うように苦笑していた。


「じゃあ、行ってくるから。鬼鮫、悪いが兄さんを見張っていてくれな」


机の上に置いてあった財布を手にすると、早足で部屋を出て外にでる。カンカンカン、と鉄製の階段を下りて道路に出た。ふと立ち止まって、数秒佇む。そこで初めて頬を打ちつける激しい雨に気が付いた。


「…まだ降ってたのか」


ぐっと顔を空へ向ければ、すっかり暗雲が立ち込めていた。ザアザアと強く降り続ける雨と、遠くから聞こえるごろごろという不吉な音。すん、と鼻を啜れば雨の匂いと濃い土の匂いが鼻先を擽った。
暫く暗雲を見つめて、ふっと笑みを零す。濡れたまま帰るとまた兄さんが無駄な心配をしてくるな。近くのコンビニで傘でも買って行くか。



見つめるだけ、思うだけ

20110511

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