06/34 呼ぶ声 (1巻の話・05/10の続き)

――夕方。女子寮の一室。


空目がいなくなった翌々日。
朝のホームルームで、杏樹は稜子と亜紀から昨日のことを聞いた。
どうやら、修善寺に行き、そこで紹介された病院を訪れたらしい。
……基城泰。
“機関”。そして、“処理”、か。

杏樹は、武巳たちよりは、異界のことを解っていると自負している。
だけど、“機関”のことは知らなかった。
悔しい、と思う。
向こうからの接触がなかったから気づかなかったのは仕方がないかもしれない。
でも、もっと警戒をしていれば、空目たちが“機関”に目をつけられることもなかった。

――違う。今はそんなことで自己嫌悪しても意味がない。

空目じゃないけど、思考停止に安住してはいけない。
休み時間にも、武巳たちと話し合ったけど………。

空目を助け出す。
あやめちゃんは、神隠し。
だとして、それを――異界のものを周囲に紹介して回った空目の真意。

まず思い浮かぶのが、異界から帰ってこなかった空目の弟、想二のことだ。
空目はあやめと異界へ行った。
想二を連れ戻すためか。だがそれなら、なぜあやめを紹介し回ったのか。
それがただ一つの疑問だ。
あやめを紹介しなければならない理由。
あやめの存在を、異界じゃなく人界に知らしめる理由。
それは――あやめ、という異界のものの、人界での立場を強固にする、こと……?
ならばつまり、…………―――……


ピリリリリ………


杏樹が物思いに耽っていたそのとき、
ベッドの上に置いていた携帯電話が静かな部屋と比べて大きな音を鳴らした。
誰だろう、と思い携帯を手に取る。
ディスプレイに表示された名前は――空目恭一。

「………!」

驚きすぎて、携帯を落としそうになった。
震える手で慌てて通話ボタンを押す。

「う、うつめ……?!空目なの?!」

呼び掛けた瞬間、空気が変わった。

いや。違う。
この部屋自体が、自分の知る世界ではなかった。
世界が変わっていた。
酷く昏い黒い、真っ暗な闇。
ねっとりと、じっとりとした、気味の悪い。何もかもを引き込み、嬲るような禍々しさ。
けれども冷たい、鳥肌の立つ――そんな闇、だ。

「……………………」

電話の向こうから、返事はなかった。
息遣いさえ聞こえない。わずかに聞こえるノイズだけ。
しん、とした冷えた闇の中。
何も物音もしない。自分の呼吸と鼓動のみが、この世界に在るたった二つの音だった。

ふと。

この電話は本当に空目からなのだろうか。
それとも別の誰かからなのだろうか。
そう思った途端、急に恐怖がやってきた、とき。

……………………こそこそこそ………

「………っ」

声が、聞こえた。
小声で内緒話をするような、そんな声音。
しかしそれは、携帯からじゃない。

……こそこそ………………………こそこそこそ

生理的な悪寒がした。
杏樹は、気づかざるを得なかった。その声が、背後から聞こえているということを。
帰ってこない人を暗闇で待つ恐怖に加えて、得体の知れないモノが――確実に後ろにいるという恐れ。

「、……きょ……う、いち………っ」

恐いこわい怖いコワイ

「しっかりしろ、しっかりしろ自分」と繰り返しても、耐えようのない恐怖から心の中で自らに言い聞かせる言葉さえ震えているように錯覚する。
そんな今の自分は他人に頼ることしかできなくて。
恐怖で動こうとしない唇を無理やり動かして、つぶやく。
携帯を固く握り、なんとか震えに耐えようとする。
名前を呼ぶ。
だけど、


………………………………こそこそこそ………………きましょう


携帯に向けて名を呼んでも、返事は返ってこなかった。
なんでどうして
名前は呪文なんだ、って。縛り付けられるもので、呼ばれればすぐ気づくようなものだ、って。
そう言ったのは、空目自身なのに………っ

それでも背後のナニカの声はして。


「ひ、」


泣きそうになったそこへ、肩に。
その肩に。
ナニカが触れた。
人の形をした――異界が、触れた。


……………………いきましょう……さあ、わたしと一緒に行きましょう………さあ…………

歯ががちがちと、噛み合わなくて。
携帯を持つ手が震えて、持てない。
冷や汗が止まらない。震えも止まらない。
助けて。たすけて。
本能が拒否をする。振り向くことを拒否する。
そ、っと。
見てはいけないナニカが、脚に背後に首に腕にぴったりと寄り添っている。
人ではないはずなのに、その息づかいも肌に触れて。
いやだ。いやだ、
恐くて怖くてきつくきつく目を閉じる。目に『それ』が触れた。
びくんと体が跳ねる。
酷く冷たい手だった。
そしてその手が離れたかと思うと、次に布が近付く。それは、目隠しだった。
直感的に気がついて、杏樹はひゅう、と情けない音を立てて息を飲んだ。


――神隠し。


自分はどこかへ連れて行かれる。
そんな。そんなの、いやだっ………!


『………………………。……………杏樹……!』


恐怖が爆発した瞬間に、その恐怖(それ)は一瞬にして消えて。
世界が戻った。
『それ』もすでに消えていて、目を開くと、視界もちゃんと照明に照らされていて明るかった。
その声を生み出したのは、自分の願望か。幻なのかと、自らを疑った。
もう今は切られた携帯を、いまだ耳に当てたままで。


「きょう、いち……」


聞きたかった声。聞きたくなってしまった声。
神隠しの少女と共に居なくなってしまった大切な人の声。


――もう一度、聞かせてよ。


力の抜けた声で、届かないとわかっているのに、再びその名前をつぶやいて。
杏樹は、音のしない携帯をただきつく握りしめていた。


▼ 原作者さんみたく、ホラーに書けませんでした……。切実に文才ほしいです。
  そして女主は時折、必要だと思ったときにだけ空目のことを『恭一』と呼びます。空目もしかり。  2011/05/28
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