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その横で、日を浴びたことがないと思うくらいに白い人指し指が、ナッツの胸へとまっすぐに伸ばされる。
「この場で宣言してやろう、落ちこぼれ。貴様がこの学園にいる間……僕を越える事も、並ぶ事も決してない」
反論は、ない。黙りこくるナッツに、グランの言葉が鋭く突き刺さる。
「何故なら……僕はグランティーノ・サファー・ダイヤモンドという、貴族だからだ」
それは、この世にあるどんな発言よりも重みがあるようだった。クレイは固まって動けなかった。一句一句が、挙動のひとつひとつが、巨大黒板よりも遥かに重いものを形作り、教室を埋める人々の下腹にのし掛かる。ただ一人、ルカを除いて。
「貴族を捨て、また戻って来るなどおこがましいにも程がある!恥を知れ!!この愚か者めっ」
「ちが、う……グラン、ちが」
「何が違う!僕を恐れ、避け、逃げ出したのも!!その軟弱な体で魔法など欠片も使えなかったのも!全て事実だろう!」
健康的な肌色だったナッツの顔は、まるで病人のように青白い。グランの勢いに押され、眉は情けなく下がり、否定の言葉が弱々しくこぼれ落ちる。
それを掬い上げるかのように、がたん!と荒々しい音を立て、一人、立ち上がった。
「お、おい、ちょっと待てって!」
高く結われた黒髪が揺れる。
誠だった。動揺の色は隠せていないが、その目には小さな火が点り始めていた。
「その……なんか事情とかはよく分かんねーけどっ、お前ら久し振りに会った知り合いなんだろ!?なんで……」
「知り合い?馬鹿な事を言うな。こいつは手下だ。体が弱く、引きこもってばかりで、まったく使えなかったがな」
グランは腕を組み、誠の叫びをいとも簡単に蹴ってみせた。ナッツは幼き頃の事実を突きつけられ、言葉も出ない。呆然と、木偶の坊のように立ち竦む。
反面、誠の周りに漂う空気が、ざわりと波打った。
「てめえ……人を何だと思っていやがる……!!」
「人?人とは、こいつの事か?ならば答えてやろう。僕はこの愚か者の事を、こう思っている。誇りも強さも皆無な裏切り者だと!」
どくり、とクレイの心臓が鳴った。裏切り者。彼は、思わずナッツを見上げた。太陽のような笑顔は分厚く真っ黒な雲に隠されて、圧倒的なグランの貫禄に押し潰されてしまっている。
裏切り者。あの笑顔も、本当は嘘だった。仮面だった……一瞬疑って、クレイは内心頭を大きく横に振った。
(違う。ナッツも否定しているだろう……!裏切り者は)
「仮に!!そうだったとしても!!」
クレイの思考に被さって、誠が荒く声を張り上げる。そしてナッツの背に手を当てると、グランの見えない所で、励ますように数回叩いた。声なき激励は、ナッツの瞳に一筋の光を宿した。
「さっきからこいつ、何か言いたそうにしてるじゃねーか!話くらい聞いてやっても良いだろ!?」
グランは誠を見て目を細めると、彼とナッツと交互に見比べる。少しばかり、沈黙が走った。どこからか固唾を飲む音が聞こえた。
次にグランの口から出てきたのは……嘲笑だった。
「なるほど、貴族を捨てた次は平民の仲間入りか。しかもそんなみすぼらしい平民に取り付くとは、センスが良い」
「みっ……みすぼらしい!?」
裏返る声と共に、かっと誠の顔が赤くなる。ぐつっ!と彼の怒りが煮えたぎり始めたのが、彼を知らない人間から見ても分かるだろう。
誠を襲う、怒りの濁流。その勢いに身を任せ、彼はとうとう、動いた。
「この野郎ぉっ!!」
その手はまっすぐに伸びる金髪に隠された襟元に伸び、力の限り掴み上げる!
グランが小さく呻くと、同時に。この場にいる全員の体に大きな稲妻が走り、わなないた。何を隠そう、この光景は、普通なら決して見ることのないものなのだから。
四大貴族の襟を、いち平民が乱暴に掴むなんて!
「マ、マコト!駄目だっ!!」
振り絞るようなナッツの声が、野次馬のざわめきに混じる。誠は今だけ耳を貸さなかった。彼の瞳はグランを見つめ、またグランも鋭い視線を返す。彼らは、一発触発状態だったのだ。
「貴様……この僕が誰か分かっていての行動か……」
「てめーが誰かなんてこっちはどーでもいいんだよ!問題は……その、人を馬鹿にした腐った根性だ!!」
「何だと……!」
グランの奥歯がぎりぎりと噛み締められる。手が出ることはなかったが、代わりに周囲の反響は大きかった。
「あ、あの平民……今なんて!?」
「グラン様が腐っている……!?」
「なんたる暴言!これは許されるものじゃない……!」
理解出来ずに周りに訊く男子、怒りに拳を握り締める男子、あまりのショックに卒倒しそうになる女子までいる。
クレイは身を竦めた。あまり目立ってはいけない身分だというのに、思わぬ所で注目を浴びてしまっている。
それを誠が独り占めしている辺り、まだ良い気もするが。
「そうか……貴様のような愚かな平民は、口でどれほど言っても無駄だろう」
一点のぶれもなく、落ち着き払った声。だが、それはあまりにも場に合わず、かえって不気味だった。
グランはくつりと喉を鳴らすと、右の手のひらをゆっくりと天へ翳す。てっきり払いのけられると思った誠は、拍子抜けして目線を上に反らした。教室にいる例外を除く誰もが、四大貴族の高貴な手のひらを一心に見つめる。
「ならば、思い知るが良い。みすぼらしい愚民よ。四大貴族を……僕を……」
「なっ……何だよ、あれ……!」
パチッ、と。彼の手の上で、小さな電流が踊った。パチ、パチン。弾ける火花は、徐々に大きさを増していく。火花達は円になって、更に激しい舞を披露する。
「マコトっ!!」
少ない勇気を振り絞り、ナッツは呆然とする誠を咄嗟に引き離す。
彼は知っていた。四大貴族は、学園など通わなくても魔法を使える事を。
「危ない……!」
クレイもそれを見て立ち上がるが、次の瞬間、再び元の席に戻されていた。左腕を、横から強く引っ張られる事によって。
強かに腰を打ち、クレイはその犯人を恨めしそうに睨み付ける。
「ルカ――」
「分かってるはず、だよね?……ねえ、クレイ」
余計な事をするな。
……飲み込まれそうな深海の瞳は、そう、告げていた。
肯定の代わりに、クレイは唇を噛み締めて目を反らした。
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