09/16 …仕方ない (1巻以降)

「――いいか、近藤。
 恋愛感情など完全に錯覚だ。あれは明らかに所有欲の延長に過ぎない。
 対象が人間であるというだけで何故だか美化の限りを尽くされているが、所詮それは物欲だ。もし恋愛などという行為に特別な価値があるとすれば、それは決して人は他人を所有できないという一点につきるだろうな。
 そう、極めて哲学的な価値だ。何が面白いのか理解に苦しむ」

と、近藤武巳に言ったのは、ほかでもない俺だ。
しかし――どうも最近俺はおかしい。





高校一年の五月。

緑が涼しい風になびくその季節に、波崎杏樹という少女に出会った。
異界の住人でもなければ、この世界に住んでいるわけでもない存在に対しての知識欲が、彼女を部室に連れ込んだ大本の原動力だった。

波崎を見ていると、飽きない。

俺の知らないことを知っている彼女に飽きることはなかった。
あるとき、彼女は言った。

『ねえ、名前で呼んでもいいかな』

それは恭一と呼ぶことを表しているのだろう。
しかし俺は、下の名前で他人に呼ばれることに多少の抵抗を感じていた。
『名前』というものは一種の呪文のようなものだ。
妖の妖術でもあるが、名前を妖怪に教えてしまうとその妖怪に全てを支配される。
そして名前は、呼ばれれば必ず振り向くものだ。
それは無意識に縛られていることと同義なのだ。

そう言うと、波崎は苦笑した。

『そうかぁ……。じゃあ、たまに。たまに呼んでもいい?』

なぜそこで俺は「あぁ」と答えたのか。
これ幸いとばかりに、自分のことも名前で呼べと言う波崎を、なぜ了承したのか。
このときの俺は、俺ではなかった。


――波崎杏樹という人間は不思議だ。
それと共に不可解だ。

俺にも自覚はある。
俺自身が他人とは全く違うという自覚はある。
だからそれなりに近藤や日下部たちは扱うのだが。
波崎は俺を『普通の人間』として見る。
平常ではない俺を、『普通』に考える。
俺はそれを怪訝に思いながらも、同時に妙な安心感を抱いていた。

おかしなことだ。

あやめの事件のときに、俺が異界にいたとき、波崎に電話をした。
近藤の前に電話をした。それは彼女の立場上、連絡を入れておいた方がいいだろうと思ったからだ。
そのときのはじめの波崎の声は、かなり切羽詰まっているようだった。
それはそうだ。俺は勝手に、何も言わず消えたのだから。

その次。彼女が俺の名を呼ぶ。
下の名前でだった。
同時に、俺は「しまった」と思った。
異界が向こうに発生したのだ。失念していた。いや、そうではないのかもしれない。
波崎だから、――いざとなっても大丈夫だろうと。そんなふうに思っていた。
それは一種の期待なのだろうか。そうだとしたら、俺も堕ちたものだな。
震えた、今にも泣きそうな彼女を冷静にさせるのは、おそらくこの状況では俺の声だけだ。
繋がりにくくなっている電話に向かって名前を呼ぶと、直後に通話が切れた。
波崎も俺も切っていない。
その理由は不明だ。理屈で片づけるほどの優先順位のものでもないしな。


――波崎は村神とともに基城から俺を護った。
何も頼んでいないのに。
まあ波崎に関しては心配はいらないだろう。
期待もせず気にもしない。それが空目恭一という、俺だ。


波崎との付き合いは、あやめを除く文芸部の面々の中では最も短いが、彼らよりも幾分か彼女はわかりやすい。
感情を表によく出すタイプなので、一体何を考えているのか筒抜けだ。

そして彼女の瞳は澄んだ青だ。
――世界の闇の部分も数多に見ているはずなのに、波崎の目はおそろしいほどに汚れがない。澱みがない。
その事実は俺にとって異常なことだった。
普通、闇に接している人間の目には、それが自然と映るものだ。

一見、彼女には闇というものがなく、光に溢れているのかと思うようだが、しかし、波崎にも闇はある。影はあるのだ。
だからこそ。
本来相容れることのないものを、どちらも許容している。
その上で、彼女は光だ。
だから、俺は波崎杏樹が解らない。


せいぜい一年経ったところだ。
他人のことがそう簡単にわかるものなら、道徳や国語などという授業は存在しないだろう。
なので、波崎のことが解らないのはこの際問題ではない。
よって問題になってくるのは言わずもがな。別個の件だ。

解らないことはあたりまえだ。
付き合いが短いのだから、それは正しい。
だが、それでも俺は、波崎のことを解りたいと。さらに知りたいと、そう、思っている。
なぜ知りたいと思うのか。
解らないのはあたりまえなのに、それでもなお、何故知ろうとするのか。
俺にはそれさえ解らない。
否。もしかすると解っているのかもしれないが。その判断も今の俺にはつかない。
少なくとも、波崎のことを考えている現時点の俺では。

――どうでもいいことだ。

しかし。この『知りたい』という思いは、ただの知識欲ではない、と感じる。
知識欲でなければ何なのか。
人――波崎について解らないことを、すぐにでも知りたいと思う。
解らなく、知らないのは仕方がないことなのだが、それでも理由なく。
何故だ。この感情は何か。

………ふん。知らんな。
元から理論で、理屈で説明できないものを、わざわざ言葉にする必要もない。
――それが、恋愛感情の一部と依稀(いき)しているということも、あえて表現する意味もない。


今はまだ。

今は、まだ。いいだろう。

どうせ『時』はそのうち来る。


▼ DA☆RE☆DA((殴
  ……すみません、※これは空目です。あの魔王さまです。
  ちなみに依稀というのは、よく似ているさまのことです。
  2010/08/26(2011/07/28up)
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