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黒板を記憶石にしまうと机の中に入れ、入り口に鍵をかけてルカは部屋を出た。ロビーで鍵を渡す際、パーマのおばちゃんに始業式に間に合うかと心配されれば、彼は人受けのする笑みで、足に自信はあるから大丈夫と返した。

――春の香りだ。と、ルカは思った。草の匂いが鼻腔をくすぐり、温風でも冷風でもない爽やかな風が、優しく頬を撫でる。人が通らないのどかな校舎裏の景色は、一見平和そうに見える。けれども。

(もうすぐ……教室で、絶対何か起こる)

空よりも暗く、闇よりも明るい瞳の奥で、そう彼は予測していた。

ルカが何となく訪れた校舎裏は、憩いの広場のような場所だった。クレーターが出来たような丸い凹の周りは緩やかな下り坂になっており、短く切り揃えられた芝生で囲まれ、所々に植えた木が涼しげな陰を作る。その中央には煉瓦が敷かれ、大きな噴水が構えてあった。細かに噴射される水がきらきらと太陽の光に反射して、虹を作る。

ルカは噴水の目の前まで来て、水が流れる音に耳をすます。それに芝生と木々が揺れ歌う音も重なり、雑音がない癒しの空間に、彼は自分の心が浄化される錯覚を起こしそうになった。

(……この噴水にクレイ落としてみたらどうなるかな)

しかし、実際心の内は邪念だらけだった。

「……んー?」

ほんの少し。視界の隅で、芝生とも何とも似つかない深緑がちらついた。
ルカは数ミリ足を浮かせ、音を立てる事なくそれに近付いた。深緑の正体は、一年生の制服であるローブだった。木陰に身を横たわらせ、顔は備え付けではないはずの黒いフードで隠されている。

爽やかな突風が、両者のローブをばさばさとはためかせた。


ルカは、違う角度からその人を覗き込んでみた。透き通った湖のような青い前髪が、頭を覆うフードから飛び出ている。閉ざされた目からは長い睫毛が主張して、整った眉、薄い唇、落ち着いた寝息。ルカはじっと観察してみたが、その人の性別が一向に分からなかった。女だとしたらここまでさっぱりとした雰囲気は出ないし、男だとしたらどことなく体つきが丸いように思える。

再び、突風が吹いた。本日の風は悪戯好きなようだ。フードが乱れ、彼(便宜上ルカはそう思うことにした)の瞼がぴくっと動いた。
ふ、と。睫毛が上がる。ゆっくりゆっくり開かれた瞳は、ルカに似た青色をしていた。異なる点といえば、ルカの方が暗色をしている所だろう。彼の目は髪と同じ透き通った色をしていた。
ルカの脳の隅で、彼の顔がちらちらとちらついた。焦れったいもやもやとした物が、ルカの中にぐるぐると渦巻く。

「あ、お目覚め?」

それを悟られないよう、見知った顔に話し掛けるかのように、ルカはにっこりと微笑んだ。湖の色をした彼は、とろんと眠たげに開く目の集点を見知らぬルカに合わせる。

「……おはようございます。こんにちは」

一文字に引きむすばれた口から、同時にふたつの挨拶がこぼれる。そして、彼は何も動じなかった。当たり前のように寝転がり、そこに知人がいるかのようにルカを見ている。

「ねえ、そのフードどうしたの?」
「これですか。布がこれしかなかったので。……ああ、顔、見られたくないんです」

それが義務であるように、彼は淡々とルカの問いに答えた。声色は高くも低くもなく、顔と同じく中性的。フード越しに頭を掻く彼が、ルカは不思議で仕方がなかった。

「なんで?」
「面倒なんです、立場上。あ。ボクはセシルナミス・マリンナ・ラピスラズリといいます。セシルで良いです。キミは?」
「俺?ルカ・ヘルメス。どこぞの平民ですよ、貴族様」

ルカのもやもやが一瞬にして晴れた。ファイルのデータがフラッシュバックされる。彼の似顔絵を、ルカは既に見ていたのだ。思い出された絵のセシルと目の前にいる彼は、よく似ていた。

「すみません。それ、やめてください」

あまりにもセシルが抑揚なく言ったので、ルカは聞き逃しそうになった。

「……やめるって……何を」
「貴族様、です」

そう言うセシルは、微塵も不快感を露にしない。隠されているのか、それとも本当にぼうっとしているのか。刹那、ルカは密かに目を光らせた。

「ありゃ、ごめんなさいね?でも、四大貴族に次ぐと謳われたラピスラズリ家のおにーさまに気を遣わないなんて!失礼じゃないですか?」

クレイならば鬱陶しがられる程の、大袈裟な抑揚と手振り。大きく肩を竦めると、ルカはセシルの反応を伺う。
彼は、眠たげな表情のまま、呆れたように小さく息を吐いた。

「そういうの、面倒臭いです。すみません。権力を言い合うの、好きじゃないんです。揉め事の原因になりかねませんから」

ルカは内心、首を傾げた。彼は、骨の髄まで疑問で満たされた。貴族は自分を愛する事をよしとし、自分の家に誇りを持っている。何より傲慢で、わがままである。その事から、喜怒哀楽が激しいイメージが拭えない。
しかし、セシルはどうだろうか。
本を棒読みしているような機械的な口調が、どうにも腑に落ちないルカの心に追い討ちをかける。

「ねえ、じゃああんたはさ、四大貴族ってどう思ってる?」

ふと口をついた質問に、言った本人が驚いた。まさか貴族にそんな問いをするなんて、思いもしなかったのである。ルカの心臓が、静かに高鳴った。





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