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03 零れ落ちた感情

それは、ある休日のことであった。

まだ陽も高い位置にある昼下がり。

これからお茶でもしようか、というその時間に、御影は自分の部屋の扉を叩く音を聞き取った。
誰だろうと思いドアを開けると、そこには帽子から零れる見慣れた金髪――翔がいた。
身長的には御影の方が高いため、翔を上から見下ろす形になっていたが、このとき、御影は翔の纏う空気が普段とは異なることに気がついた。
言うなればそれは――自己嫌悪というか後悔というか、そんなもの。
いとこ同士だということもあって、翔の微妙な変化を察することができたのだろう。

翔を部屋に入れた御影は、まず第一声に「何かあったか?」と声をかけた。
御影のベッドに腰を下ろした翔はしかし、俯き黙ったままで、何も言おうとはしなかった。
はあ、とため息をつき、御影はキッチンへと向かう。
小さな食器棚とIHが用意されたそこで、やかんに水を入れ沸かし始めた。

沸騰するまでの間も、翔は一言も言葉を発することはなかった。
まるで、何かに耐えるように唇をきつく結んでいる。
表情は、帽子のせいでわからなかった。

いつも明るいムードメーカーの翔が、こんなふうになるなんて珍しいこともあるものだと思いながら、どうせ那月関係なんだろうと見当をつける。
ティーバックをセットして、カップに湯をとぽとぽと注ぐ。それを二つ分。
アールグレイの香りが漂う。
アイスティーに用いられることも多いこの『紅茶の王道』だったが、御影はそんなアールグレイが好きだった。
息を吸い込むと、柑橘系の、落ち着いた香りが鼻孔をくすぐる。

ベッドの前の背の低い丸い机に、翔の分のティーカップを置いた。
翔は反応しない。

御影は自分の勉強机の椅子に腰を下ろして、アールグレイを一口飲む。
心が安らいだ。
ふわっと、寝心地の良いベッドに寝転がる感覚に似ている。

そういえば、前に那月と一緒にアールグレイを飲んだとき、那月は『お空の雲の上で小鳥さんたちと遊んでいるみたいで癒されます〜』とかなんとか言ってたっけ。相変わらず電波だ。
眼鏡が曇ったためそれを外し、砂月になったときに訊くと『ああ? 紅茶に香りなんてあんのか。関係ねえだろそんなの』と案の定苛ついた様子で答えられた。うん、でもまあ、出会ったころよりは、随分柔らかくなったよなあ。

…………それにしても、だ。


「……あのさーあ、翔?」


依然として言葉を発さない翔に、痺れを切らす。


「………………」

「那月と喧嘩したからって、おれの部屋に逃げ込んでくるのやめてくんない?」

「………………」

「……おーい。翔ー」

「……………………」

「しょーお。しょーおくーん」

「…………………………」

「しょーおちゃーんってばー、」

「…………………………」

「……こンの……チビ!!」

「チビっていうなあああああああああ!!」


ああ、やっと反応した。
はあ、とため息とは別のニュアンスで御影は息をつく。


「なあ、ほんとどしたの翔?」

机の上に頬杖をついて尋ねると、翔は『チビ』と言われ反射的に立ち上がっていたものの、再びベッドに座って頭を垂れる。
ずーんと沈んだ状態に逆戻りした翔を見て、

「あーもー! 那月だろ!」

何が那月なのか。
そんなことは言わずもがなで。
翔はぴくりと肩を震わせた。

「何、今度は。……ってか、那月じゃなくて砂月の方なのか?」

そう問いを重ねつつ、御影は翔にアールグレイを勧めた。
なかなか飲もうとしないので、ぐいぐいと口元に押し付けていたところ、「わかったよ!! 飲むからそれやめろ!」と怒鳴られた。





いつもこいつには頼ってばかりだ、と翔は心の中で、言外に情けない己を叱咤した。
いとこ同士ではあったが、小さいころから家族同然として育ったこともあり、御影とは共に居ることが多かった。その分頼られたが、色々と頼るということのほうが多かった気がする。

だが、それではいけない、と翔は思う。
それではだめなのだ。
俺は男だ。
御影は(――男装しているとはいえ、)女だ。
男の俺が、女の御影に頼ってどうする。

むしろ俺は、御影に頼られなければならないというのに。

翔はアールグレイに口をつけた。
あったかい、と外には出さず呟く。
きっとこのアールグレイがあたたかいのは、御影があたたかい人間だからなのだろう。

「――そうだな、今回のことは……砂月が絡んでる」

御影は翔の瞳を見て、黙って待っている。
部屋中に、柑橘系を思わせる落ち着いた匂いが広がっていた。
翔は、ここに来た直後より、気持ちが軽くなっているような気がした。

いたしかたないが今回ばかりは、御影に頼らざるを得ない。
しかし、これからは。
もっと自分が男らしく、頼れる自分になって、御影の相談にも乗れるような人間になろう。

そう思いながら、翔はアールグレイの香りを感じて、改めて口を開いた。


 零れ落ちた感情 


▼ このときの『翔の那月(砂月)に関する云々』は、砂月が翔に『春歌は那月を傷つけるから〜』的はことを言ったのが原因。
  多分翔は、『春歌はそんなやつじゃねえ!!』と怒鳴って『お前に春歌の何がわかる! なんで何も知らないのにそんなこと言えるんだ! 砂月は那月と違って客観的で冷静だと思ってたけど、そうじゃなかったんだな!!』みたいな感じになって、直後自己嫌悪に陥って自室を飛び出したんじゃないかと。
  長さ的に、これらすべて書くのは無理がありましたので、今回はその部分をカットしました。あとがき長くて申し訳ないです
  2011/09/15〜2013/01/31(自作発言等禁止)
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