#11 Happy-
『えっ、あんた、今日誕生日だったの?』
『うんそうだけど……』
『このチェリーパイも、紫苑のお母さんが誕生日ケーキ用に焼いてくれたんだよ』
『…………』
『なんだよ、ネズミ』
『いや……悪いことしたかなって。誕生日プレゼントの一つや二つ、持ってくれればよかったな』
『『えー』』
『……プレゼントなんて要らないって? それとも、二人揃って何か他に言いたいことでも?』
『えっとね、プレゼントは欲しいけど、』
『今、それ言うの?』
『……そうですね今更でしたスミマセン』
――それは四年前。在りし日の出来事。
*
(夜中の12時が迫る。
時は、9月6日から7日へと変わろうとしている。
その日は、紫苑の誕生日だ。)
(杏樹はベッドの上で、身を起してぼうっとしていた。)
(紫苑もネズミも、もうすでに寝付いている。
現に隣からは紫苑の穏やかな寝息が聞こえていた。
ソファに横になって寝ているネズミも、瞼を下ろしているから、多分眠っているのだろう。)
(すぐにでも触れられる近さにあるぬくもりが、愛おしい。)
(この西ブロックに来て、初めてそのことを実感した。
失いたくないと思うと同時に、そんなの高くて叶いそうにない理想だと吐き捨てる。
いつ死んだっておかしくない。
そして、何の役にも立たないわたしは、邪魔なのだ。)
(わたしが、ネズミみたいに戦いに慣れていたら。
イヌカシみたいに、情報収集能力に長けていたら。
紫苑みたいに、頭がずばぬけて良ければ――)
(そんなくだらないifの話。どう足掻いても、わたしは『わたし』で。それは変わることのない絶対的な事実だ。)
(わたしが、紫苑と出会ったころはどうだっただろう。)
(二人とも、純粋な目をしていたと思う。世界の全てを、信じていた。このNO.6を、信じていたのだ。なんの根拠もなく、ただ子どもながらに。)
(今は、全てが、変わった。)
(変わらないものはないのだと、目の前に突き付けられた。)
(今までずっと信じていたNO.6を裏切ったわたしたちは、もう、あそこに戻ることすら許されない。そもそも、もう戻る術など捨てた。)
(そうして生死の保障など一切されないこの西ブロックで過ごす。)
(誰も、他人にはなれないのだ。)
(――ああ、そんなことよりも、)
(壁に掛けてある時計の針がカチリと、真夜中0時を指した。)
(9月7日。紫苑の誕生日。)
(わたしの唯一の幼馴染みの、生まれた日。)
(視界の端で、ネズミがむくりと起き上ったのがわかった。)
「…………」
(ネズミは一瞬、驚いたように目を見開くと、そのあとでふ、と口元を緩めた。)
「――杏樹もか」
「うん」
(何が『わたしも』なのかは、尋ねなくてもわかった。)
「あのね、ネズミ」
(ネズミの灰色にも群青色にも似つかない瞳が、こちらを向いた。)
(綺麗な綺麗な、眼だった。)
(わたしなんかより汚い部分をずっと被ってきた。それなのにネズミは、こんなにも綺麗な眼をしている。こんな人が、これから紫苑を見守り、紫苑と共にいてくれるなら。わたしなんかいなくても大丈夫だと、そう、思えた。)
「……わたし、今日、チェリーパイ作ろうと思うんだ」
(ネズミはソファの周囲に積んである本を崩さないように、音を立てず足を床に下ろした。)
「ああ、それで力河のおっさんに、NO.6からさくらんぼを仕入れるように頼んでたのか」
(西ブロックには、そんな洒落たものないからな。……まあ、あったとしても衛生上よくない。)
(ネズミは、皮肉げに口の端を歪めた。)
(そして、)
「…………ところでなんだが、おれは紫苑にどんな誕生日プレゼントをあげればいいと思う?」
「…………ぷっ」
(真面目に訊くネズミを前にして、わたしは、四年前を思いだして思わず吹き出してしまった。)
(わたしと紫苑とネズミが出会った日。その日も、紫苑の誕生日だった。)
「……何だ」
(きっとネズミは、あのとき不可抗力で仕方がないことだったといえ、紫苑の誕生日にプレゼントもなにも贈ることができなかったことを悔いているのだろう。
命の恩人である紫苑に、せめてもの感謝のしるしを示せなかったことを。
言葉だけじゃ足りなかった。
『ありがとう』『おれを、救ってくれて』
ネズミは決して、そう言うことはなかったが、そんなありきたりの言葉では伝えきれないほどの感謝があったからこそ、言わなかったのだ。
いや、言えなかったのかもしれない。)
「ううん。なんでもない」
(照れくさそうな表情をして視線を逸らすネズミに、笑みを零す。)
「紫苑はきっと、ネズミが贈ったものならなんでも喜ぶよ」
「あー……」
(ネズミは、眉をきゅっと寄せて微妙な顔をした。がしがしと頭を掻く。)
(そしてソファから立ち上がり、ストーブの上に置いてあったやかんを手に取り、机の上に置いてあったマグカップに湯を注ぐ。ぐびぐびと飲んだあと、ネズミは「うし、」と自らに掛け声。わたしと紫苑が使っているベッドに歩いて来た。)
(そこでふと、ネズミが部屋着ではないことに気がつく。)
「おい紫苑」
(ネズミはぐっすり眠っている紫苑の上に跨って、名前を呼ぶ。
再び、)
「紫苑、」
(起きろってば)
(言ってぺちぺちと頬を叩く。)
「ん……」
(すると紫苑は眉根を寄せて唸り、こちらに寝返りを打ってきた。)
「うう……なんだよはむれっと……」
(そして寝言を呟きだす始末。)
(杏樹は、ネズミと顔を見合わせてくすくすと笑った。)
「こりゃだめだ」
(言うや否や、ネズミはそのまま紫苑の上に腰を下ろした。
一瞬紫苑が起きるのではないかとひやっとしたが、「お、おもい……」と眉間の皺を増やしただけだったので安心した。)
「――夜中の星空を、見せようと思ったんだけどなあ……」
(ぽつりと呟くネズミを見て、ああ、ネズミらしいと思った。)
(何か物を買うわけでもない。今思いついただけのことかもしれなかったけれど、それはそれでネズミらしい、と。)
「じゃあ、起こせばいいよ。遠慮なんてしてちゃ、紫苑は起きないよ」
(わたしは紫苑の寝起きの悪さは十分知っていた。いや、今ではむしろネズミの方が紫苑より群を抜いて寝起きが悪いから、その紫苑のそれは印象が薄くなっていたけど。だって、最近はほとんどネズミが寝ぼけたままこちらのベッドに歩いてきて、紫苑にのしかかるのだ。ネズミの寝造の悪さにもほどがあるとは思うが、まあ、とにかくそれで紫苑は毎朝目が覚める。)
(杏樹個人としては、それはそれで微笑ましいと思うことなのである。)
「あー……、じゃあ、お言葉に甘えて……?」
(ネズミは体を浮かし、)
(べしっ)
(と、紫苑の顔を、先程よりは強く叩いた。)
(それでも紫苑は唸っただけで、変化なしだったので、また、)
(べしっっ)
「……いったいなあ……もう……なんらよねずみ……」
「よっぱらいの親父みたいな口調になってるぞ、紫苑」
「ふふっ」
(二回目でようやく紫苑の眼(まなこ)がうっすら開く。紫苑はまだ眠いらしく、目を擦っていた。これは多分、放っておいたら二度寝しそうだ。)
「ん……?あんじゅもいる……」
(半分寝ながらこちらを見やる紫苑に、杏樹は苦笑した。)
「ネズミがね、今日は紫苑の誕生日だから、外で星空を見ようって」
(すると紫苑は、口の中でもごもごとその言葉を復唱し、)
「……――えっ!今日ぼく誕生日?!!」
(と叫んで飛び起きた。)
「目は覚めましたか陛下」
(いつものネズミみたいに、少しふざけて仰々しく頭を垂れると、)
「うん!ばっちり!」
(それには欠片もツッコまず、普段の天然調子で答える紫苑に微笑んだ。
ネズミは相変わらず紫苑の上で、『はあ、驚くのそこかよ……』とこめかみを押さえため息をついていた。)
▼ 紫苑、誕生日おめでとう!!
遅れすぎてごめんなさい!! ……次回に続きます。 2011/09/19
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