東レイ-うば玉にたまずさ | ナノ
09-2 MiZUchi-Rebirth

蘆屋道満の弟子である『早乙女涼』が、『あの先輩』であることには、薄薄と感じてはいた。
それが確信へと変わったのは、道満との戦いで怪我を負った大友の見舞いの道中で、黒いミニに乗った彼女と偶然出会ったときだった。その後部座席には、道満を思わせる少年が座っていたのだ。

それからまもなく、道満が奪おうとしていた『鴉羽』は土御門本家全焼と共に、行方をくらました。
だが、その後の陰陽庁内部の話を聞いていると、庁自体にきな臭さを感じ、そうして推測を突き詰めていけば『陰陽庁が鴉羽を奪おうとして本家に襲撃した』と捉えると最も矛盾が少なくなることに気付いた。

この時点でようやく陰陽庁が黒、もしくは黒に近い灰色だという見解に至ったのだが、それはすでに遅すぎた。


そう考えると、道満が弟子に頼まれ鴉羽を奪取しようとしていた先日の襲撃は、そのときには確かに『悪事』であったのだが、現在の視点からはまったくそうとも言えない事実に行きあたるのであった。

早乙女涼は、悪人ではない。自分にとってはよき先輩である。
人を見る目については自負している己がそう感じているのだから、十中八九確かだ。
そんな彼女が『鴉羽』を欲したというのである。
陰陽庁内の不穏な動きをいち早く察知したから、そのような発言をしたと推測するのが妥当だろう。

『陰陽庁の思惑を阻むために、先手を打った』、と。


「……すず先輩は、全部知ってたんですね」

夜が明ける。
東の空が明るい光を放ち、白く染まる。
まだ深い闇の名残が残る空を、余すところなく塗り変えていくかのようだった。

陰陽塾屋上の天壇には、夏目が安らかな表情で横たわっていた。
その長い黒髪はきらめきを取り戻し、その白い肌には血の気が戻ってほのかに桜色に色づいている。胸が上下していることからも、しっかりと心臓が動いていることが確認できた。
愛おしさが込み上げる。
土御門夏目は、生きている。
泰山布君祭は、現時点で『一応』成功したのである。


この一夜は、散々だった。
何もかもが変わってしまった、そんな夜。

それでも、ごくあたりまえのように朝は来る。
普段となんら変わらない清々しい朝日が、自分たちを照らしていた。

夏目を失って、狂人になりかけた。
同時に春虎を掻っ攫われて、自棄になった。
そんな己を大友や冬児、鈴鹿を始めとする仲間たちが繋ぎとめてくれた。
陰陽庁に侵入して、決死の隠行で春虎と倉橋源司、夜叉丸、蜘蛛丸の会話を盗み聞きをすることで、自分に呪詛をかけた術者を知って愕然とした。
夏目を自らの力で生き返らせることを決意した春虎を奪還することに成功したのち、鏡怜路に行きあたったときは、大切な者を失ってしまう激烈な二度目の恐怖と絶望を覚えた。


――そうして、先程。


夏目は生き返ったが、それはすべて春虎が一人で成し遂げたことだった。
ここに行きつくまでに、自分という存在が傍にいながら、春虎は随分多くのものを失い、そして傷つけられた。
夏目の穏やかな寝顔に安堵しつつも、自らの不甲斐なさに飛び降りそうな勢いだったゆずに声をかけたのが、意外なことに涼だった。

全てを知っていたのか、と半ば確信的に呟くゆずであったが、涼は何も言わずその陽炎のように不規則に揺れる無心の瞳でしばし彼を見つめた。
そして、唐突に感情の読めない顔のままゆずの目前までやってきて、戸惑うゆずなどもろともせず、まるで戯れにデコピンでもするかのように、親指をバネにして人差指でゆずの額を弾いた。

それは軽い力だったのだろうが、なぜかゆずはそれだけで頭に激しく電撃が走り、意識を飛ばしそうになる。
少し離れたところで、春虎や飛車丸、角行鬼までが驚いたように息を呑んだ気配がした。

「なんっ……だ、これ……ッ」

激痛が過ぎたあとは鈍い痛みが脳内――いや、身体中を蹂躙した。立っていられない。その場にくずおれ、喘ぐ。手足を動かせない。頭も働かない。痛い。とてつもなく痛い。
顔を歪めて呻くゆずを前にしても、涼はあくまでも淡々としていた。

「あなたにかかっていた呪詛を無理やり、一部だけ形代に『返した』」

霞む視界の端で、犬型の使役式が揺らめき音を立てて倒れる。

「それからこれが、解呪の痛みを和らげる呪文」

ゆずでさえ知らない言葉の羅列を紡いだ涼は、その名前の通り涼しげな表情で春虎たちを振り返る。
覚えた?とかなんとか。
それにしても、と痛みの治まった頭でゆずは思う。そして訝しげに眉根を寄せる。
一瞬にして鈍痛はあとかたもなく消えてなくなっていた。ますます首を傾げるゆずに、涼は猫のようにも見える髪飾りを揺らした。

「あなたにかかっていたのは、呪詛の準備に10年かけた『十夜(とおや)呪術』の一種。多分、もともとは別の人にかけようとしてたんだろうけれど、急遽『夜光に会った』と告白したあなたにかけたってことだと思う」

涼の話の要約はこうだった。


ゆずの呪詛を定義するのは簡単で、『陰陽師としての能力を抑える』種類のものだ。
しかしその呪詛の詳細を説明するには多少の難があった。

まずゆずの霊気を僅かに乱す。
次にゆずの力を抑えるため、霊脈から供給される呪力を制限する呪詛をかけ、その上でさらに鈴鹿がかけられたような能力封印を絶妙なバランスで発動させている。
霊脈との繋がりに関しては、ゆずも気付くことができていなかったが、涼によると、「もともと霊脈に頼らない呪力の使い方をしているあなただからこそ、騙せうることだった」そうだ。

他にも細かい呪術が組み込まれており、『封印寄りの呪詛』というイレギュラーな分野であることも相まって、かなりの割合で帝式陰陽術――それも大幅にアレンジしたもの――が用いられている。

加えて、普通、呪詛というものは『相手を呪う』ためにかけられるものだ。
にもかかわらず、ゆずにかけられているのは微妙な霊気の乱れ以外には身体的な悪影響が全くない呪詛である。
そのことから考えると、この呪詛は『呪詛としての本来の用途』からは完全にかけ離れていた。
それゆえに、扱いがかなり難しく、呪詛を発動させるのにも時間を要するらしい。

ちなみに解呪は比較的簡単なものの、案外強力な呪詛のため一度に行うことができず、地道に定期的に、そして術者にバレないように形代に呪詛返しをしていかなければならない。
また、解呪の度に先程のようなえも言われぬ痛みが伴うため、それを抑える呪文を別の人間に唱えてもらうことも必要だ。


「……調べてくれてた…んですか」

帝式がモチーフになっていることもあって、かなり饒舌になり語ってくれた涼に、ゆずは感嘆して声を漏らした。
するとすぐに涼はハッとしたように静止して、誤魔化すように眠たげな表情に戻る。

「……別に。興味があったから」

そうして本格的に眠気が強くなりはじめたのか、しぱしぱと目を瞬く涼は、そのまま視線を春虎の傍らにいる狐憑きの式神に流した。それはどことなく恨めしそうであった。
おそらく、彼女がロリではなくなったことに対する残念で不満な思いが胸に去来しているのだ。
ゆずはそんな相変わらずの涼に思わず笑みが零れる。
もちろん涼はそれに気付いて、睨むような視線を向けた。

「……ごめん、すず先輩。つい」
「悪いって思ってるなら、ロリ版コンちゃんみたいなふさふさふわふわしたロリィタ式神をぜひともつくっていただきたい」

これは、春虎に頼んでも断られると判断したと見た。
頬が紅潮している、とだけいえば可愛らしいが、そこに荒い鼻息が加えられているのだから、とんだ変態親父である。
しかしわかりきっていることだが、これが涼のアイデンティティであり、ステータスでもある。

「……まあ、気が向けば、」

呪詛返しの件といい、確かに涼には借りが多い。
この調子で本来の能力が戻っていけば、涼の頼みも不可能ではない。が、……。
なまじ面と向かって拒否できないゆずは、気まずそうに視線を逸らした。

「……ところで、夜光」

あからさまな話題転換に少し涼がむっとした表情を見せるが、あえてそちらに目を向けないようにして、ゆずは春虎――とその両脇に並ぶ二体の式神――に向き合った。

陽の気を象徴する太陽の光が、春虎の纏う『鴉羽』に反射してきらめく。
元来の金気も相まって、それは格別の神聖な美しさだった。
ゆずは思わず、自らの青い双眸を細める。

夜闇の似合うレイヴンが、今、朝日を前に飛び立とうとしている。
これはなんという啓示であろうか。
夜光は、闇の中に生きた光であったように思う。けれど春虎は、いつだって光の中にいるのだ。
春虎は夜光の生まれ変わりでありながら、しかし確かに別人なのだとはっきりと感じさせた。


「――いや、春虎」

言い直したゆずに、春虎が僅かに瞠目させる。

「俺は、契りを果たす。これからお前の生ける限り、幾年でも共に在ろう」

それはまた、彼を主を仰ぎ仕える式神とは別の在り方。
一歩下がった位置に立ち主を支えるのではなく、友として隣に並ぶという半世紀も前に交わした誓いの通り、ゆずは宣言した。

春虎の傍らに控えた式神が、昔を思い出すように遠い目で二人を見つめていた。
月が綺麗な夜だった。いつだって、夜光との思い出はそんな穏やかな静けさが満ちた夜ばかりだ。

「……ああ。『また』よろしく頼むよ、ゆず」

春虎に重なって、夜光が見えた気がして、少しだけ目を見開いた。
しかし次の瞬間にはゆずはふ、と微笑む。

これから自分たちが進もうとしている道は、とてつもなく険しいに違いない。
けれどそれでも、不思議とこの道が間違っているとは思わなかった。

涼が「そろそろ移動しなくちゃ」と今思いついたようにぽつりと漏らす。

ゆずと春虎は相変わらずマイペースな彼女を再確認して、揃って笑みを零した。
式神は、そんな両者に対し改めて頭を垂れ――。朝日はいっそうその輝きを増す。
明るい光に照らされて、天壇に横たわる少女も、きらきらと美しくきらめいていた。


▼ 新しいはじまりの瞬間です
  2013/10/23(2014/03/31up)
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