NO.6→Secret Selene's Story | ナノ
#13 いのり
(#10回想の続きっぽいもの)


『――ああ、……。今日はどうしたの?』

『え、怪我?ふふ、もう、……はやんちゃなんだから』





(彼女の家を訪れることあるごとに、怪我を作ってやってきたおれを、苦笑して迎える声があった。)
(優しく、聖母のように。それでなくとも、今はいない母のように柔らかく包んでくれる存在があった。)
(なぜそこまで自分に優しくしてくれたのか、最後まで不思議だった。)





(今日は、雨、か。)





(――もう何年前だったかすら覚えていない、遥か昔の話だ。)
(イヌカシの言葉で、)

『――お前が好きなのは、杏樹じゃない。杏樹を、勘違いするなよ、ネズミ』

(ああ、)


「うるさいな」


(耳障りな雨の音がする。)


(イヌカシの言葉で、思いだしてしまった在りし日の出来事だ。)
(NO.6から自ら出てきたという変わり者のその女の名は、祈織(いのり)といった。)

(部屋のソファに深く座り込んで、ぎり、と奥歯を噛みしめる。)

(この話を以前イヌカシにぽろりと漏らしてしまったところ、『そりゃあご愁傷サマだったなあ!初恋の相手が殺されるなんてよ!』と偉そうに言われた。)
(しかし『は?』と怪訝に眉根を寄せたおれを見て、イヌカシも『は?』と意味不明と言わんばかりの声を漏らした。)

(おれは彼女のことを恋愛感情というもので見ていなかった。
ただ、姉か、母か、妹か、そんな家族みたいな存在に思っていたことが少なからずあったのは事実だ。)
(そもそも、彼女とおれは歳が10歳以上離れていたし、彼女曰く、NO.6に子どもがいるとのことで。恋愛感情が生まれるはずもなかった。――母、でもなかったかもしれない。だとしたら、姉か。でも彼女は――普段は大人びていた彼女は、たまに子どもっぽくなるときがあった。)
(例えば、好物のさくらんぼが自宅の庭で生ったとき。)

『……にはあげないわよ!これはわたしのものなんだから!』

『誰も欲しいとか言ってない。てか、大人げないしその台詞!』

(ほかにも、買ってきたクッキーだとかパンだとかの取り合いで、いつも彼女は譲らなかった。嗜好品である菓子は西ブロックにはあまりなかったから(特に美味いやつ)、彼女はそれを楽しみにしていたんだろうと思う。)

(――そういえば、おれの本当の名前を呼んでくれた人も、この人で最後だったのかもしれない。)

(婆はあまり彼女に会うなと言っていたけれど、彼女に会って、彼女に名前を呼んでもらうのは心地よかった。)

(ずっと、このままでいられたらいいと思っていたのも、また事実だった。)
(しかしそのころのおれは、まだ幼く、『ずっと、このまま』なんてことがあるものだと愚かにも信じていたのだ。『永遠』というものが存在すると、本気で思っていた。)

(それが存在しないものだ。存在するはずのないものだと、心が理解したのは。)
(皮肉なことに、彼女が死んでからだった。)


(彼女だけは、おれを否定しなかった。
婆よりも、むしろ、彼女の方が家族のようで愛していた。
彼女だけがいれば、よかった。
それなのにどうして、おれは。)
(おれは、あのとき、彼女を守れなかったのだろう。)





(――あれは、雨の日だった。)
(しとしとではなく、ざあざあと雨の降る日のことだった。)

(けれどまだ小さかったおれには、雨なんて関係なくて、ぼろぼろの傘を持って家を出ようとした。しかしそんなおれを、婆は叱咤した。)
(天気は大雨だ。それに彼女の家はここより民家の少ない、多少離れたところにあるから、今日は家にいなさい。)
(まあ大体そんな要旨のことだった。)
(おれはむっとしたが、この雨だと彼女もおれが来るとは思っていないかと、幼心に思い、今日だけは大人しくすることにした。)

(――が、)
(静かにしていたのも、数時間だった。)
(婆がこちらへの監視の目を放した隙に、家を飛び出した。)

(いてもたってもいられなかった。祈織(いのり)に会いたい。そんな気持ちだけだった。)


(彼女の家に辿りついた。)
(途端、)
(あれ、と感じた。)

(違和感。いつもと違う。家の纏う空気が、いつもと違う。暗くて、静かだ。雨が降っているのに、静かなのだ。)
(だって窓が、割れている。)
(だってドアが、歪んでいる。)
(だって灯りである蝋燭の光さえ、ない。)

(物音ひとつ、聞こえない。)
(――いや、)

(ざあざあ ざあざあざあ)
(と、雨が降る。)
(何もかもの音を掻き消し、全てを洗い流すかのように雨が降る。)

(黒い雨。)
(急に不安に駆られて、彼女の家に飛び込んだ。)

(何か悲鳴と怒鳴り声が聞こえた。)
(ああ、よかった、人がいる、なんて思ったのもつかの間。
彼女がいる、と嬉しくなったのもつかの間。)
(その声のする部屋に走ると、そこはキッチンとリビングが一続きになっている空間で。)
(いつも、おれと彼女が笑い合ってお茶をしていた場所だった。そこが、)
(真っ赤な血で、彩られていた。)
(顔から血の気が引いた。右から怒声。リビングの奥を見やると、幾人もの黒服の背中。と血に濡れた彼女。やってきたおれに気がついて、少し目を見開く彼女。急ぎ焦ってキッチンの机のしたに隠れる。椅子の脚を強く握り締めた。)
(もうそれ以上は何もわからなかった。)
(わかりたくなかった。)
(再び黒服が怒鳴り、彼女を蹴った上殴り足や腕や腹の傷口を抉った挙句、頭を鈍器で殴った。彼女の悲鳴が部屋に響いた。俺は、何も、何も、何も、できなかった。)
(……いや、しなかったのかもしれない。)
(怖かったんだ。怖かった。出て行って、自分が殺されるのが怖かった。)
(それなのに、出て行って何ができる?彼女を助けられるか?そんなのできるわけないだろう、そうだろう?と勝手に正当化して、出て行くことを選ばなかった。)
(彼女が血塗れのまま動かなくなった。)
(すぐに黒服は音も立てず出て行った。)
(おれには気づかなかった。)
(おれは慌てて彼女に駆け寄って、助け起こした。彼女は、そんなおれを見て、弱弱しく笑った。)

『ごめんね』

(と、ただ一言、言って、血を吐いた。)
(何も言わないで。何も、言うな、と顔を歪めるおれに対し、それでも彼女は、疲れたようなやつれたような、血のこびりついた泣きそうな顔で、)

『ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんなさい』

(そう謝って、何度も何度もおれの名を呼んだ。)

(もう、黙ってろ。)
(助からない。助けられないという単語は、おれの辞書にはなかった。)
(理解するには、幼すぎた。)
(なんとしてでも彼女を助けると思った。どうやってでも彼女は助けられると思った。)
(思ったのに、彼女は、祈織(いのり)は、)

『……む、り、だよ。ごめん、ね、』

(無理なんかじゃない!)
(どうして、)
(謝るな、謝らないでくれ、)

『、……ありがとう、……』

(おれの名前を最後に呟いて、おれの腕の中で、冷たくなって死んだ。)
(彼女の最期は、安らかな笑顔だった。)






「…………なんだ、これ」

(ほんとう、なんなんだよ、)
(頬を伝う生温い液体に、おれは口の端を歪めた。)

「今更、こんなの、思いだしたところで、」

(数年経って、彼女がNO.6からの逃亡者で、彼女がNO.6の奴らに殺されたなんてわかったところで。もう、どうしようもない。)
(そうだろう、……。)
(いや、ネズミ。)

(だけどだからこそ、憎い。憎い。NO.6が、憎い。)
(おれたちから、おれから全てを奪ったNO.6が、憎い。)


「……ネズミ? 家に居たんだ」


(杏樹が帰ってきた。外はいまだ雨が降っているのか、その髪は少し濡れていた。)

(違う。違うんだ。杏樹は、あいつじゃない。彼女では、ない。)
(そんなこと、百も承知だ。)

(だって、似てもつかないじゃないか。)
(ほら、こんなに、性格も、顔も、背丈も、何もかも――)


「なんで、泣いてるの……」


(こっちに来るな。来るな、お願いだ。来ないでくれ。)
(おれを、見ないでくれ、杏樹。)


「何も、聞かないし見ないから、大丈夫だよ」


(ふわりとおれの周りの空気を覆う、杏樹の匂い。)
(僅かに、自然の緑の薫り。)
(彼女と同じ、葉の薫りだった。)

(――ああ、ソファの上で膝をついて、杏樹はおれを、抱きしめているのか。)
(おれは杏樹に、抱きしめられているのか。)

(優しい優しい、その少女の腕に。)


「……わたしはネズミにもらってばかりだから。こうやって返させてよ」


(杏樹の言葉を聞いて、おれは「悪いな、」とそれだけ返して。)
(あとはただ、瞳を閉じて。その優しさに身を任せた。)





(雨はまだ、止まない。)
(あの日流した涙すら、もう流れて行ってしまった。)


▼ ネズミ過去編でした!
  ちなみに、たまに彼女こと祈織(いのり)の台詞などに入っていた『……』は、ネズミの本名が入る部分でもあります。
  これは、時系列的には12年前の虐殺事件から、ネズミが10歳のときに市長を狙撃しようとして失敗するまでの6年間のどこかで起こったことです。
  結局のところ、ネズミが『心を通わせた相手』というのはこの祈織(いのり)でした。杏樹は、そんな彼女に雰囲気が少なからず似ているのかもしれませんね(実はこの話に関して、さらに裏設定があったりするんですが……)。
  2011/09/19(2011/09/27up)
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