NO.6→Secret Selene's Story | ナノ
#10 回想
――イヌカシのホテル


「……それはそうとネズミ。紫苑はともかくとして、杏樹はいいのか?」

(矯正施設を調べてほしい。そう『依頼』をしに来たおれに対し、目の前のイヌカシはニヤリと笑った。僅かに顔を顰めたおれを見て、さらにその『してやったり』という様子の笑みを濃くする。)
(おれは心の中で舌打ちをした。)

(――わかったような顔しやがって、)

「いい。あいつは関係ない。紫苑以上に、あいつは、」

「ふうん。――一つ、昔話をしようか、ネズミ」

(話が遮られたことに眉根を寄せると、イヌカシはそれを全く気にもしていないようで悠長に語り始めた。)

「とあるところに、薄汚い少年がいました。
 彼の両親は、物心つく前に死んでいて、彼は祖母と共に放浪の旅をしていました。
 しかしそんな祖母は、他の放浪者と共に、人間に殺されてしまいました」

(くつくつ、と可笑しそうに笑うイヌカシの表情が、癪に障る。)

「――やがて彼は、人間を信じなくなりました。
 なぜなら信じるべき人間が、彼の全てを壊したからでした。
 冷淡で冷酷で非情で卑怯な人間に育った彼のことを、人は、その狡賢い生き様から『ネズミ』と名づけました」

「――それ以上言うと、どうなるかわかってるんだろうな、イヌカシ」

(声を低くして、右手に握ったナイフをちらつかせた。)
(太陽の光が小さな窓から入ってきて、刃に反射した。きらめく銀は、鋭い。今まで幾人もの命を脅し、時には奪ってきた、そんな罪の色が垣間見えた。だがおれは、そんなものには見向きもしない。今、ここにあるのは、おれという人間が生きているという現実だけだ。それを持続させるためには、罪の意識、そう、罪悪感。それは必要ない。いらない。だから捨ててきた。全て、何もかも。)

「なんだよ、まだこの話には続きがあるのに」

(イヌカシは不満そうに唇を尖らせた。その声は少し震えていた。)
(やっぱりな、とおれは表には出さずに呟き、口の端を上げた。
 他人の生命(いのち)を掌握したときの感覚は、快感に似ている。)

「なら、言ってみるか?」

「いいや、遠慮する」

(おれはナイフを仕舞い、イヌカシはいつもの調子に戻った。)

「――だけど、一言言わせてくれ」

(イヌカシはニヤニヤした笑みでもなければ、他人をからかうときのようなそれでもない、本当に真剣な顔になって、こう、言った。)

「――お前が好きなのは、杏樹じゃない。杏樹を、勘違いするなよ、ネズミ」





(嫌な予感はしていた。
 何かがあるわけでもないのに、なぜか胸がざわついた。)

(『お前が好きなのは、杏樹じゃない』
  『杏樹を、勘違いするなよ、ネズミ』)
(そのイヌカシの言葉が、頭の中で何度も反芻される。)

(別に、おれは杏樹のことをあいつと重ねているわけじゃない。似ても似つかないあいつと、重ねているはずがない。だから杏樹を巻き込みたくないとか、そういうわけじゃない。駄目なんだ、杏樹は。何も知らずにいた方がいい。どうして知る必要がある?紫苑じゃないが、杏樹はそれこそ関係がない。イヌカシはきっと、『それこそネズミ、お前は“関係ない”だろう?』と言いそうだ。)
(――こう思うと、本当に信じたくない。自分が、紫苑や杏樹と出会ったことによって弱くなってしまったなんて。)
(心の中で悪態をついて、地面に転がっていた石を蹴飛ばした。なんだっていうんだ。おれが、何をしたって?おれはずっと、独りで生きてきた。独りだったんだ。だから、そう、これからも独りで、生きて行く。独りで生きて行くんだ。
 他人と関わってはならない。依存してしまう。誰であろうと、それが命の恩人であろうと、過去に想いを通わせた相手に似た人物であろうと、昔からの付き合いの人間であろうと、関係はない。)
(紫苑も杏樹も、おれには関係ない。関係ない、関係ないんだ。)
(呪文のように言い聞かせて帰り道を急ぐ。
 夜の道にはもう慣れた。何年もここで生きてきた。夜目も効く。)

(――人は独りでなくなったとき、果たして本当に弱くなるのだろうか。)

(そんな質問を真面目に考えてはならない。絶対に答えは出ないだろうから。延々と考え続ければ続けるほどに、道に迷い、前が見えなくなってしまう。進むべき方向が、わからなくなってしまうから。)

(おれはただ、巻き込まないだけだ。巻き込むと、邪魔になる。邪魔だから、巻き込まない。そうだろう、ネズミ。)

(本来なら思考しなくてもいいことをぐるぐると考えていたため、近距離で臨戦態勢にあったイヌカシ(と犬)に気づかなかったのは、言われてみれば当たり前だった。)


▼ 原作とは多少異なるネズミの思考でした。
  なんだか途中で話が脱線して、もう何が何だかよくわからないことになってます(ネズミが)。まあそれほどに、私の文才がなくて、ネズミがイヌカシの言葉に動揺してるってことですが;; この話は、特にのちの話に影響してくる話ではない…と思います。そして、ネズミが『過去に想いを通わせた相手に似ている』のが杏樹なわけですが…、ちなみにこの『想いを通わせた』、というのは恋愛感情ではないので、ご理解よろしくお願いします。
  2011/07/31
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