東レイ-うば玉にたまずさ | ナノ
08-2 I,You,Love.

渋谷駅に近い喫茶店。

今日は京子――実際は鈴鹿だが――が提案した隅田川花火大会に行く日であった。
ゆずは夏目と共に、集合時間に遅れないようにこの喫茶店を訪れていた。
しかし、そんな夏目は今トイレで席を外している。
ゆずはひとり、四人がけの席を占領し、物思いに耽っていた。


昨日は多軌子が自分達の前に現れてからというもの、あれよあれよという間に彼女と夏目との模擬戦になり、彼女の唱えた『布瑠の言』に春虎が反応。
霊気が暴走したところに駆け付けたのは大友だった。

これだけ近くにいながら、彼の乱れた霊気について危険視していなかったのは、自分が随分陰陽塾で平和ボケしてしまった証拠だった。
こうして今も、本人は隠しているようだが、まだ万全ではない状態の大友に頼らなければならない。
ゆずが人知れず爪が食い込むほど拳を握りしめたことを知るものはいまい。

そうして今朝は、そんな大友が漏らした数々の意味深な言葉にあれやこれやと考えていた最中に、寮の外で鬼の霊気が現れるのを察知した。
隣の部屋の冬児に一言声をかける間もなく、寮を飛び出すが、まもなくそれは膨張して霧散した。
霊気が現れた場所に到着したとき、そこにいたのは意識を失った春虎と彼を抱えたコンと夏目だった。

あとから聞く話では、寮に現れた鬼は強烈な威圧感を持った隻腕だったそうだ。
そして、彼は『今は着せるな。命にかかわる』『何かあれば早乙女涼を頼れ』等言い残し、姿を消したらしい。

まったくますます謎に極みがかかる。
なんでもない休日に鬼が『夏目たちの前に』現れたということもそうだが、それが隻腕、つまり角行鬼である可能性があることも、そして脈絡のない、だが真実味を帯びた発言にもだ。

遭った鬼が本当に角行鬼であるなら、早乙女涼のことに関しては、元来彼女は夜光の研究者であったようだし、なんらかのコネで知り合っているとしてもつじつまは合う。
そう考えるとゆずの頭におのずと引っ掛かるのはもう一つの発言についてだった。

『今は着せるな』

これは、一体『何を』だろう。

いや、誤魔化さずに言えば、実のところこの言葉を聞いてゆずの脳裏を駆けたのは『鴉羽織』という三文字だった。
夏目もおそらくそれで間違いないと話していたが、しかしそれでは大きな矛盾が発生してしまうことに、ゆずはさらに頭を悩ませた。

角行鬼と思しき鬼は、『夏目ではなく春虎のことを指して』そう言ったそうだ。
もし、角行鬼が着せるなと言ったものが『鴉羽織』なら、『夏目が夜光の生まれ変わり』という通説に違えることになるが、『鴉羽織』でないなら、矛盾を片づけることもできた。
けれど、あの角行鬼が登場しなければならないようなもので『鴉羽織』以外に『着せるもの』など、存在するのだろうか。
少なくともゆずは聞いたことがなかった。

陰陽庁のすることではないが、何もかも後手に回っているような気がしてならない。
以前はこれほど鈍くはなかったはずだ。


まるで、陰陽界――呪術界自体が自分をその『歯車』から外して、どうやっても知り得ないようにした上で、重大な物事を動かしているような。


正直、ゆずはそんなわけのわからない現状で花火大会に行くことには反対していたのだ。
しかし結局は「こんなときだからこそ、いまは七人で花火楽しもうぜ」というバカ虎らしい言葉に、言いくるめられてしまった。

返って人ごみに紛れてしまえば、ずっと寮にいるより安全だというのは、確かにそうかもしれないが、何かが胸をつっかえてもどかしい気持ちがする。
肝心なことを見落としている。そんな感覚。
それを探そうとすればするほど、頭の奥でちりちりと焼けるような痛みがきたす。
そうして探すことを諦め、痛みが引いたころに漠然と残る、形容しがたい危機感。





「……ゆず君? 大丈夫ですか?」

そのせいで、ゆずは夏目が向かい側の席に戻ってきたことにも気付かなかった。
ゆずの状態が自身で感じていたよりも芳しくなかったらしく、夏目が素の声音でおそるおそる尋ねる。

その鈴が鳴るような清らかな声により我に返ったゆずは、自分でも重症だなあと人知れず思いつつ、不安そうに顔色を窺う夏目を安心させるように、へらりと笑った。

「大丈夫だよ、夏目。……それにしても、夏目は浴衣とか着てこなくて大丈夫だったのか? レンタルとかで安く借りれただろ?」

話を逸らされたことに一瞬不満げな表情をしたものの、次に続いたゆずの言葉で夏目は顔を真っ赤にした。

「そっ、そんなことしたら、バレてしまうじゃないですか!」

彼女は具体的に『誰に何が』とは言わないが、もちろんそれが『春虎に自分が北斗を操る術者であったこと』だということは容易に察することができる。

「……でも、ちゃんと言わなきゃいけないんだろ。京子との約束で」

すると夏目は瞬く間に大人しくなって、今にも消え入りそうな声で「……はい」と頷いた。

滑らかな白い頬に浮かぶ朱色も、艶やかな唇も、伏せられたはしばみ色の鮮やかな瞳も、美しく流れる長い黒髪も。
普段は周囲に気を張ってほとんど表情を動かさずに『優等生』をしているけれど、本当は感情表現豊かで無邪気な一面も見せるその内面も。
ゆずはそんな夏目の全てが好きだった。

けれど今、この夏目の朱に染まる表情を見て、それが結ばれる想いでないことを改めて痛烈に感じた。

あいつが羨ましい、と脳裏に浮かぶのは春虎だった。

彼よりも早く、彼女と出会っていたら。夏目は自分に振り向いてくれただろうか。
そんな答えのわかりきった、くだらない可能性を考えた回数も、もう数えきれないほどだった。

「頑張れよ」

夏目はゆずの言葉を聞き、弾かれたように顔を上げた。
潤んだ瞳が自分を映す。はしばみ色が、わずかな恐怖で揺れていた。

「大丈夫だ。お前なら。絶対にちゃんと話せる」
俺が保証する。

にっと笑みをつくると、安堵の色が色濃く瞳に現れた。
そうして夏目は少しだけ微笑んでくれた。

それが自分のための笑顔ではないことを知っていた。
それでもゆずは、彼女への想いを捨て切るどころか、いっそうどうしようもないくらい自覚してしまうだけだった。

――ああ。夏目。俺は、君が、好きだ。


▼ ゆずがこのとき見落としているような気がしてならなかったものの正体は『春虎が夜光の生まれ変わりである可能性を全く考えなかったこと』と『相馬家が夜光を取りたてた一族であったということを思い出せなかったこと』の二つです。最後のゆずの独白は、北斗が消える際に春虎に残した言葉と気持ち対応するようにしてます。
  2013/10/20(2013/12/02up)
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