05 きっと、あれが、絶望の色
夢を見た。
幼いころの、夢を見た。
*
小さな女の子が何かに追われるようにして走っている。
時折後ろを振り返りながら、泣きそうになりながら、それでも少女は走っている。
周りの人間は、一度も見向きもしない。
*
『うそつき』
――うそなんていってないよ。
『うそつき』
――うそつきじゃないよ、どうして、ねえ、あそこにいるでしょ、
『うそつき』
――髪の長い女の人が、いるのに
『うそつき』
――うそなんてついてない、なんでみんな、気づかないの……っ?
*
『…………まるで、化け物みたいだわ』
『なにせ、私たちと話もしようとしないのよ』
『いつも気味の悪いこと言って』
『……………おかしな子。人間じゃないみたい』
*
散々“嘘つき”と言われ、聞き飽きるほど“化け物”と言われた。
そのうちに、いつしか人への興味がなくなっていた。
唯一自分の世界に残っていた、妖怪も視界から消した。
話しかけられても無視をした。
彼らがいるから、わたしは独りになったのだ。そんな理由から生まれた八つ当たりだった。
夏目と出会った。
同じ景色が見える友人ができた。
人と関わることを諦めていた私は、四六時中夏目とは共にいるようになった。
二人なら。
どれだけ嘘つきと、化け物と罵られても虐げられてもよかった。
むしろ、このころ。
わたしは、全ての元凶が他の人間なのだということに気付いた。
夏目が引っ越して行った。
また、独りになった。
一人は寂しい。今まで、夏目が来るまで独りぼっちだったくせに、わたしはそんなことを思っていた。
それと同時に沸々と人間への憎しみと怒りが、生まれ、心の奥に溜まっていった。
わたしたちを迫害した人間が悪い。同じ景色が見えないから、そう易々と軽蔑できる。
わたしたちは知っている。
隣の優しそうなおじさんが、妖怪に祟られて死んだことを。
向かいのうるさいおばさんが、実は妖怪に憑かれていたことを。
同じクラスのきっちゃんが、妖怪が起こした悪戯の交通事故で死んだことを。
隣のクラスのあーくんが、妖怪に背中を押されてニ階の窓から落ちたことを。
ほかにもいっぱい。
全部わたしの所為にされた。
わたしがそれを、全部すぐ傍で見ていた。
だけど止めなかった。止めようとも思わなかった。
言っても誰も、どうせ信じてくれない。嘘つきだって言われる。
そしてなぜだかこんな事故が、事件が、わたしの周りでばかり起こる。
それなのに、みんなはわたしを『不幸を呼ぶ子』だと言った。
正直に告げても、『嘘つき』っていうくせに。これっぽっちも信じないくせに。理不尽。
それからやがて、嫌いで憎い人間のために、一挙一動の感情をくれてやることが無駄に思えてきた。
そう。無駄で無意味で、面倒だ。どうでもよくなった。わたしという存在を認めてくれない世界が、要らなくなった。
世界もわたしを必要としなくなった。人間なんて、どうでもいい。同じ景色が見えない人間は、この地球から残らず消えればいい。そうすればわたしたちは幸せになれる。そうでしょ夏目。夏目だって、こんな世界は嫌でしょ。
だけれど、そんな幸せを望む心さえ、わたしは無意味だと思うようになった。
叶わない幻想を追いかけるのには、もう飽きた。
その後私は、必要だと思わない感情全てを、心の深淵の箱に閉じ込めた。
生きる屍。
まさにそれだった。
中学に上がった。
周りの面子に変わりはない。
変で不気味なことを言わなくなった代わりに、無表情無関心無感動を貫くようになった私を、彼らはさすがに虐めることはなかったが、『冷徹女』と呼称するようになった。
なるほど。確かにそうも受け取れる。
そんなある日。どうでもいい義務教育の2年目。
夏目から、手紙が来た。
両親が捨てようとしていたところを、見つけた。
今までも何通か来ていたが、二人が揃ってごみ箱行きにしていたみたいだった。
その手紙をもぎ取って、私は自室へ籠った。
『――如月壬槻さまへ
久しぶり。どうかな、元気にしてる?
何回か手紙出したんだけど、やっぱり届いてなかったのかな……?
こっちは………相変わらず、だね。
もう俺は、“妖怪が見える”という素振りや言動をすることはやめてしまったけど、さすがに周りの反応は変わらないな。………壬槻は、どう?
また、会えるといいな。
会って、色んな話がしたい。
壬槻としかできない話を、何度もしたいよ。
それじゃあまた。
――夏目貴志より』
そんな短い手紙だった。
簡素な封筒に、一枚の紙。
同封して、綺麗な空の絵はがきが入っていた。
夕空が完全な夜へと変わる前の、橙と群青、紫、いくつもの色をした瞬間の空。
私が一番好きな、空の色。
それを見て、頬が緩んだのを覚えている。
――私も会いたいよ、夏目。
そうして私と夏目は文通を始めた。
お互いが高校生になってもそれは携帯に移って続いて。
今も私たちは友人だ。
*
「…………おーい。大丈夫かー如月ー」
ハッと目を開けると、目の前にいたのは背の小さい天文科の先生だった。
――ああ、授業をBGMに寝ていたというオチか。
「……大丈夫です。問題ありません」
自分の返答で、某ゲームを思いだすがこの際は関係ない。
「そうか?なんだか顔色が悪そうだが……」
「なんでもありません。心配しないでください」
どうしてこのところ、妙に他人に絡まれるのだ。
鬱陶しいことこの上ない。
私は独りでいたいのに。
「それならまあ……大丈夫か。何かあったら保健室行けよ!」
琥太郎センセが手とり足とり面倒見てくれるぞー!
「……そうですか」
最後の一文は色々と突っ込みどころ満載だったけど、私はあえてツッコまない。ボケ殺しだ。
「むむ……………」
すると陽日先生は黙りこむ。私にツッコミを求めるとは、お門違いである。
「…………………次の授業をするクラスに行かなくてもいいんですか」
悩むように沈黙し続ける陽日先生の対応が面倒くさくなり、さっさとどこかに行けと言外に含めて口を開く。
「おっおお!そうだった!じゃ、またな如月!」
駆け足で去って行った。
なんだったんだ、あれは。
『またな』って。またなも何も、私は『また』なんて要らないのに。
望まないものを押し付けられるのは嫌いだ。特に、押し付ける人間は。
*
必要のない感情が、自らの心の浅い場所に浮かんでこようとしている。
頑丈な箱の鍵を、開けようとしている。
望みが絶たれた世界を知っているのに。
そんなもの、くだらない。
▼ ちなみに、最後の『そんなもの』は『感情』のことです。 2011/05/20
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