I am a cat. 02
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『夏目が倒れた』
そのことを日生先輩に伝えるよう、俺は紗夜から頼まれた。
どうやら彼女は、七葵先輩に伝えに行くらしい。
順に聞いていくよりも、二手に分かれた方が効率が良いとのことで。
なんでよりによって俺が日生先輩担当なんだと、不平を漏らす気持ちはあったが、まあ紗夜の意見はもっともだった。
*
日生先輩の教室に行ってみたが、クラスメイトの上級生たちには『いない』と言われ。ほんとあの人どこ行ってんだと、わからないようにため息をつくと、
『あ、そういえば空き教室の方に行ってるの見たぜ』
とのこと。
さいですか。
俺は礼を言って教室を出た。
*
学級に使う教室ではなく、たまに移動教室に使う程度のスペースのため、このあたりは行き交う生徒も少ない。
ちなみに、今の時間は偶然か必然か、誰ひとりとしていなかった。
閑散とした雰囲気が漂う廊下に、自分の靴音がいやに響く。
むっと顔を顰め、歩くペースを落とし、慎重に歩いた。
なぜって、
だっていやじゃないか。
なんとなく、というものあるけれど。
誰もいない空間で、何の音もない空間で、『ここにいる』と誇示するような、
そんなものは、耳障りだろう?
――空気が読めていないともいうし。
「あ、」
目当ての空き教室についた。
日生先輩とは、もう約一年になる付き合いだが、相変わらず彼の内側は読めない。
しかしそんな先輩の、少ないながらもよく理解していることの一つ。
それが、これだった。
彼がいつも使う空き教室は決まって奥から二つ目。
手前でも、あまりにも奥まってもいない、そんな場所。
俺だって、『元』生徒会だ。
生徒会長をしていたころからサボリ癖のあった日生先輩を、生徒会室に連れ戻す役割はいつも俺だった。
そういうとき、真っ先にここに探しに来たものだ。
教室の扉に手をかけた。
「――日生せんぱ、」
開けた、瞬間、
「あーあぁ、見つかっちゃったじゃない光っちゃあん」
当てつけの声音。偽りの愛。
甘い、 甘い 猫撫で声、
(ああ、)「そうだね」
至極普段通りに、笑って返す先輩、
(いやだ、)「やっぱ、鍵かけときゃよかったねぇ。それじゃあまたね、光っちゃん!」
そうして彼女は、固まって動けない俺の横を通り過ぎる。鼻につくきつく甘い香水のにおいと、
「今度はゆずくんも、相手してくれたら嬉しいなあ」
なんて、
(気持ち悪い、)「…………っ」
その足音がだんだん遠くなって、去って行くまで、
俺は、必死に我慢していた。
どうして動かないんだと、自分の足に訴えた。
何度だって。
彼女が近づいて来たときも。
幾度も。
それなのに、
「――どうかした? ゆず」
珍しく俺の名前を呼ぶ日生先輩の言葉で、時間が戻ったように動き出した足が、悔しい。
背中を伝った汗の冷たさで、現実という名の色彩を視覚的に実感した。
『どうかした?』
とか、訊かなくても答えなんてわかっているはずなのに。狡い人だ。
「……どうもしてませんよ」
今度こそ教室に足を踏み入れ、教卓の前の机に座っている日生先輩の前に立つ。
「それにしても、あんたはまだあんなことしてるんですか」
無意識に、多少呆れた、そして苛ついたため息を漏らした俺を、彼はにやにやとした笑みで見やる。
「“あんなこと”って?」
「わかって言ってるんでしょう。……あれを、紗夜が見たらどう思うでしょうね」
俺は日生先輩の首筋に視線を落とした。
だらしなくもない程度にはだけたYシャツのおかげで、こっちは何してたのかなんて丸分かりなんですよ。
「キスマーク」
日生先輩が、首のそれを指差す。
「若もしてみる?」
「誰がしますか」
その誘いをバッサリと斬ってやると、「残念だなあ」と本当に残念そうな様子だった。だからだろうか。
「……一応聞きますけど、それ、マジで言ってるんですか」
ああ、『若』呼びに戻ったなと、
頭の隅で幽かに思う。
心の中を過った、淋しさにも似た感覚は気のせいだということにした。
「うん。マジもマジ。大マジだよ。……というか、本気だったらしてくれるの?」
「しませんけど」
「けど?」
先程と変わらない、余裕のある笑み。
そんな態度が憎たらしい。
でも、憎めないのがこの『元』生徒会長様である。が、
「……人の揚げ足、いちいち取るのやめてくれませんか」
そんなことより本題に入りたいんです。
俺が少し、心の底から怒りはじめたのがわかったのか、日生先輩は慌てる。
「うん! わかった! わかったから、……それを聞く前に、約束してほしいことがあるんだけど」
「はあ、なんですか? 約束するってのは、モノにもよりますが」
もうここまで来たなら仕方ない。
と、
一体どこまで来たのか意味不明だが、彼と接しているとそんな気持ちになって、なんでも諦められる心持ちにもなる。
そうして、真面目に応対していた自分が馬鹿らしくなるのだ。
「今回のこれを見た罰として、今度デートしてくれないかな?」
「………………」
数秒間、沈黙が下りた。
ちゅんちゅんと鳴く鳥の鳴き声や、
外で昼食を摂る生徒たちの楽しげな笑い声が、耳に入る。
――ああ今日も穏やかな昼飯時だなあ、なんて思った。
そんな現実逃避から戻ってきたのち、
「………………………………はあ?」
「今まで溜めててそれ?!」
いやいや、こちらとしては、『目の前にいて話しているのが敬意を表さなければならない先輩か?』という敬いの欠片もない態度と表情で、盛大に『はあ?』と言ったつもりなのだが。
はあもなにも、普通に考えておかしいだろ。
単純に、出かけることに誘うのならまだしも、『デート』と誘うあたりとか。
まあ、日生先輩らしいといえばらしい…………の、か。
「一世一代のお誘いですよー。可哀そうな僕のお願い、若は受けてくれないんですか?」
「うっ……」
そうやって、小動物でもないのに妙にうるうるきらきらした目で、こっち見るのやめてくれます?!
俺がその目に弱いって知っててやってるんですよね?!
「本当は狼のくせに」
日生先輩から顔を逸らして、ぼそりと呟くと、
「ん?」
といつも以上に輝きに満ち溢れた表情で返された。
……その反応は、聞こえていたのやらそうではないのやら。
「あーもーいいですよ! 約束すればいいんでしょ!」
これで満足か!
ふん、と鼻息荒く叫んだ俺は、
「そうそう。それでいい」
にっこりと日生先輩に微笑まれたのであった。
……本当に、向こうに都合良く言い包められた気が、ものすごーくするけど。
*
そしてそのあと、ようやく俺は『夏目が倒れた』という本題に入ることができたのであった。
▼ 死神と少女、第三章I am a cat.終盤より。
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2011/10/10
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