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「見て、グラン様よ!」
「グラン様……ダイヤモンド家のご子息か?」
「グラン様……私共とは天と地の差がありますわ……お美しい」
廊下からの波紋が、じわじわと教室へ侵食してくる。周りの貴族達は皆顔を突き合わせて、「グラン様」を連呼し始める。それを不思議に思わない程、ルームメイト達は馬鹿ではなかった。
「ぐらんさま?何だそりゃあ?」
「グランティーノ・サファー・ダイヤモンド。ダイヤモンド家の息子。四大貴族の頂点に君臨し、父は世界の中央に位置する国を統べている。……そして、ギルド本部を発足したのはその先祖だ」
「は?は?え、ちょい待っ……色々意味が分からねー」
クレイは気を取り直し、ナッツを挟んだ隣から聞こえた問いに淡々と、簡潔に答えた。しかしそれを受けた誠は、女らしい顔の一部である整った眉を深く潜めるだけ。彼の頭の上を、大きな疑問符が飛び交う。
そんな中、ナッツはぱたっと静かになって、石にでもなったかのようにじっとしていた。その視線の先に、何も語ることはない出入口を見据えて。
「黙れ、下等貴族共!僕を絵画とでも思っているのか!」
くぐもった怒号が教室の白い壁を越えて、クレイ達の耳に嫌でも入ってくる。
瞬間、教室の扉が、派手に開け放たれた。無情にも真新しい木製扉は、勢いが良すぎて壁に叩き付けられる。耳の奥が痺れるほどに、その音は大きく響いた。
クレイは記憶に新しい似顔絵と、教卓の前を歩く彼を重ね合わせる。周りの目も気にならない様子で、ずかずかと大股に歩を進めながら肩をいからせている。絹糸のような金髪は肩までまっすぐ下ろしてあり、つり上がった瞳は僅かに黄色を覗かせる。何よりも、全身から放たれる威圧感……隣にいるだけで頭をうなだらせてしまうような気迫。それが彼を貴族だと示す、一番の証拠だった。
「……グラン」
か細く、どこまでも切ない声が、ざわつく空気に消える。教室を飛び交う数々の言葉に、ぽつんと置いていかれた。
ふいに、怒りで若干赤くなっている狐のような面が、クレイ達へと振り向いた。それは単なる気まぐれだったのか、それとも――考える暇もなく、彼が動いた。
「何故……」
こちらを見つめたまま、足早に。
「何故っ」
透き通った黄の瞳を、かっと見開かせ。
「何故!!!」
声を張り上げ、クレイ達の机がびりびりと震動する程、乱暴に手を付かせ。
「何故、お前がここにいる!!ここに来ているのだ!!ナッツビート・パーズ・エメラルド!!」
全身から、声から、抑えきれない怒りを滲ませて、叫んだ。
……静寂。
これは夢か、幻か、と、クレイはまず疑った。いや……疑う事しか出来なかった。
エメラルド。クレイには十分過ぎるくらいに、聞き覚えがあった。世界に存在する、五つの国々。その中の西北に位置するサンランティス国を統べる王の名は、グラッセント・パーズ・エメラルド。エメラルド家……それは、四大貴族の一角を立派に担っている、王家だった。
クレイは、恐る恐るナッツの顔色を伺う。彼は、この世の終わりを目の当たりにしたような顔をしていた。顔のみならず唇まで真っ青で、目線を下げると、膝の上で握られた拳が細かく震えていた。
「グ、グラン……どうして」
「どうしてだと!?それはこっちの台詞だ、この落ちこぼれが!!……引きこもるだけならまだしも僕から逃げ出したお前が、よくも今更のこのこと姿を現せたものだな」
グランの目が、すっと鋭く細まる。冷酷な光の奥に、黒い何かが宿っていた。
ナッツは怯えながらも、必死に首を横に振る。今にも倒れそうなその体で、彼はゆっくりと立ち上がった。
「グランっ、違うんだ……俺は逃げたんじゃない、強くなりたくて」
「うるさい、この臆病者め!!」
ピシャリと、その一言で全ての道が閉ざされる。ナッツはしばらく口ごもっていたが、やがては俯いて完全に口を閉ざした。クレイはその様子を直視出来ずに、思わず視線を背ける。……と、窓からの陽射しに照らされ、金色の髪がきらりと光った。
「……ルカ」
いつの間に入ってきたのか、どうやって席まで移動したのか、クレイの隣にはルカがいた。彼はクレイが問う前に、頬杖を付きながら、成人男性の身長程はある大きさの窓を親指で指し示す。しかし壁一面のそれらはどれも閉まっており、ましてやここは最上階だ。普通の人間は入れない。
だが彼は、「普通の人間」のカテゴリには到底入らないのである。
「……体を『変化』させて入ってきたな」
「そう。ちょっと雷に化けてね。ちょうど良かったよ、この騒ぎのおかげで気付かれなかった」
そう言うルカの表情は、非常にすましている。半開きの目を外に浮かぶ雲に向けており、彼の周りだけ時間の流れが遅れている。ぼうっと物思いにふけっているようだ。すぐ隣では、緊迫した空気が流れているというのに。
クレイはルカの言い方に少し問題があると、そっと彼に顔を近付け、語気を強めて耳打ちする。
「ちょうど良かったって、お前な」
「だってそうでしょ?――興味もないね、埃の吹き飛ばし合いなんて」
彼は至極つまらなそうに、机の端に被っていた微量の埃を指に付けると、ふっと息を吹き掛けた。
その目からは、生気という生気が残らず消えていた。 きちんと息をしているというのに、今の彼が生きていると断言するのは、難しかった。
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