14/21 匂い (2巻)
――強烈な匂い。
むっとする、吐き気のする獣のにおい。
マンションの亜紀の部屋に入った瞬間、嗅覚に届いたにおいを言い表すとするなら、それだった。このにおいは稜子も感じたらしく、かすかに眉根を寄せている。
空目ほどではないが、亜紀にFAXが届いた日以降、杏樹も獣のにおいが時折漂うのに気づいていた。その上、完全にではないものの“視えて”いた。
FAXは、どうやら完璧に魔術を辿っている。
そして亜紀の左手からは腐臭。包帯を巻いているのにも関わらず、病院にも行ったというのに。
また、亜紀自身どこか違和感がある。何かを隠しているような。
直感というものだけど。
杏樹は、この件は悪い意味でとてつもないものになるのではないかと感じていた。
もちろん、取り返しのつかない、そんな事態にならないようにしなければならない。
亜紀は今疲弊している。
自分のことをなによりもわかっている彼女のことだから、心の中ではどうにか自分を落ち着かせようとしているのかもしれない。
しかし……、杏樹が思うに、亜紀は呪いのFAXに固執している。亜紀は頭がいい。なので自分が疲弊せず、これ以上事が露見しないためにはFAXを受け取らないことが一番だとは解っているはずだ。それなのになぜ、彼女はそこまでしてFAXに拘るのだろうか。
「……杏樹。はい、紅茶」
考え事をしている間に、己はいつのまにかテーブルの脇に稜子と並んで座っていた。
亜紀から紅茶を受け取り、それをゆっくり飲みながらちらりと稜子を見ると、そわそわしたように周囲をしきりに気にしていた。寒く感じているのかときどき体をこすって温めていた。震えているのか。
……現在は夏。寒いはずがない。
杏樹は疑問に思って、首を傾げた。
すると、稜子と視線が合い――彼女は何か言いたげに口を開くが、亜紀を一瞥して戸惑ったように目を泳がせ、仕方なさげに口を閉じた。
――亜紀には言えないこと。
それを察し、そして杏樹は思い当たった。
視線、だ。稜子と亜紀以外からの。
おそらく――いや、確定的にそれは犬のものだろう。
亜紀の周りに常にいるようになった『犬』だ。
なぜ犬なのか。呪いの内容がそうだったのだろうか。違う。空目はそんなこと一度も言っていない。
「……亜紀、無理はしないでね。わたしは世直しなんだから、頼っていいんだよ?」
そう言うと、亜紀は目を瞬いて、
「……ん。ありがとね」
と普段よりはほんの少し力なく、それでも気丈に笑みを浮かべて応えたのだった。
それは頼るのかそうではないのか、とても曖昧な応答。
だからさらに言葉をのせ、念を押す。
「絶対だよ?」
「……善処するよ」
苦笑気味にだが、亜紀から肯定的な言の葉をもらい、杏樹は微笑んだのだ。
――それが甘い、甘すぎる見通しだとは気づかずに。
遠くない未来、自分が酷く後悔し、自責することになるとも知らずに。
▼ 匂い、というか臭い、ですが;;
2010/08/27(2014/01/07up)
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