17/05 鏡 (4巻)
日下部稜子。
それは同学年で、部活が同じ女の子の名前だ。
杏樹にとっての彼女は、『敬うべき一般人』であり、『大切な友人』だった。
しかし、杏樹は以前から思っていた。
稜子は人の心情を小説に書くのが上手い。書くだけではなく、彼女自身感情移入しやすい体質だ。
それだけならよかった。それだけで終わっていたなら。
――今。
大迫栄一郎の『奈良梨取考』が生み出した怪異。
その被害者である大迫歩由美を前にして、同じ一般人の武巳でさえ共感できなかった彼女に共感し、歩由美の心を理解した稜子。稜子は歩由美と同様の――兄もしくは姉が自殺した――境遇だからどこか共感できる部分があったのかもしれない。
けれど詠子の話を聞いた現在、稜子が異常に思えてきた。
詠子は嘘をつかない。
確かに、今回ばかりは稜子は不安定だ。
姉が死に、武巳とは喧嘩。感染しているかもしれない異常者の歩由美の相手。
歩由美ほどではないが、精神が疲弊しているのは間違いない。
杏樹も、他者を理解し、受け入れやすいタイプだ。
しかし稜子との違いは、それをそのまま「箱に仕舞うか否か」だ。
稜子の場合、共感したものはそのまま「箱に仕舞い」自分の考えにする。
杏樹の場合は、共感こそすれ自らの目的のために不必要だと思ったものは、心の箱に仕舞い込まず素通りさせる。決して割り切っているのではない。ただ気にしないだけだ。難しいことかもしれないが、ほとんどの人間が、そんなふうに無意識にしているはずだ。
稜子があまりにもストレートすぎるのだ。
それは紙一重に見えて、決定的な差異。
不安定になっている稜子を救えるのは、驕りなどでは決してないが特殊な力のある己だけだと思う。
「……稜子。わたしを頼って。巻き込むのはいやだとか、そんなこと気にしなくていいから。これ以上苦しくなる前に、絶対に頼って」
歩由美宅。空目たちと共に学校に行く、その行き際、玄関で杏樹は稜子に言った。
意外な真剣な眼差しを受けて、稜子は目をぱちくりさせたあと、
「……。うん、わかった」
嬉しそうな悲しそうな。そんな複雑な表情で、笑顔を作って応えたのだった。
それはどこか無理やりに笑っているようにも見えた。
「じゃあ、行ってきます!」
その笑みに気づいていたが、杏樹はあえて指摘せず明るく言った。
「うん、行ってらっしゃい」
家を出る、このとき最後の稜子の笑顔は、さっきより比べて少し。ほんの少しだが和らいでいるような――自然に浮かべた微笑みのようだった。そうだとしたらいい。
杏樹は思いながら、その玄関の扉を開けた。
▼ 2010/9/10(2014/04/14up)
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