I am a cat. 01
![](//img.mobilerz.net/sozai/1735_w.gif)
今俺はとても平和である。
俺たちの前に死神が現れたことを引き金にして、ほんの4、5日前まで、立て続けにとある事件二つに巻き込まれていたことは親しい者の中では周知の事実であった。
頭の中に許容できないほどのとんでもない情報を詰め込まれた俺は、久々に訪れた平穏に息をつくために紗夜と共に図書館に来ていた。
「はあああああああ……」
図書館の突き当り左。最も奥の、柔らかな日差しがあたるその席は、我らがお嬢こと遠野紗夜の特等席。
俺はその傍らに座って、机に突っ伏し盛大に息を吐いた。
すると右から、くすくすと笑う声が聞こえる。
「……なんだよ、紗夜」
「いいえ? なんでもないですよ」
彼女の本好きも相変わらずで、今日も文字がびっしりと書かれた新書サイズの本を開けていた。装丁も真新しげな本である。題名は『童話考察』。
なるほど、と内心頷く。
「それにしても、久しぶりだよな。こうして二人でいるのも」
なんとなく目の前の本棚を眺めて呟くと、「そうですね……」と彼女も感慨深げに首肯した。ある意味で、期間は短いけれど今まで激動の日々だったわけだ。
少しくらい平穏に酔いしれていても、神様は許してくれるだろう。
お昼時の優しい太陽の光に包み込まれて。昼寝するには丁度良い気温だなあと思う。
……やべ、頭がぼうっとしてきた。
「……今日、……紗夜ん家行って、いいか?」
十夜に……本、借りたいんだ。
あくびを噛みしめ、上げていた顔を腕の中に埋める。
「はい、もちろん。いいですよ」
暗く優しい微睡みの中。
紗夜が微笑んだ気配がした。
*
――俺が初めて紗夜と出会ったのは、日生先輩と同じで入学式のときだった。
男子と女子で座る席は離れていたものの、そのほかと一際違う色を放つ彼女は、俺の中でくっきりとした輪郭を帯びて視界に描き出されていた。
これほどまでに美しい少女が、この世界には存在するのかと、己の目を疑ったのを覚えている。
多少癖のある長く艶のある黒髪。
同じように黒く、強い意志を帯びた瞳。
白い肢体。淡く桃色に色づいた唇。
儚げな深層の令嬢という印象とは真逆に、その佇まいは凛とした女戦士のような気も思わせる。
不思議な少女だ。
そんな彼女が、俺と同じクラスだということを知ったときは、ものすごく浮足立った。
とにかく彼女のことを知りたい。
好奇心と知識欲から、そう思った。
*
それから約一年が経ち、俺はいつも彼女の隣にいる。
俺の第一印象と違(たが)わずに、本当に紗夜は『お嬢様』だったらしく、話によると実家から半ば逃げてきた身らしい。
そして偶然にも同じマンションだったことがわかったあとは、お兄さんである十夜に「紗夜のこと、よろしく頼むよ」と脅さ――おっと、危ないところだった――と言われる始末。
日生先輩同様、彼女のことも俺はあまりよくわかっていない。
そもそも紗夜は、自分のことを進んで話そうとする性格ではない。訊かれれば答えるかもしれないけれど――。
一度、気にかかることがあって本人に尋ねたことがあった。
だがそのときは上手く話を逸らされて、結局わからずじまい。
十夜に訊いても、急に真剣な表情になって、しかしそののちそれは苦笑に変わって。
『ごめんよ、ゆず。また“時”が来たら話すよ』
と、話せないお詫びにと、一冊の本を渡されただけだった。
*
その上と言ってはなんだが、どうやら俺は、幼少のころ紗夜・十夜と関わりがあり、一緒に遊んだこともあったらしい。
当の俺が全く覚えていないのが、彼らに対して申し訳ないと思う。
*
『ゆずくんゆずくん』
『なあに、さよちゃん』
『ゆずくんは、わたしがだれでもきらいにならない?』
『? さよちゃんはさよちゃんでしょ? きらいになんてならないよ』
『……ほんと?』
『うん』
『ほんとにほんと?』
『うん。ほんとにほんとだよ。ぼくはずっと、さよちゃんのことがだいすきだよ』
*
「ん……」
「あ、起きましたか、ゆず。」
「もう放課後だよー」
目を覚ますと教室だった。
それに目の前にしゃがみこんでこちらを覗き込む、紗夜と夏帆がいた。
あれ?
さっきまで図書館にいたのに……。
と心底不思議に首を傾げる俺に、その答えをくれたのは後ろから飛んできた声だった。
「俺が運んできてやったんだ」
ふん、と無愛想に言い放つ声。
ああ、これは……。
「夏目えええええ!!」
「うわ、なんだ! 気色わるい!!」
感極まって、勢いよく席を立ちあがり、振り返ってそのままの流れを殺さずに夏目を抱きしめようとすると、顔面を掴まれて全力で拒否られた。……なんだか結構傷つくぞこれ。しかし!こんなことで落ち込む俺ではない!
「俺、夏目が友達でよかった!」
「こいつ人の話聞いてねえし!! てか俺はお前の友達になった覚えはねー!」
幸い教室には、生徒はほとんど残っていなかった。
そのため憚らずぎゃあぎゃあと騒ぐ俺と夏目。
それを、微笑みを讃えながら見ていた紗夜が言った。
「お二人とも、仲がよろしいのですね」
「どこが!!」 「あははー。それほどでもー」
全くの真逆の反応である。
ちなみに夏帆は、呆れて敢えて何も言わなかった。
「ああもうあんたらといると調子狂うんだよ!! 俺は帰る!」
「え?! ちょ、待てって夏目! 俺も帰る!」
「こっちくんな! アホ!」
「ふっ……。そう言われると余計近づきたくなる性分なんだ……! それじゃあ紗夜、また臥待堂書店で落ち合おうぜ! どうせ蒼のとこ寄るんだろー!」
「ええ! では、またあとで!」
*
紗夜・夏帆と別れ、夏目の後を追って教室を出る。
予想はしていたが、彼はすでにかなり離れたところを歩いていた。
まるで、追いかけてくるなと拒絶するかのように。
いや、実際そうなのだろう。
それでも俺は。
本気で嫌がられたとしても俺は。
夏目を、変えようと思うんだ。
夏目は、変わらなくてはならない、と。
リノリウムの床を蹴って走り出す。
目的地は夏目の背中。
女の子みたいに小さな背中。
紗夜と同じように、一見気丈に見えても本当は弱い、その背中。
俺が守ってやるよ、なんて気障なことは言わないし、そんなの言ったところで逆効果。殴られるだけだ。
それならば、ただ隣に立っているだけなら、許してくれるだろうか。
「背中がガラ空きだぞ夏目えええ!!」
叫びながら、夏目が血相を変えて振り返る直前に抱きつく。
ああこいつ、抱き心地も紗夜と一緒なんだよなあ……。
あ、でも紗夜の方がもっと柔らかいけど。
「こンの……!!!」
夏目は握り拳を作り、怒りでわなわなと体を打ち震わせていたようだったが、
「…………はああ……もういい……。疲れた」
その意外な言葉に目を見開いて、夏目を見ると、今まで気づかなかった隈が見えた。
それは本当にうっすらで、色の白い夏目だからこそわかるものだった。
「……夏目、最近忙しいのか」
体を解放してからそう尋ねると、なぜか感に障ったらしく、キッと睨まれた。
警戒心の強い猫みたいだと心の中だけで思い、俺は口を開く。
「今夜……あー……泊まり込みはさすがにお前、嫌がりそうだし……、何か手伝えることあったら「飯」……りょーかい」
ぶっすうとした、いかにも不本意そうな顔の夏目に、俺は苦笑した。
それでも即答なのだから、建前はともかく本音が知りたいものだ。
夏目がこの学院の校則を破ってまでバイトをしているのは、家計がきついから。
これは無理やり聞きだしたものだ。俺がしつこく効くのに対し、夏目が根負けした形とも言える。
俺も週一で、紗夜お気に入りの喫茶店でバイトをしているが、その頻度は夏目ほどではない。
だからそのきつさや疲労はわからないが、それを少しでも和らげてやれたら、と思う。
だといえど、
「でも夏目、お前バイトしてたけど、今までこんなことなかったよな?」
例えば隈が出てて、かつ俺に気づかれるとか。
「そうだな」
どうでもよさげに答える夏目だったが、すぐにハッとしたような表情になり、「! ……そうか、どうせゆずには気づかれるし……」と呟き自己完結したあと、
「失くしたんだ」
「へ?」
「猫だよ」
「猫……?」
「お前なら知ってるだろ! あの猫の……! ……ぬ、ぬいぐるみ」
急に声のトーンを落とした夏目。
俺はああ、と頷いた。
「あれか」
「そう。あれだ」
ぬいぐるみ一つ失くしただけなのになあ……。
なんてことは、至極真剣な夏目の前では、口が裂けても言えない。
俺だって、理由はともかくとして、そのぬいぐるみが夏目にとってとても大事なものだということは知っている。
以前に何度か夏目の家を訪れたことがあるから、というのもあるし。
あのぼろぼろの猫のぬいぐるみ。
あれはきっと、夏目が小さいころに、両親に買ってもらったものなのだろう。
「で、そのぬいぐるみを探してたから、今日は軽い寝不足ということか」
「ああ」
「それから、それを俺にも探してほしいと」
「ああ」
夏目の言外の言葉を、俺が代弁すると夏目は頷き返した。
「ま、いいけど」
俺がすんなり答えると、夏目は先程の俺のように驚いて目をまん丸くさせていた。
まだ日は高い。
急にハードになった、家に帰るまでの今日一日のスケジュールを思い返して。
まあ、こんな平穏さもいいかと、口元に笑みを浮かべたのだった。
▼ 三章、I am a cat.より。紗夜、そして夏目と。
紗夜が放課後になるまで、ゆずを起こさずにいたことにはツッコまない方向で←
そして、ゆずは(隠れ)夢遊病設定なので、授業はしっかり受けていたという後付け←
2011/10/16
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