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本棚に囲まれた埃っぽい部屋に、こほんとひとつ咳払いが響く。

「えー、では、世界に名を残す超絶偉大なルカ・ヘルメス大先生と、その助手のクレイ君による記憶石ってなーに?講座ー!はい拍手!」

――したのは、ナッツだけだった。遅れて、ライチも申し訳ない程度に手を叩いた。

「あーやだやだ、みんなノリ悪いなー」
「……こんなアホみたいな事する必要あんのか?」
「セットも大掛かりだしね……」

偉大なる先生は口を尖らせ、生徒の二人はひそひそと先生の不満を話し合う。学校ではよく見るような光景である。クレイはルカと離れた場所で、我関せずと石像のように立っている。
五人はリビングを移動して、その隣にある、五つの机が内側に設置された部屋に来ている。
その三つにルカとクレイ以外が座り、ルカはというと、いつのまに作ったのか丸い伊達眼鏡を掛けている。手には形の整えられた木の棒を持ち、生徒達の目線の先には、先程まで本棚の壁だったはずの所にふわふわと浮かぶ大きな黒板があった。

「あ、最初に言っとくけど、この黒板はそこの机の引き出しに入ってた記憶石から出したからね?眼鏡と棒は今即興で作ったけど」
「無駄な事に魔法使うなよ!」

誠の怒号にも聞こえるツッコミが飛ぶ。ルカ先生は無視した。

「さーて、では具体的に記憶石とは何か?っていうとー……はい、これでーす」

先生はポケットを漁ると、何かをつまみ出した。一瞬空気をつまみ出したかと思った生徒達だったが、目を凝らせば、キラリと光るオレンジ色の粒があった。窓がないこの書斎のような部屋でも、その粒は小さく、けれども輝かしい光を確かに放っている。

「これ、黒板が入ってた記憶石。別名、神々の涙……ティアーストーンとも呼ばれてる。大層な名前の割りに、お店で安く売ってるんだけどね?」
「ん?……ちょ、ちょっと待った!そんなちっちゃいのにそんなでけーのどーやって入れんだよ!?」

誠が立ち上がって先生に指を差し、異議を唱える。獲物が易々とエサにかかってくれたと、性悪な大先生は内心笑いが止まらなかった。

「やれやれ、これだから無知とは嫌ですね……」
「悪かったなあ……!」

先生は悩ましげに、こつこつと木の棒で眉間を叩く。誠の額に青筋が浮かび上がり、眉はぴくぴくと痙攣する。ライチは気が気ではなかった。ナッツはルカが作り出している世界にどっぷりと浸かり、次に何が起こるのかとそわそわしている。

「ところで!可哀想な女顔クンは、こういう知識をどのくらいお持ちで?」
「はっ?ち、ちしき?……あれだ、あれ。世界っつーもんは、マ……マニ?とかで出来てる?みたいな?」

言っている本人もちんぷんかんぷんになっているらしく、視線が上の空で言葉がたどたどしい。何より女顔クンで怒らないのがその証拠だった。

「あの、マコト君……それって、マノじゃないかな?」
「その通り緑頭クン!!!」
「ひいっ!?」

目と鼻の先に凄まじい勢いで棒を突き付けられ、ライチはひっくり返りそうになった。ヒートアップしてきた先生は、その目を魔物並みにギラつかせている。

「正確には、マノハライヴ……略してマノ。この世界は全てマノに満たされ、マノの組み合わせで構成され、とにかく全ては元を辿ればマノなのです!この机も!黒板も!本棚も!鍋も皿も食べ物も魔物も!私達の体も!気になるあの子のおっぶ!?」
「分かったからさっさと進めろ馬鹿野郎!!」

分厚い辞典が先生の顔面に、スコーンと綺麗に直撃した。誠が後ろの本棚から咄嗟に取り出して、全力投球したのだ。仰向けに受け身もせず倒れ込む先生の姿は、無様極まりなかった。

「おっぶ?おっぶて何だ?」
「……聞いてくれるな頼むから」

純粋そのものな瞳を向けてくるナッツに、誠は頭を抱えた。

隅で大人しくしていたクレイは、相棒の哀れな末路を見送ると呆れたように目を細め、傍らに落ちている辞書を拾い上げた。青い表紙に「ブラックリスト」と書かれたそれは、ところどころ紙が黄ばんでおり、相当昔のものだということが分かる。
何気なくクレイが開こうとして表紙に手を掛けると、横から生えるように伸びてきた手が、力強くローブごと彼の手首を掴んだ。

「えー、記憶石には三種類あります!!」
「おい……!」
「だってこうでもしなきゃクレイ来てくれないじゃん?」

鼻の頭を赤くしたルカ先生が、上半身のみ起き上がらせてカラカラと笑う。クレイは、少しでも相棒を哀れに思った自分を呪った。三人が見ている前で、先生は助手のローブの袖を捲り上げる。クレイは死にたくなった。

「えー、ひとつは魔心器用の……は、授業でやると思うからいいや。クレイ君、この二つ貸してね?」
「……勝手にしろ」

サーカスのライオンになった気分で、クレイは手のひらで顔を覆いそっぽを向く。先生はにこにこ笑っていたが、三人はそれどころではなかった。
彼の手首には、三つの記憶石がそれぞれ糸に通されて、三つのブレスレットのようになっている。それは問題ではない。
そこから腕にかけて……いや、よく見れば手の甲にも、至るところに生々しい傷跡があったのだ。大きな噛み跡を中心に、切り傷、打撲のアザ……この世に存在する傷という傷がその腕に集まっているようだった。

「すまない。……気分の良いものではないだろう。忘れてくれ」

クレイはそう言うが早いか、覆っていた手を外すとすぐに袖を下ろし、見せた右腕を庇うようにして、また元の場所へ移動する。顔は赤い前髪で隠れており、表情が分からない。ただその足取りが先程よりふらついているのを見て、ライチは慌てて口を開いた。

「ク、クレイ君、そんな事は」
「はいはいきーりーかーえー!!助手がかっこいいからってみんなあんまり見つめないの!!見るなら先生の顔見なさい先生の!!助手に負けないくらいちょーかっこいいから!」
「てめえはどこまでもムカつくな……!」

先生はライチと助手の間に割って入ると、棒で何故か誠の机をバシバシと叩く。理知そうに眼鏡を上げる仕草といい誠の神経を逆撫でしたが、クレイの事も気になって行動には移せなかった。何より先生のお言葉は紛れもない事実であるのが、一番悔やまれた。ナッツは先生に言われても尚、クレイを見ていた。彼にしては考えられないような、探るような目付きで。

先生はオレンジの粒をポケットにしまうと、助手が持っていた青緑色の記憶石と桃色の記憶石を、それぞれ手のひらに乗せた。

「はい!じゃあ続きです!黒板のはしまっておくとしてー、これはクレイ君が念のためと持ってきた、まだ何も入ってない記憶石!この違い分かる人ー?」
「違いって……そりゃ色が違うだろ」

疲れてきたのか、頬杖をつきながら誠が投げやりに呟く。すると、先生の眼鏡がキラリと光った。

「大正解!女顔クン珍しく正解!」
「珍しい言うな!!てか女顔やめろっつーの!!」

誠が噛みつくように吼えるが、ルカはやはり無視した。

「一般的に、赤っぽいのはフォルム記憶石。青っぽいのがイメージ記憶石って分けられてまーす。拾ってどっちか分かんない時は店で訊けばお金いらずに教えてくれまーす。希にどっちも出来る石があるらしいけど、詳しい事は分かってません!んじゃフォルム記憶石から説明しまーす」

先生はいそいそと青緑色の記憶石もしまうと、桃色の記憶石を手の中に握り込んだ。

「さっき、世界はマノで出来てるって話したよね?フォルム記憶石って、簡単に言えば『記憶石』って言葉の元になったやつなのよ。マノで作られたもの……つまり世界の全てのものをマノに還元して、容量の許す限りこの中に封じ込む事が出来まーす。そしてそれを取り出す事も出来まーす。
んじゃ試しにクレイ君で実験を――はーい冗談だからそんな睨まないでねー?」

助手から鬼をも殺せそうな視線を一身に受けて尚、先生はへらへらと空気より軽い笑みを浮かべている。誠とライチは、先程まで影があったものの怒りは見せなかったクレイの恐ろしさに、縮こまって震え上がった。ナッツはといえば、この時点でギブアップしたのか机に突っ伏している。

「まあ全てのものって言ったけど、命がある物は封じ込められないから安心してね?なんか記憶石が拒むんだってさーつまんないの。という事で、変わりにこいつで実験します!」

そう言って先生が取り出したのは、先刻から振り回している木の棒だった。ひょいと投げてから摘まむように持つと、一瞬握った拳に目を配らせた後にそれをじっと見つめる。刹那――何の変てつもない木の棒が、白い光に包まれた。

「お、おおお……!?」

誠は身を乗り出し、瞬きもせずそれを見つめる。木の棒はあっという間に粒子へと変わると、先生の指の間を通って、記憶石へと吸い込まれていった。

「……はい!で、フォルム記憶石のすごいところ。なんと!どんなに重いものでも、マノに還元されるからまったく重くならないんですね!買い物が大変……そんな奥様方に大変便利!」
「分かったから!なあ、やり方教えてくれよやり方。なんか必要だったりすんのか?」

大袈裟な身振り手振りを取り入れた先生に、誠が水を差す。先生は独壇場を邪魔されて少しカチンときたが、これも可哀想な女顔のためだと眉を潜めながらぐっと拳を握り締めた。

「なるほど、お答えしましょう。やり方は簡単。木の棒さん木の棒さん、記憶石の中にお入りになって……と念ずるだけ。出す時も一緒。木の棒さん木の棒さん、記憶石からおいでになってー」

先生の手の中から、白い光が洩れた。もう片方の手を水平にすると、そこに粒子が集まる。元通りに形作られた棒を掴むと、先生は頭の横でそれをくるくると回し始めた。

「子供にも出来るから、フォルム記憶石はこんなにポピュラーになったんだよねー。……どこかの誰かさんはこんなに便利なもの知らなかったらしいけど?」
「うるせー!俺の国にはなかったんだよ!!」
「もしかしてマコト……すごい田舎から来たのか?」
「いな……」

悪意のないナッツの言葉は鋭利な槍となり、誠の胸を串刺しにした。横からライチが苦笑しながら、その傷跡を背中越しに撫でる。風穴が空いた戦士の目には、ライチが天使に見えた。

「で!次はイメージ記憶石なんだけど……これはもうやった方が早いかな?」
「待て、ルカ」

力強い低音が、一連の流れを停止させた。助手のクレイだった。部屋にいる誰もが、クレイに視線を注ぐ。彼は全員の不思議そうな顔を一通りゆっくりと見回すと、気まずそうに重い口を開けた。

「……今……何時だ?」

クレイを除いた全員の体が凍り付き、つむじ風が吹き抜けた。



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