06 ほんとうの願いを口にしてもいいですか
最近はずっと、小説を書けていなかった。
なぜって、もちろん錫也にクッキーの作り方を教えていたから。
それが二日くらいで済んだあとは、なぜか逆に、私が教えられていた。
教えてくれたお礼だと言って、何か作り方を教えて欲しいものはないか、と錫也に訊かれ。
私は仕方なく、たまご焼きの作り方の教えを乞うことにした。
錫也のときと同じく、全くたまご焼きの作り方がわからないというわけではない。
形だとか歯ごたえだとか、味付けだとか、そういうものを教わりたいのだ。
風の噂で、『東月錫也の作るたまご焼きとおにぎりは、特においしい』といったものを聞いたことがある。
すると彼はすんなり了承し、じゃあすぐにってのもなんだから、明後日からでいいか?と。
どうせなら、さっそくの明日からでもよかったのに。
そんなふうに思っていた私には気がつかずに、そうやってやがて別れた。
*
――それにしても、どうして彼は、『今日じゃなく明日から』と言ったのだろう。
日にちは、私がクッキーの作り方を最後に錫也に教えた日から一日経っている。
つまり今日は、食堂の調理室に行く用事がないわけだ。
――今日は用事でもあったのか。それとも、久しぶりに幼馴染みと水入らずで、放課後を過ごしたかったのか。
もしくは………………私に気を遣ったのか。
最後の可能性は一番ありえないけど。
むしろ、気なんて遣ってくれるなと言いたいところだ。
しかし確信のない推測は、時間の無駄にしかならない。
現に、シャープペンを走らせていた手が止まっている。
今は放課後。そして私は図書館にいた。
いつものように、図書館の中でも人目につきにくい奥まった場所の窓際に座って、ノートを広げている。
勉強の、ではなく。物語の、ノートだ。
『空色設計士』
はっきり言って、この物語の行き着く先は全く分からない。
私の場合、沢山物語のアイデアというものは思いついてきた。
でもそれは所詮『アイデア』だけで、骨格だけだ。否、骨格もできてなかったのかもしれない。
キャラクターやあらすじは思いついても、その中身であるストーリーが思いつかないという有様。
これは時間を割いて練れば、いくらでも思いつく。
けれど私には、そんな時間がなかった。
私だけではない。誰だってそうなっていく。
小学生のときは、毎日のように物語のキャラクターが浮かんできた。
中学生になって、その数は半分以下になり。
高校生になると、もうほぼ『アイデア』自体が思いつかなくなった。
それほどに、『創造』以外のものからのしがらみが増え、『想像』する僅かな時間と心さえ、なくなってしまった。
そういうものだ。
子どものころのように、何も考えずにいられる日々は、大人になっていくにつれてなくなっていく。
趣味に費やすための時間も、徐々に減っていく。
そうして、物語を書かなくなっていく。
高校生の中盤以降は、大学受験に追われ。大学では、授業についていくことに、レポートや研究に追われ。
長い夏休みでさえ、それらに潰され。
成人しても、社会の渦に呑み込まれないように努力するから。
だから私が今、書いているのはこの物語だけだ。
なぜかこの物語は、もう書き続けて一年が経とうとしている。
『書く時間』というものか、確実に減っていく現実がここにあるのに、どうしてかこの物語は続いている。
*
「――お前は、空がない世界を見たことがあるか」
その夜。
水でも飲もうと、ヒスカは二階の寝室から調理場に降りてきた。
『空をつくる』ための魔法の訓練をし、居候させてもらっているアンドレイさんが鍛冶をする作業場とは一続きになっている。
初めてこの空間を見たときは、絶句したものだ。
なぜ作業……仕事をする場所に、一般の台所が直接隣接されているのか。
それはともかく…………。
今、ユークさんは広い作業場の片隅の窓辺で、空を見上げていた。
目を凝らして見ないと気づかないほどに、夜の闇と同化している彼を、月の出ていない夜空は星明かりで照らしている。ヒスカも、声をかけられてからその姿に気づき、驚いた。
開いた窓のサッシに体を預けるようにして、佇んでいる。
闇よりもなぜかずっと深いと感じる藍色が、ヒスカを射抜いた。
思わず、後ずさってしまう。
どうして?
わからない。
ただ、なぜか、怖い。
判断のつけようがないほどの、深淵が見える。
そこには何が沈んでいるのか、まったく想像がつかない。
いつも冷静で淡々としていた彼の心には、得体の知れないものが隠されている。
それを、直感的に悟ったヒスカだったが、しかし彼女に、何も答えないという選択肢はなかった。
「………………見たことなんて、ないです、よ」
ユークの顔が、青白く照らし出され、その口の端が僅かに歪んだのがわかった。
そして彼は、ヒスカから視線を外し、サッシに肘をつき夜空を見上げた。
――今日のユークさんは、わけがわからない。
どういう感情が、彼を今こんなふうにしているのか。
その過去に、何があったのか。
わたしに不可解な問いかけをしたということは、そこから話を掘り下げて欲しいのか、ただ答えて欲しかっただけなのか、それすらも判らない。
普段とは違うユークの態度と雰囲気に、ヒスカは戸惑う。
幾億もの星しか存在しない、月の欠けた空を眺めるユークの横顔は、やはりぼんやりとしか伺うことができなくて。けれど何かが欠け落ちている。そんな感覚だけは、見えた。
*
「へえ、如月さんって小説書いてるんだ……。おもしろそうな物語だね」
この場面まで、書き終わった瞬間だった。
まるで見計らったように背後の上方から声がした。
聞き覚えのある男性特有の声。どこか優しげな、それでいてどこか――
「変わった書き方をするね。特に、句点での文の遮り方とか」
興味深そうに、私の小説のノートを覗き込む。
鼻先数センチの位置に、錫也の顔があった。一瞬びっくりしたけれど、ただそれだけで。
異性に興味がないわけじゃない。でも、私は、そもそも人間とは関わらない。
異性というのも、どうでもいい。
第一、異性の他人を好きになるというのは、生殖活動をして、子孫を存続させるために存在する感情であるのだ。世界中の大勢の人間は、愛だの恋だのと言って、神聖なもののように崇め立て騒ぐが、こんなものがどうした。掘り返してみれば、なんのドラマ性もない、ロマンチックの欠片もない現実が転がっている。
「………そう」
適当に応える。自分の文章の書き方に、何の関心もない。作家を目指しているわけでもないし、文芸部に所属しているわけでもないから。ただの趣味。感情の掃き溜めのようなものなのだろうか。否、それは違うような気がする。世界が、社会が、自分の思う通りにならないからといって、綺麗な世界を紡ぐことが素晴らしいとは思えない。むしろそれは、愚かだ。
ならば私は、一体何のためにこの物語を書いているのだろう。
人が何かをするのには、必ず理由があるのに。
私は、自分の行動の理由さえ、わからない。
「俺はこの書き方、好きだな」
「………………お世辞だと受け取っておく」
「ははは。そんなんじゃないんだけどなぁ」
錫也を刹那だけ、見た。
光の加減で青くも緑のようにも見える錫也の目には、嘘がなかった。
自分が嘘つきと言われていた分、他人の嘘にも敏感になった私だからこそ、それがわかった。
だから余計に、嫌になる。
どうして彼は、私を放してくれないの。
こんなにも私は、貴方を拒絶しているというのに。
「……隣で、読書していいかい?」
「気が散る」
「…………そんな悲しいこと言わないでくれよ」
困ったように笑う彼を、私は再び見て。
それからため息をついた。
その仕草を了承だと受け取ったのか、錫也は左隣に腰を下ろして本を机の上に置く。
いつの間に本なんて持ってきてたんだ。
少し私は驚いたが、表情に出すことはない。
予想はできたが、やはり料理本だった。
――嗚呼神様、私に平凡をください。
▼ 大体今のところ私がアップしている夢小説は、以前書いていたものばかりです。
そんな中で、この話はおそらく……今年の、2月くらい……ですね。もうだいぶ前になります。stsk夢小説も、少しずつ下書きをしてはいるのですが、なかなかアップできなくて申し訳ないです……。
PS:ヒスカでTOVの登場人物を思い浮かべたあなたは正解です(←何が?!
2011/07/19
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